いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

始まりは音楽のアルバム。作品をつくるのは自分の表紙であり、ブログや文章はライナーノートで、毎日の生活が音。

今日から制作に没頭する1カ月が始まった。愛知県津島市から嫁の実家の長野県岡谷市へ。岡谷市から元々暮らしていた東京へ。6月の中旬からニューヨークへ。移動しながら作品をつくる。

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朝食の後、嫁チフミの母に頼まれて倉庫の整理を手伝ってシリーズ物の画集をみつけた。ピカソモディリアーニ、クレー、マティスを取り出し、評伝を読んだ。数ページに収められた作品と人生。苦労も悲しみも喜びも失敗も成功も、すべて他人が語り、価値を与えられた作品のみが掲載される。そこには作家の歴史が刻まれている。

午後からは依頼された作品をつくった。それがぼくらの仕事。何百年も前だったら籠や草鞋を編むような生業。何処にいても仕事ができる。

身の回りにある材料でつくるパピエマシェ。キングペンギン、シロナガスクジラナキウサギ。それからFuture with the musicをテーマにした作品。OffToneというフェスを主催する友人のためにつくっている。

午前中には、エジプトで考案した技法「畑」の材料を買いに行った。結局、お店が捨てる梱包材を貰ったので、買い物は、採取に変わった。創造は消費の対極にある。

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こうして生きていられるのが信じられない。それもそのはずで、まるで賭けだ。嫁のチフミは不安だと言う。2~3カ月は生きていける蓄えがあるだけ。それ以降は、どうなるか分からない。

両親は、こんな生活をしてはいけないと教えてくれた。でも言われた通りにしない。どうしてだか納得できなかった。なぜなら自分の考え方があるから。それを試してみたい。そのためにはお金の束縛から自由になる必要がある。

方法は2つ。
お金をつくること。
足を知ること。

だから、作品をどうすれば売れるのか、どうすればその価値が生まれるのか試してきた。生活を軽くするために空き家に暮らした。古い家を直すことが仕事になった。生活水準を低く設定すれば、生活できるようになった。

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人生が芸術だとか、家は芸術だと言ってるうちに、純粋な芸術作品をつくりたくなった。平面作品は、限られたフォーマットで格闘する、そこには道がある。茶道や武道のような。毎日生活するのも、古い家を直すのも、旅するのも、自分が求める芸術作品をつくるための経験だったりする。誰のためでもなく、ただ自分が追求する芸術作品を今際の最高傑作を生み出していきたい。その想いで生きている。明日も明後日も。

アートとの出会いは音楽だった。一枚のアルバムのパッケージ。表紙に音にライナーノート。アーティストと作品について、人生そのものが芸術だと教えられた。一冊の文庫本のあとがきにも、画家の作品集にも、凝縮された生きる芸術が記されている。ぼくはそれらを通じて芸術を学んだ。

だから、作品をつくるのは自分の表紙であり、ブログや文章はライナーノートで、毎日の生活が音。ひとつの作品をつくるように1日を生きて、1日が完成したら、また次の1日を生きて、何十年か、その時々の作品を振り返ってみれば輝いて、自分たちが生きた証しになればいい。