いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

I’M NOT HERE

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朝からオススメのセントラルパークへ。頭の中には制作中の作品たちがチラつく。イメージを捕らえたと思っても目の前に現れた途端、次の理想に姿を変える。
公園を歩いているとジューイッシュ美術館を発見。オープンが11時なので入り口から様子を覗いて、メトロポリタン美術館へ。

世界中の至宝を集めた巨大な美術館のエントランスで、入場料25ドルを2人で足したら5000円、だったら絵の具を買いたいと、入場を諦め中の本屋でイメージを物色。

絵の具を買うために地下鉄で移動。ブロードウェイを歩くうちにホームセンターを発見。絵の具は白があれば、あとは薄める量で調節できる。10ドルのペンキと7ドルの12色のアクリル絵の具セット、漆喰=プラスターを購入。これで材料はほぼ揃った。

ニューヨークでいくつもの作品を見てハッキリしてきた。
主題が明確であること。つまりシンプルさ。色の組み合わせ。線や色の描き方や塗り方、仕上げ方。それらの総合点で美しさが変わる。言葉にすれば簡単だが、実現するには相応の技術が必要。自分の場合は偶然性にその可能性を託している。その偶然性をどれだけコントロールできるのか。画面はシンプルになるほど難しいパフォーマンスになる。偶然に委ねるから結果はやってみないと分からない。

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あと少しあと少しとアート作品のクオリティーを追求する日々。ニューヨークに来て、もっと仕事をしたいと思うようになった。つまり、経済社会で貨幣を獲得し、その価値を理想とする社会へと投入する。貨幣が社会をつくる血液ならば自分がハブになるべきだ。それもまた社会彫刻のひとつ。

理想的な暮らしや社会をつくるのと、目の前に理想的な絵画をつくるのは同じ作業かもしれない。何度もトライして理想に近づきながら軌道修正して未だ見たことのない理想へと接近する。それはカフカの城のように永遠と思えるほどに接近できないのかもしれない。その幻想自体がアートなのかもしれない。

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