いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

あまりなにもない日の収穫

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まだ冬だ。先日、火鉢をみつけて、使ってみた。炭を寄せ集めて火をつけると、これは暖かい。ほんものの火は、いくら眺めても見飽きない。オレンジや黄色に燃えている。

ここ数日は、うまくいかなかった。親切で貸してもらったチェンソーのオイルとガソリンを入れ間違えて壊してしまった。
 火鉢用の炭も自分でつくってみようと、イノシシが空けた穴に、穴窯をつくってみた。いろんな方法があるけど、もっともシンプルな原始的なやり方がいい。翌朝、穴を掘り返したら、生焼けで炭はできていなかった。

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 思い出しては、原始的なやり方で火起しをしているのだけど、手にマメができたり、両腕がパンパンになったりで、煙は上がってもまだ火をつくれないでいる。

この冬は古民家で越すと決めて、やってみれば、できないことばかりだ。むかしのひとは、強かったんだと思う。強かったのでもなく、そうなるしかなかったのかもしれない。

 今日、起きたらチカラが出なくて、何をしたらいいかと考えて、ストレッチの体操をしたけど、スッキリしなくて、facebookを覗いたら「冬のこの時期は、鬱になる人が多い」と投稿している人がいて、なんだ季節のせいかと思ったらやる気がでてきた。

冬は春の展示に向けて、制作しているがなかなか完成しない。本の出版の計画も進んでいるけど、まだ書店には並ばない。だから、目の前ことをやるしかない。遠くの未来や場所のことを考えるより、目の前の小さな積み重ねをした方がずっと気分もいい。

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 昼前にチフミが火鉢にサツマイモを焼いてくれた。つまんでいるうちにお昼になったので、昼メシはいらないな、と話していたら、小麦粉を丸めてあるから、それを焼いてみることにした。煎餅みたいな何かと思っていたら、ピザ生地だった。もしくはナン。知らないって面白い。食べられるモノを焼けば、何かしらのモノになるらしい。実際、チフミは、小麦粉を丸めたのから、うどんや餃子の皮もつくるようになった。

 午後には、昨日修理に出したチェンソーが直った連絡があり、昨日提出していたゴールデンウィークに東京の恵比寿で廃材を使った展示案についての前向きな返事もあって、進んでるような気持ちにもなってきた。

 今夜はほんとうに冷える。トイレは古民家の外にあるから行くのがキツイ。だけど、外に出て見上げると、満天の星空が広がる。いまは冬。次は春。冬があるから春が嬉しくて、うまくいかなかったり、つまずいたりするから、進む喜びがある。

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 特別な日よりも、あんまり進まなかったり、少しだけしか出来事がなかったような日の方が、気持ちを整理したり向き合えていいかもしれない。夕方、キジが飛んでいくのを見た。