いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

ニューヨーク、ブルックリン体験で表現できること。沸いてくるイメージ。

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今日は大学の同級生のかなこちゃんが、ブルックリンに滞在中とのことで、ウィリアムズバーグのフリーマーケットへ。ところが、フリーマーケットダンボというエリアに引っ越していたので、フェリーで移動。おかげで可愛いらしいマンハッタンの景色を拝めた。

ニューヨークに来て、世界にどれほどの格差があるかを体験し、ニューヨーク市内にも格差はあり、それを咎めてもどうしようもない、ましてや日本も同じで。
ぼくが滞在しているNewkirkは、ハイチからの移民地区で、まるでイメージしていたニューヨークとは違う。しかし、この場所に生まれ育ってる人たちの方が現実で、ぼくの頭の中のニューヨークには少しもリアリティはなかった。

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1週間が過ぎてみれば、とても魅力的な都市だと思う。それは世界の頂点であり、世界の歪みの震源地なのかも知れない。しかし、歴史を遡ればアメリカはコロニアリズムの犠牲者だ。もちろん先住民はもっと犠牲者だ。歴史の歪みの真ん中で、表現するアート。しかも誰に頼まれるでもなく、自らこの地にやってきて表現したいことは、人間は国家の上に生きているということ。
その為には旗が必要だ。その旗をシンボルにティピを建てる。ニューヨークの至る場所で。

やはり経済を超えるには貨幣以外の価値を世の中に提案する必要がある。着物で物々交換をしてみよう。パフォーマンスだ。街とセッションだ。

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