いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

北茨城最奥地ではじまる未来

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北茨城市での暮らしが始まった。東京から荷物を運び、アトリエになる富士が丘小学校に道具を運んだ。午後から、市の担当者鈴木さんと課長と、コーディネーターの都築さんと打ち合わせをした。

そのなかで、市長の驚くべき構想が発表された。それは1枚のメモ書きで、芸術の里「桃芸の里(とうげいのさと)」をつくる企画案だった。それは芸術の桃源郷だ。ぼくはチフミと相談して、北茨城市でやりたいことをまとめた資料をつくっていた。その内容と市の構想が一致していた。コラージュによるセレンディピティが起きた。

では早速、その村へ行ってみようと車を走らせること20分ほど。まさに里山、その村の入り口にある古民家が、その舞台になるという。茅葺き屋根にトタンを覆ってあった。農小屋や離れもある。裏には川が流れていた。

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チフミは「スゴい!わたしここに住みたい!」と声をあげた。嬉しかった。こんな場所で喜ぶパートナーで。まずは市長に興味があることを伝え、続報を待つことになった。北茨城市では、これまでの経験を磨き上げる創作活動ができそうだ。それには、積み上げてきたすべての知識や経験を下ろして、「身を低くして、他者から学ぶべきだ」今日の夜、訪れた温泉のカレンダーに書いてあった名言。これが15日のこと。

北茨城市最奥地の集落に住む、陶芸家の浅野さんを訪ねた。浅野さんは、北茨城市の「五浦天心焼き」という陶芸の名産を復活させた人だった。僅かな資料と手掛かりをもとに再現された、五浦天心焼き独特の鮫肌と呼ばれる釉薬効果は、浅野さんが偶然の出会いに導かれ開発したモノだった。考古学であり民俗学な芸術。とても陶芸をやってみたいなんて言い出せなかった。

ぼくは、生活を芸術にしたい。自然と人間の関係を伝える「生きる技術」を保存したい。でも、これは現時点では、芸術でも何でもなく、とくに里山では当たり前のこと。けれど、それは静かに消えていこうとしている。生活を芸術にするアートは、自然に接近するほどに薄まっていくが、時間が経つほどにその芸術的意義は強まっていく。愛知県津島市の長屋も、岐阜県中津川市の森も。北茨城市では、古民家の再生だけではなく、畑や地域の景観も含めたランドスケープの芸術を表現してみたい。街路樹が桃の木で、時期になると、花を咲かせ、果実を気軽に手にして食べる。畑や雑草、自然と人間のハーモニーがそこにあるような。

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自然に溶けていく生活芸術の活動と並行して、日本人の暮らしを彩るアート作品をみつけたい。それは平面のコラージュ作品だったり、パピエマシェの立体だったり。中津川でつくった風景シリーズは、都会には自然過ぎて、田舎には都会過ぎるように思う。しかし、この中道にこそ、進むべき道がある。未だなかった景色に新しい芸術の道がある。イメージがあれば、人生はつくれる。

本が出版されました!

「生きるための芸術 - 40歳を前に退職。夫婦、アートで生きていけるか」

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