いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

1日の中に自然と戯れる時間さえ持てれば

朝起きて、嫁と一緒に畑に行った。2年前にモロッコ式の窯を泥でつくった嫁の両親が持っている土地で、昨年、近くで山火事があったので自粛もあって放置してあった。

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畑は2mも伸びた雑草に覆われ、そこから窯の姿さえ見えない。窯の様子を見るために草を刈って刈って、まるで開拓使の気分だった。全身から汗が止まらなかった。夏の太陽がヒートアップさせる。やってもやっても窯に辿り着かず、ついにぶっ倒れた。日陰で休んだ。それだけ自然の中で身体を動かして気分は爽快だった。また再開して休んでを繰り返した。
できることなら、開墾して耕して野菜を植えたかった。しかし今回は、そんな時間がないから、と思いながらも、時間はいくらでもあるのに、ないと決めているのは自分な訳で。だから、秋にやることにした。今年の夏は、海で過ごすと決めている。日本の夏は短いから。

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朝8時から2時間やっても窯は見えず、今日はこれぐらいで終わらせることにした。雑草を刈りながら、世界中に、大地を耕している人々がいることを想像して、その仲間になれたようで嬉しかった。

帰るため、車に乗ると、蜂が入ってきた。窓ガラスに向かって飛んで、それ以上進めないのに、まだ飛んで、反対側に逃がそうとしても無駄だった。反対側に飛べば、広い空があるのに。やがて蜂は、力尽きて死んでしまった。この蜂は、必要のない欲望に突き動かされている人間みたいだった。果てしない欲望システムから抜け出して、社会が示す反対側へ歩けば、自由があるのに。

しかし、自由だからと、安楽ではないし、社会の反対側は自然だから、不安定で混沌としている。だけど、疲れたら休めばいいし、違うと思えば、その方向に進まなければいい。それだけの単純なこと。だから、自分のなかの自然な部分を開拓して道を切り拓いていく。

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