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貧しいは幸せなのか?

生きるための芸術の記録

正直なところ、ぼくは貧しいと思うことがある。欲しいモノはいつも買えないし、贅沢な暮らしができる訳でもないし。なぜなら、アート作品をつくって売るのが唯一の収入だから仕方ない。そんなにたくさん高額で売れる訳でもないから、どうしたって質素な生活になってしまう。

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だけど、不思議なことに、このシンプル極まりない毎日がとても楽しい。朝起きて寝るときまで創作のことだけを考えて過ごしている。アリとキリギリスの話しだったら、ぼくはどっちなのだろうか。好きなことしかしないぼくはキリギリスなのか。

何をしているかと言えば、朝から晩まで春の展示に向けて動物をつくっている。アートとは、色とカタチの組み合わせで鑑賞者の心を捉えて離さない「モノ」をつくる競技だと思っている。その「モノ」がどのようにつくられたかも含めて魅力的であるべきだ。

だから材料についても欲が出る。どこからきて、やがてどうなっていくのか。展示を終えたり、所有者が飽きてゴミになるようでは、目指すところのアートではない。

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つまりすべてが自然からつくられれば、とても美しいと思う。森を整備するのに家主さんが切った木を燃やすので、野焼きをやってみることにした。火と土と水でつくられる陶芸は、すべてが自然の要素で構成される。野焼きは、縄文土器のつくり方で、アフリカではその方法でいまでも陶器をつくっているらしい。

日本の陶芸はかなり技術的に進歩していてそのやり方に従うなら素人には手が出せない。日本は技術先進国だから何だってやり方が細かくて複雑だ。だけど、歴史をずっと遡れば、原初の技術がある。それは自然さえあればいつでも何処でも実践できる「野生の技術」だ。

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おカネがなく、モノを買えないから、おかげで工夫をするようになる。日本人も50年前は、自然から便利を生み出して暮らしていたが、みんなが豊かになることを目指して高度成長を遂げた。おかげでぼくらは、不自由なくモノを食事を与えられて育った。

ところが、ここにきて時代が変わりつつある。モノがいらなくなってしまった。所有することは豊かさではなくなってしまった。たくさん働いてたくさん消費できる生活は、成功ではなくなってしまった。

ぼくは2つの時代を生きているのかもしれない。誰よりもたくさん知識やモノを蓄え、ほかのひとよりモノコトを持っているという価値の時代。できるだけ所有せずに身軽にシンプルに生きることに価値がある時代。

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だから、ぼくはやっぱりいろいろモノが欲しくなってしまう。背反する2つの時代の志向性が、いつも衝突する。欲しい、なぜ欲しいのか、いらない。いや欲しい。

 消費欲はずっとあって、本はいつも欲しい。20代30代は、本を集めていた。読まない本、眺めるだけの本、買って満足の本、たくさんあった。いまは、コレクションを増やす前に、図書館にいく。本棚の間を歩いていると、興味ある本が手元に集まってくる。実は、こうやって集まってくる本は、そのときの自分の興味を映し出してくれる。

 「最古の文字なのか?」
 ー氷河期の洞窟に残された32の記号の謎を解く
 ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー著

 「土器づくりの民族誌
 金子守恵著

 「魂をゆさぶる歌に出会う」
 ーアメリカ黒人文化のルーツへ
 ウェルズ恵子著

 民族音楽紀行
エスキスモーの唄
 小泉文夫

 「芹沢銈介全集」 2巻 16巻

という具合に。
 図書館に行き、本を選ぶと消費欲がかなり減る。たくさんあるモノのなかから興味あるものをみつけるという行為と消費が結びついていると思う。

 必要のないモノまで相手にしていては、ほんとうにやりたいこと、やるべきことに費やす時間がなくなってしまう。残念ながら、1日はどうやっても24時間しかない。その限られた時間をどう愛と感謝に満ちて過ごすことができるのか。宮本武蔵は「無駄なことをしない」と五輪書に記している。

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 結局のところ、夫婦でアート作品をつくって生きるという、ライフスタイルに挑戦しながら、思うのは嫁のスゴイところだ。
チフミは「わたしは貧しいなんて思ったことはないよ。ご飯も食べれるし、好きなところへ行けるし。」と言ってくれる。
 楽しいときや調子いいときは、たくさん人に恵まれるが、調子悪いときやドン底にいるとき、一緒にいてくれる人はなかなかいない。
ぼくは嫁が理解してくれ一緒に活動してくれるから、こんな生活ができる。たったひとりでも全力で理解してくれる人がいれば、この世界に無謀な挑戦もできる。誰かと比較すれば貧しくても、ぼくら夫婦が生きていくには、これはこれで豊かだったりする。

自分を殺してまで働いておカネを増やしても、幸せはやってこない。自分が幸せになろうとするのではなく、誰かを幸せにできたときに、やっと見える風景なのかもしれない。