いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

釣りの神様現る。

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朝から、アジ釣の大漁に期待していた。150匹も釣れる方法を教えてもらったから。午後に釣具屋で、サビキの仕掛けを買う。サオは、釣り師のおじさんに教わったモノが分からず買えなかった。
しかし、ぼくにはカヌーがある。人が行けない場所で舟の上から釣りをすれば、効果絶大なはず。

予定の4時にカヌーを海まで運んで、漕ぎ出し、海の真ん中で釣りを始めた。ところが、何度やっても釣れない。釣り師のひとは150匹釣れると言っていたのに。

1時間ほどで諦めて波止場に移動。そこで再開すると、チフミが一匹釣り上げた。そこに現れたのが、昨日の釣り師のおじさんだった。


「お、教えたサオ買ってないな。」
「とりあえず仕掛けとハリだけ買いました。サオはお店の人にうまく説明できなくて買えませんでした。」
「それじゃ駄目だ。こっちきなさい。」
おじさんが指定する場所へいくと、サオを貸してくれ「これで釣ってみなさい。」と。


長いサオを海に入れると、仕掛けがスーっと海に吸い込まれていく。すぐにピクピクッと引きがある。釣り上げるとアジ。そこからサオを入れれば釣れる状態。何度もやめようと思いながら、あと一匹と、もう手に負えないほど釣り上げてしまった。おじさんにお礼を言うと「明日も来て釣りなさい。」とサオと仕掛けを貸してくれた。

喜びもつかの間、帰りながら50匹近くものアジをどうしようかと不安になってくる。家に着くと、大きめのアジを刺身にして食べた。残りは、頭と内蔵を取って揚げて食べた。

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採れなければ飢えるし、採れ過ぎれば、無駄に生き物を殺すことになる。実は、近所の漁協では300円でアジが売っている。サオや餌代や釣りをする時間を考えると、買う方が安かったりする。文明化された人間だから「買う」というオプションもまた必要な安心感だったりする。捕る、買う、獲らないの選択肢がある。それを楽しめる環境が自然と共に暮らす魅力かもしれない。

生きるための技術、参考書として愛読する宮本武蔵五輪書には「いくつもの芸に触れること」とある。釣りをやって知ったのは「道具と場所」が重要だということ。「ツールと環境設定」とも読み替えできる。
ぼくは勝手勘違いなやり方で魚を捕ろうとしたが、それでは成果がなかった。闇雲にやっても結果が出ない。その道のやり方を知れば、それなりの結果が出るということだ。たとえば、アートの世界でも同じことなのかもしれない。