いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

知ってる道、知らない道 生きるための道。

f:id:norioishiwata:20170823220440j:plain朝、走っているとき、ふと、いつもは気づかない道をみつけた。どこへ続くのか分からない階段がある。走るのをやめて、階段を登ってみた。落ちていた木の枝で蜘蛛の巣を掻き分けながら、自然に飲み込まれて消えようとしている道を歩いた。予測不能な気配にドキドキした。

あまりに当たり前で、見過ごしていた「道」という存在に気づいた。いつも走る道は、舗装されたアスファルトで、何処へ続いているのか分かっていた。けれども今日みつけた道は、舗装されていない山道で、知らない場所へとつづいていた。

f:id:norioishiwata:20170823221841j:plain

f:id:norioishiwata:20170823222535j:plain「道」について調べてみると、家、文字、言葉、お金と同じように、人類を進歩発展させてきた技術のひとつだと知った。

まだ狩猟採集の時代、人間は、けものみちを歩いて移動しながら暮らした。食料を確保するために。今も道を利用する主な理由は、糧を得るためだ。毎日会社に行く道も何千年前と同じ理由で使っている。この道も自分が選んでみつけた道でもある。

人間は交易のために道を拓いた。道はコミュニケーションツールだった。自分に足りないモノ、必要なモノを手に入れるための道。それはネットワークでもある。自分の理想や目標のために、血を巡らせる血管のように、人と人の間に道をつくる。道が拓ければ新しい出会いも生まれる。

f:id:norioishiwata:20170824071226j:plain道を歩くとき、ほとんどの場合、知っている道を歩く。大抵は目的があるから、知らない道をわざわざ通ることもない。けれども、それでは、道をつくっていない。道をみつけたり、つくることは、冒険している証だと思う。知らないこと、やったことのないことに子供のような純粋さで興味を持てば、至るところに道が現れ世界が広がる。

今日はどんなことをしよう。まだまだやれる。