いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

なにから話そうか。独立独歩会議の再開。言語を通じて思考を取り出し現実化する。

イメージをカタチにして伝えること。手法は様々ある。文章、アート、音楽、行動、Webサイト、新聞、テレビに。

己の心の声を聞くために対話をする。情報が過多になるほどに、この手法は有効になる。ニュースやメディアや消費と戦う技術。このブログ「生きるための芸術の記録」がそのシステム。こうして対話を続け5年が過ぎた。

整理をしよう。
愛知県津島市で空村としてスタートした空き家プロジェクトは、築80年の長屋群を舞台に家主のDr.Kevinと共に、この時代を削り出す社会彫刻へと進化している。

木造住宅の構造補強体「トレスパシオ」の発明、鹿児島県のシラスを利用した塗り壁、中空ポリカーボネートでつくった天窓、露天風呂の計画など、家と戯れるクリエイティブが爆発している。

ぼくがこれからやるべきことは、愛知県津島市での取り組みをどう社会に伝えるか。

いま社会の窓口として2つの連載を持っている。
ひとつは、よりよい暮らし方を提案するWeb Magazine -Yadokari での「生きる芸術
ひとつは、地域活性・移住系のWeb Magazine ココロココ での「古家採取活生計画」

これらのメディアを活用して愛知県津島市の長屋群を「ルミエール/光ノ長屋」と名付け、入居者と協力者を募りたい。ここは、芸術作品で、人が出会い生まれる物語を紡いでいく社会彫刻の作品になる。

この場所に2人の60代女史が「怒りを笑顔に!築80年の長屋群につくる再生エネルギー、冥土カフェ」という企画を立ち上げた。

昨年の夏から空き家に興味を持ち、行動してきて、ようやく分かったことがある。何かの問題に関心があるなら、直接関与するのがもっとも答えに近づく方法だ。宮本武蔵五輪書で言うところの「相手の懐に踏み込む間合い」だ。

つまり、空き家に興味があるなら、その人が空き家に住めばいい。家は屋根と壁と床でつくられている。それ以上はすべて付属品。それほど原点回帰すれば、ぼくらの人生は、消費の呪縛から解放され軽くなり、どこまでも妄想を飛ばすことができる。「妄想こそ成功の始まり。」来年は、再生エネルギーで運営するカフェの可能性が見えてきた。

家主のDr.Kevinは、この広がり続ける活動を捉えるコンセプトを探し「ブリコラージュ生活」とネーミングした。ブリコラージュとは、文化人類学者のレヴィストロースが「野生の思考」で提唱したコンセプト。日本語で「器用仕事」と訳されているが、ブリコラージュはもっと広い意味を持っている。

計画的な職人の仕事ではなく、素人が身の回りにあるものを用いてつくる技術や、接点のないモノ同士を偶然に結び付ける意味であり、日本語では「仕合せ」が適してるように思う。
つまりブリコラージュ生活のススメを「仕合せ仕事 -生活芸術のススメ」とした。このコンセプトは、そのまま新しく書く本のタイトルにしたい。

2013年からのヨーロッパとアフリカの旅を「生きるための芸術」として一冊の本にした。完成しているので、展示して受注生産することにした。とりあえず30冊売れた。

出版社から流通すれば、全国に広がりたくさん売れる可能性がある。だが、出版社が出してくれないから、本の存在意義が失われる訳ではない。こんな本を5巻シリーズで続ければ、まさに「生きる芸術」作品として完成する。その方がミラクルな可能性を示すことができる。

ぼくは何ひとつ諦めないし、お金をつくりながら生きるということが、創作活動そのものだ。未来を生きる者たちへ、君たちが考えて選ぶすべてが創造であり、そのチカラが社会をつくるんだ、と伝えたい。

ぼくは人間がもっと美しく生きる方法があると信じている。

 

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/