いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

夢は叶う。やり方はイメージが大切。

f:id:norioishiwata:20170412090647j:plain仕事にしろ、友達にしろ、恋人にしろ、日々の生活のすべてを自分で選んでいる。もしかしたら、まったく自分で選んでない人もいるかもしれない。自分で選んでいないのであれば、ぜひたった今から、自分の声に耳を傾けて、未来を選択してみて欲しい。

なぜ、こんなことを書くのか。なぜなら、ぼくは生活芸術家と名乗り、人生をつくれるかどうか実験してきたからだ。人生と言えば、大袈裟に聞こえるが、その一部でもある生活は、誰にでもつくれる。

どんな場所に、どんな家に、誰と暮らし、どんな仕事をして、何を食べて、どんな服を着て、毎日を過ごすのか。何を見て、何を聞いて、何を口にして誰と過ごすのか。人生とは時間だ。24時間は、人間に唯一平等に与えられた資源。

f:id:norioishiwata:20170412091149j:plainぼくは、嫁のチフミと結婚したけれど、違う会社にそれぞれ通っていたので、1日を一緒に過ごす時間はほんの数時間だった。寝ている時間を除けば。夫婦とは制度ではなく、男と女を、人間と人間を結ぶ自然現象でもある。けれども社会制度としての結婚にとらわれてしまうと、途端に楽しくない。結婚は契約ではない。違う。心の底から湧き上がる気持ちがあるから一緒にいる。それ以外に他に何が必要だろうか。書類? おカネ?

もうひとつ例えば話しをしよう。ぼくは、ずっと家に悩まされてきた。なぜなら、大きな家に住みたかった。できれば、少しでも新しく綺麗な、できるなら便利なところに。ところが、ほとんどの人がそう考えるから、そんな家は、どんどん値段が上がっていく。ニューヨークのマンハッタンに行けば、それこそ、何十万円もするアパートに暮らしている人もいるし、東京代々木の3LDKのマンションに住もうとすれば、そこそこの値段にもなる。

f:id:norioishiwata:20170411225400j:plainところがだ、みんなが住みたくない場所に行くほどに家賃は安くなる。アフリカのザンビアのサバンナでは、0円で家が建った。三重県志摩市阿児町安乗では家賃1万円だったし、岐阜県中津川市の古民家の家賃は0円だった。初めて暮らした空き家の愛知県津島市の長屋も0円だった。結論。家にもあれこれ種類があるが、家は住めればそれでいい。何にもないと言われる場所には、自然がたくさんある。その対極にはコンクリートジャングルの都市。

そもそも、何のために何をしているのか。ほとんど意味が分からないまま生きている。会社に行かなければならないから。働かなければならないから。しかし、何のために?人は、おカネを手にして豊かになるかと思いきや、ほとんど同じモノを手にしている。それぞれの単価が高くなるばかりで。他人との比較でよりよい家や服や飯や車のために。

誰かがつくった価値を求め続ける限りは、満足できない。どこまで追いかけても消費しかない。ところが、ひとつ生産してみると、視点が変わる。つくる喜びを知る。誰かにとっては、何でもないモノコトが美しく見える。それは成長するから、育てることができる。誰かに与えらたモノコトは成長させることができない。成長しないのは、自分で選んだ夢ではないからだ。誰かに便乗していたり、他力本願だったり、自分でイメージをコントロールできる環境にいないからだ。

f:id:norioishiwata:20170411225213j:plainそれは種を手に入れるのか、もしくは誰かが種から育てた果実を与えられるのかの違い。少しの違いが大きな違いになる。人間は皆ほとんど同じだから。だけど、失敗するかもしれないけれど、自分で種を撒いて、育んでみて、消費者から生産者になることは生活の革命だ。パンを買うのか、焼くのか。選択こそが創造だから。自分のイメージを大切に育ててみることが、人生をつくる。

ぼくは、夢が現実になった途端に次の夢へと逃げる。そうやっていつまでも、素人のままでいる。なぜなら、ビギナーズラックがあるから。それはコントロールできない天然の魔法だから。コントロールできない奇跡を操る技術。大人なのにバカみたいな話で、子供のままでいることをピーターパンシンドロームというらしい。子供のころ、母親から教えられた。ところが、大人よりも子供の方が、柔軟かつ発想が豊かで、ハッピーな日々を過ごしていると思わないか?

f:id:norioishiwata:20170411225826j:plain子供のままで何が悪い? 永遠に子供のままで死んだってOK。「星の王子さま」に感動した心は、老人になっても失わない。大人になるってことが、みんなと同じになるってことなら、いつまでも子供のままでいい。人が住みたくない小さな古い家で、何にもないといわれる自然のなかで、ヒーローごっこをしながら、生きていたい。大丈夫。既に、いくつもの種を持っているのだから。あとは撒いて、芽が出ることを信じて見守るだけでいい。