いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

ぼくは全然違う。人とは違う。何も同調する必要もなく、どんどん毎日、変化していく。

今日は制作に専念する日。とは言え、秋に滞在制作予定の土地のオーナーに会う約束がある。

朝から昼まで、パピエマシェのウサギとクジラを制作して、打ち合わせに行った。オーナーは、前回の展示で知り合い、生活芸術というコンセプトに共感してくれ、建物や土地を使ってもいいと申し出てくれた。

自分の中でもやりたいことが湧いてきたので話してみた。

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「簡易的なシェルターのような小屋をつくりたいんです。移動できるんです」
「小屋か。いいね。木や竹はあるから使えばいい。例えば、木の上に小屋をつくるとかどうかな」
「それもいいですね」
「あといらない木がいっぱいあるから風呂をつくって燃やしたいんだが」
「いいですね。風呂つくりましょう」
「竪穴式住居とか」
「それもいいですね」
こんな感じで、話しは展開して、
「木の上の小屋にしても、移動する小屋にしても何かに反抗するメッセージが欲しいな、、」とオーナー。
「では次回、企画をまとめてきます」
「あと君たちが制作して生活する訳だからお金も必要だろう。20万円とか。それもつくる方法はないものかね」

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ぼくは全部を実行する。移動式の小さなギャラリーをつくる。軽トラックに乗ればベスト。
木の上の小屋は寝室。中に蚊帳を仕込む。露天風呂もつくる。竪穴式住居はリビングだ。これらは自然のなかの暮らし。解体する家の廃材を再利用したい。
この展示で目標20万円をつくる。その方法を模索する。

もし、ギャラリーでも展示会場でもない、普通の町の日常空間に展開した表現で価値を生み出すことができれば、もう何処だって生活芸術できる。例えば、小屋ギャラリーと風呂を軽トラックに積んで巡業するとか、それも素晴らしい。

オーナーは、土地を歩きながら、ミカンや桃や梨の木を見せてくれた。自然そのものが美しく、映える緑色もまた美しかった。

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