いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

シンプルさとは、全部を削っても残ってしまう諦めの果てに見えること

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昨日はチェッラがバーベキューパーティーに招待してくれた。7月4日はアメリカの独立記念日で昨晩は近所の家々がホームパーティーを開いて遅くまで盛り上がっていた。ほんとうにこの街の人々は音楽が大好きだ。
昨日も朝から制作して夕方、チェッラのバーベキューパーティーに参加していろんな人と話してみたものの英語力不足で息切れ。パーティーの選曲がスペシャルズで今の世界の気分なんだろうか。大好きな曲たちがたくさん聴けた。

遊んでも寝ても起きても考えるのは作品のこと。純粋によいと思える逸品を誕生させること。手癖や慣れを超えなければ辿り着かない。
答えが出ない作品をチフミが没にしようと言った。確かにもう迷宮入りしていた。返事に困っていると「全部白く塗り潰そう」と話しをチフミが進めた。その作品は真っ白になった。それでも2つの要素が残った。六角形のパネル、黒人女性をモチーフにしたシンボル。
さらに作品に日本から持ってきた紺色の布を張り付けることになった。どうやって? いつも作品ひとつひとつに新しい方法を試しては繰り返して答えを探している。
紺色の布を綺麗に貼ること。綺麗に仕上げることは単純化への道だが厳しく狭い。細かい作業が要求される。

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アートを選んでその道を歩いてきて、また新たに学んだというか、発見と気づきと崖っぷちに立って、さらに先が見えた。極限まで削らなければ答えは見えないのかもしれない。作品という単位の表現の奥深さ。今、制作している六角形のシンボルが完成すれば今回の到達点になる。あと少しあと少し。

今回、ニューヨークに滞在して、ぼくらが暮らしたのはブルックリンのフラットブッシュという下の方。マンハッタンと比べたらまるでニューヨークではない。住んでいるのは黒人ばかりで、カリビアンらしい。だから音楽も食べ物もカリビアン。ぼくは装いばかりのマンハッタンよりフラットブッシュの方が好きだ。というかマンハッタンの傍にありながらもアフリカのようなこの街が好きだ。だから、作品のシンボルは黒人女性になった。

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ぼくら人類はどうしてこんなに違うのだろうか。違うのにとても同じなんだ。
作品を展示するためのコンセプトをそろそろつくらなければ。今回の目的はブルックリンとセッション。つまりフラットブッシュと。残りの数日で生きる芸術を記録していこう。