多くの人が経験しているだろう「商売」について、改めて社会を動かすチカラを持っていることについて。

多くの人が経験しているだろう「商売」について、ぼくは今年、フジロックでBARをやって、生まれて初めて体験した。

f:id:norioishiwata:20170801110912j:plainBARとはお酒を仕入れて、コップに注いだり、カクテルをつくったりして要するに仕入れ値の何倍かで売ることができ、目の前で錬金術のようにおカネが増えていく。200円で仕入れて500円で売る。ところが、やってみると商売はそんな甘くない。

 まず、ロケーションが最高に良い反面、とても過酷で、フジロックの会場から車で1時間以上かけてすべての荷物を運ぶ。お客さんはゴンドラに揺られて絶景を楽しみながら30分でフジロックとは別世界の楽園へ到着するから御安心を。野外なので天候に応じて、売り上げが変動する。さらに氷を仕入れなければならない。冷やすための冷凍庫も必要。そんなこんなで経費が半端なく増えていく。f:id:norioishiwata:20170801111200j:plain

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f:id:norioishiwata:20170801111752j:plainぼくはアート作品を制作して、それを売って生きている。それを「商売」とは別のジャンルだと考えていた。けれども、今回の経験をきっかけに、モノを売るという意味で、アート活動もまた商売の一種だと考えるようになった。

商売とは、ある場所で安価で仕入れたモノを、そのモノが乏しい場所で高価で売却して、その差益を稼ぐこと。歴史的には、メソポタミアのシュメールやバビロニアには、シュメール文字による商取引による記録(4350年前の粘土板)も残っており、この発明(文字と粘土板による記録)によって、取引や交換の管理が容易となった、とされている。つまり、数を記録できるようになって、その余剰生産物を商売として、取引するようになっていった。

 いまの社会でも、何千年前と同じように、ぼくたちは、何かしらの「商い」をして、生きている。この社会に参加して生きるためには、それ相応のおカネを獲得しなければ、生きていけない。ぼくたちは、この「おカネ」という道具に翻弄されて生きている。

f:id:norioishiwata:20170801114445j:plainぼくはこの3年ほどを、おカネに依存しないで生きていけないだろうか、と実験してきた。例えば、空き家に暮らして、家賃をゼロ円にしたり、アート作品と物々交換をしてみたり、制作の材料を廃材に絞って、そのコストを限りなくゼロ円にしてみたり、魚を釣って夕飯にしたしてきた。こうやって個人が自分の体験や考えを共有できるこのメディアも、文字と粘土板の発明の最新型とも言える。つまり、過去の歴史から様々な技をサンプリング(引用)して、この時代に適応した生き方を模索してきた。この方向性にも、まだまだ可能性を感じている。

けれども、おカネというこの社会に流通する価値を獲得するゲームに参加する責任も同時に考えるようになってきた。人は、働いておカネを手に入れ、それでモノを買って生きている。もちろん、例外なユニークな生き方もたくさんあるけれども、そういう生き方を提唱するよりも、一般的な最大公倍数に通用するライフスタイルのつくり方に興味が湧いている。

「好き」という感情は、ダイレクトに伝わる。「好意」は、人を動かす。フジロックで遊んだ友達は、お酒が大好きで、ずっとその話をしている。仕事中で飲めなければ、仕事が終わる瞬間を心待ちにして、懸命に働いている。仕事を終えた、その友達のところには、お酒が集まってくる。BARをやったぼくも、その彼にはサービスをしてしまう。なぜなら、お酒を飲むことが、彼を幸せにするから。「好き」を欲するのは「幸せ」への近道だ。「好き」の感情を躊躇うことなく解放してやればいい。

f:id:norioishiwata:20170801115140j:plain人は「モノ」や「想い」は比較的、ギフトしてくれる。それはそれで有難い贈り物だ。例えば、先週末に開催したバーベキューイベントには、たくさんの食材が提供された。けれども「おカネ」になると、それはそう簡単にいかない。大切なのことは、獲得したおカネをどう使うか。社会のなかを血液のように循環している貨幣をどの方向へ流すのか、理想の社会をつくるためのハブになるような「おカネ」の流し方を身に付けてみたい。

つまり、自分自身がひとつの企業であり、国家だとするならば、何にその予算を投入するのか。ひとり政治ごっこだ。自分の生活圏、ネットワークのなかに貨幣を流通させる「おカネ」の使い方。今年の夏は、これで遊んでみたい。洋服は必ず、お気に入りのお店で買う、もしくは友人のブランドで買う。CDは、できるだけマイナーアーティストのを買ったり、アート作品を買ってアーティストを応援することや、スーパーではなく八百屋で野菜を買ったり、野菜をタダで貰うなら、その価値を別のところへ投資してみたり、付き合いのある料理店で宴会をしたり、お気に入りの土地へ旅をして飲み食い宿泊しておカネを落とす、など。貨幣の行き先は、いろいろ選択できる。

見渡してみれば、生活のエトセトラを商う知り合いはたくさんいる。すべての人が商人で、持っている貨幣価値をどこに流すのか。ぼくたちは、「たったそれだけのこと」や「当たり前のこと」のやり方を変えるだけで、時代を動かすほどのチカラを持っている。それが、ぼくの考える新しい経済活動だ。