【モノと人間】について。なぜ、こんなにモノが溢れているのに少しも満足できないのか。

いろんな場所を訪れて、いろんな人に会って話してみても、満足で幸せハッピーって人間はあまりいないが、なかでもアイルランド出身でバルセロナに移住して活動するアーティストMark Reddenだけは、子供のように創作と戯れていた。空き家に暮らし舟をつくって自然と戯れるライフスタイルは、彼の影響で始まっている。感動を素直に表現すれば、それはオリジナルになる。学ぶは真似ることだし、始めるに遅いなんてことはないから、いつでもスタートすればいい。今すぐに。

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東京の家を片づけて、身の回りのモノがなくなって感じるのは、季節のせいもあって寒さ。いよいよ冬がやってくる。今年の冬は、岐阜県中津川市の古民家で越す予定。そこで冬に直撃されてみたい。

 空き家を巡り学んだことは、江戸時代から昭和初期までの民衆の暮らし方だ。かつて人々は、自然や身の回りにあるモノを駆使して生活していた。材料にも限りがあり、ないものはあるものと交換して手に入れた。だから、モノを大切にする文化があった。
 中津川の古民家のお父さんの子供の頃も物々交換だったらしい。ほんの60年前の話しだ。
嫁の実家で余っていたお菓子を貰ってきて食べている。物が溢れる場所では魅力がないお菓子も、モノが少ない我が家に来ると重宝される。これいかに。学ぶことが多い。

 千利休の「家は雨が漏らなければ、食事は飢えなければ」を参考にしていたが、考えてみれば、利休は、その言葉とは正反対の栄華を極めていた。ここには見逃していた奥儀が潜んでいる。むしろ宮沢賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の方が今の気持ちに響く。

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この3年間の活動から見えたのは、
ニューヨーク、マンハッタンの高層マンションに暮らす人々、その路上に生きる人々、ザンビアの泥の家に暮らす人々、東京で身を粉にして働き、働いては消費を繰り返す人々、地方で手に仕事を持って余暇を楽しむ家族、地方へ移住して自給自足に取り組む人々、快楽を貪る人々、捨てらた家たち、活用する路のない裏山の森、人々の暮らしから離れていく海、人間が開拓した場所に自然を回復させようとする雑草、スーパーマーケットに山のように陳列される食品、一方で、食べ物が手に入らない人々、スクラップ&ビルドな建築と行き場のない廃棄物。

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その何処かに自分の居場所を求めるのではなく、そのすべてが自分の世界で、その世界に生きる誰もが悩みを抱えている。その悩みを突破できるのは、ただひとつ【楽しみと喜び】だ。それを表現するのが芸術だと信じている。誰がなんと言おうと、喜びや楽しみを日々の暮らしに手繰り寄せ、憎しみや悲しみを遠ざけることだ。言うのは簡単だけど実行するのは難しい。世の中のほとんどは、ネットもテレビも雑誌も、妬み憎しみ悲劇を語る。それらを押し退けるチカラは【生きる目的】だ。

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だからこそ

冬の間
美しい暮らしを探求し
創作に専念して
雨ニモマケズ、風ニモマケズ、僕ハ、デクノボウニハナラナイ】
である。