いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

成長期を過ぎて老齢に入った日本社会を愛おしくハグするような思想と行動が必要だということ。

寝る前に閃いた。戦後から驚異的な成長を遂げた日本社会は、いよいよ高齢化を迎え、その安全かつ快適な着地点を必要としている。高度成長は既にピークを過ぎて、下降線を辿っている。しかし、経済力を落とす訳にはいかないから、国家をマネジメントする側は、必死の舵取りをしている。これをいくら批判しても呪っても、悪態ついても時代は好転しない。

テレビや新聞やインターネットで、どうしようもないニュースしか見えてこないと思うなら、そんな君は、未来の日本を受け止める世代だということ。

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100年単位で眺めてみれば「今」は過去と地続きで、日本の「今の始まり」は、イギリスで起きた産業革命の波が、日本へ伝わった江戸時代から明治への転換期へと遡る。簡単に言えば、そういう流行の波がやってきた。
歴史とは、常に勝った側の都合で書き換えられる。江戸という腐った時代を近代化に塗り替えた明治政府を讃える教科書を読んできたが、それが正しいという訳ではない。戦国時代を統治した江戸時代は、鎖国もあって争いのない、ユートピアだったとの見方もある。その検証はまたの機会に。答えはいつだってひとつではない。

近代化を遂げた日本は、勢いをつけ、世界の列強国に名を連ね、世界大戦へと突入していく。これも植民地獲得という大流行が背景にある。第二次世界大戦でコテンパにやられて、世界に2度と武装しないと約束させられた。

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しかし、この敗戦から日本は驚異的な復活を果たした。復活というよりは、全く新しい、都市を中心とした国づくりに成功した。それは、ほんとうに急成長だった。おかげで、世界を旅しても日本を知らない人はいない。「今」という現在は、先人たちが築いてきた歴史のうえに成り立っている。両親の時代、祖父母の時代、曾祖父母の時代。ほんとうは、歴史に記録されない、毎日を生きた人々の生活が今も過去も積み重なって、この世界をつくっている。

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つまり「今」という最先端をすべての人間が生きていて、答えのない未来を模索している。会社の経営も、国家も、ひとの人生も、答えなんかない。

そう思うと、いまを築いてきた先人に感謝の念が溢れてきた。涙が出た。自分が見ている現実は、自分にしか見えなく、その目の前の世界をよりよくしなければならない、と責任を感じた。それを実行してカタチにして、伝えることで前例を示すしかない。テレビもニュースも関係ない。毎日、自分が見て感じる世界をよりよくすることが未来をつくる。

勢いで成長してきた日本は、着地点を模索している。その行き先をみつけるのは、今を生きるすべての人間の仕事。ルールもやり方もないのだから、それぞれのやり方で答えを探している。

何を選んで何を選ばないのか。日々の行為ひとつひとつが、この時代をつくってる。それを観客席から観戦するような態度では、未来は変わらない。
ペットボトルの水を買うのか、水の綺麗な土地に住むのか。ショッピングモールで買い物をするのか、個人商店で買い物するのか。野菜を栽培するのか、農家から買うのか。暖房のスイッチを入れるのか、厚着をするのか。どの行為もが、この時代をつくっている。選挙では政治家を選ぶが、日々の選択では、社会をつくるという大きな責任がある。

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流されるものの中に流されないものをみつける。NOと言うエネルギーを、ひとつでも多くのYESをみつけるために費やすこと。

自分でゼロから価値を作り出すような発想や技術があれば「経済にならないモノ」「情報化されていないモノ」に、価値を与えることができる。なんならマイナスをプラスに変えるような。視点を変えれば、まるでゴールドラッシュのようで、至る所にチャンスが転がっている。
インターネットの情報にも溺れることなく、必要なモノ・コトをリサーチするメディアとして活用すれば、生きる技術をいくらでもみつけることができる。
常に「今」という瞬間は、最先端だから答えがない。社会からこぼれ落ちていく、喜びや悲しみを両手で掬って、それをまた、社会に戻していくような経済活動ができたらいい。要らないとされるモノに価値を与え、人が困っていることを仕事に変えれば、争うこともない。目の前の小さな現実を美しくすることができれば、独立独歩の理想をカタチにできる。

 

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 いくつもの職能をひとりの人間が身につける
情報に流されるのではなく
そこから必要なモノコトを拾い
磨くようなやり方で
いくつもの生きる技術を身につけて
生き延びることができる。

Thanks to 水谷博士

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/