いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

主役は誰なのか。絵は何を語るのか。それを知るために書くこと。

ギャラリーにタイトルやサイズ、値段などの資料を提出する期限だったので昨晩まとめて作業した。今朝は起きてから、プレスリリースを作成。

ぼくら夫婦の作品と活動は、ギャラリーの枠に収まりきらないと考えている。もちろん、作品はギャラリーに展示されるから、鑑賞者にそのメッセージやモノとしての魅力を伝えるものであり続けたい。その一方で、はみ出して溢れてしまう日常に溶け出していくエネルギーを与え続けたい。つまり作品が、ギャラリーで溢れだす魅力を放ち、活動は、その外へと飛び出していく。

日常に溢れていくアートのエネルギーは、経済圏からはみ出していく。金勘定で線を引けば、それ以上の領域を拡大できないから、ぼくらは街や自然の中でアートを表現し、限界を超えていこうとする。

ニューヨークの地下鉄で「仕事ください」という手書きの紙を拾った。また別の日に地下鉄の電車の中で「お金をください」と歩く人がいた。それを聞いた人が「あなたは、働けるのだから仕事を見つけてお金をつくりなさい」と言った。また別の人がその出来事に「ファックユー」と言い放った。

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ぼくはその手紙を材料にしてこの作品をつくった。

作品をつくることはスポーツ選手のようにストイックに技術と感覚を研ぎ澄ますことだ。チフミはそれを「気合いと根性」と言っている。

出来上がった作品は、出会いをセッティングしさえすれば、目に触れる機会を与えれば自ら成長していく。出会いが物語を編み出していく。

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今日の午後は、ハーレムのようにスラム化したNEWKRIKの駅前でティピを建てた。意外にも通行人はあまり気にしてない様子だった。駅前の物売りのおばさんたちの列に入れてもらい、撮影した一枚。ティピは日常を切り取るための道具なのかもしれない。主役はブルックリンの日々を生きる人々。明日もまた撮影に出掛ける。