いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

気が向く方に進めば、思いもしない未来が展開する法則

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家を直すようになって、古い家が愛おしくて、朽ちているほど、気になってしまう。津島を散歩していると、屋根が陥没した六角堂の放置されたお寺があって、きっと神様が、そのままになっているだろうから、ぜひとも寺を修理したいと思い、余計なお世話ながらに、寺の隣にある団子屋へ聞き込み調査に行った。


寺の話をする前に、ガラスケースのお団子を選んでいると「津島の民家」という写真集が並んでいた。なぜ団子屋に? 聞けば先代が趣味でつくったという。中をめくると40年前の津島の民家の様子が映っていた。
ページをめくっていると横で見ていた嫁のチフミが「あっ」と声をあげた。見ると、天井に「雲」の書を貼った写真があった。この「雲」の書は、いま改修している長屋にも貼ってあり、その写真集を通じて過去と今がリンクして、驚いた。

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まるで出会うことが約束されていた一冊の本。
あとがきを以下に抜粋する。
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戦前の津島は、お大衆(おでゃぁしゅう)と呼ばれる地主と、借家住まいの貧乏人とがはっきりしていて、お大衆の家が覗けるのは祭の日くらいで、外から見ただけでは、中の様子は想像もつかず、覗こうにも暖簾に睨みつけられているようで、急いで通り過ぎた記憶があります。
そんな神々しいほどに感じた家が、いとも簡単にブルドーザーで、木屑と土の山にされるのを感じて、親しみを感じたのです。それ以来、わたしのテーマは津島の民家に定着し、そのなかに生命を求めて撮影にかかりました。
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いまは亡き団子屋の先代、森平(もりたいら)さんが趣味のカメラを持って、昭和50年頃に自分が暮らす町から消えていく、その痕跡を記録した写真集「津島の民家」と研究書「津島の歴史」の2冊。

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30年以上も前に、自分の前を歩いていた人に、その人の言葉と気持ちに出会えたことに涙が溢れた。30年前に失われていくモノと同じように、いま現在も日常から消えつつあるモノがあり、見えなくなっている。

写真集を眺めながら、チフミが「森平さんの写真展をやったらどう?」

ぼくは気がついた。
呼んでいたのは六角堂の寺ではなく、森平さんだ、と。

森平さんは「木、土、紙、これが日本の家の材料です。」と書いている。家への想いが溢れている。森平さんが記録しなければ、と感じた危機感は、今ではもう絶滅寸前。津島には、ここに暮らす人間にしか分からない独特の文化が根付いている。森平さんは、その根を掘り返して、こっそりと写真と文章で記録していた。

数で表現の価値は決まらない。この写真集と文庫は、小さな出版社から手作りで発行され、何冊売れたとか、そんなこととは無関係の価値がタイムカプセルのように数人の製作者たちの想いと共に「今」まで託されてきた。森平さんの息子さんが団子屋さんで、その本を売っていて、偶然にも、その本に出会った自分がいた。

明日もまた団子屋へ行き、森平さんの息子さんに写真展の話しをしてみることにした。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/