いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

今年の秋は長く、春のような陽気で暖かかったが、今日から一変して寒い雨になった。冬がやってくる。

10月20日に津島市に来たので、ちょうど1ヶ月が過ぎた。毎日空き家を改修して、できないことに挑戦して「家」というモノと向き合ってきた。これから提唱したいのは「家は道具」だということ。

ぼくらは、望む未来のために変わらなければならない。ひとりひとりが人間として独立しなければならない。その自由を獲得するための武器が「家」だ。

例えば家を快適な空間にしたければ、既製品を購入する。何十年ものローンを支払って。利息は銀行の利益で、家を買ったひとは余計なお金を払い続ける。
一方で、ボロボロの誰も欲しがらない空き家は、場合によってはゼロ円で手に入ることもある。屋根と壁と床があるのに。古い家に暮らして困るのは、夏と冬だ。夏はクーラーをつければ、快適に過ごせる。しかし、冬は隙間から冷気が入って、防ぎようがない。日本の冬は1年のうち、4ヶ月だ。なかなか長い。

ずっと生き方について考えている。たぶん、これからもずっと。できないことに挑戦して、どうやればできるのか、新しい可能性を開いて、完成したスタイルを捨てて、リニューアルしながら、生きていていきたい。

空き家に取り組んで、思うのは今なら賃貸物件をつくれるということ。まだ空き家を攻略できる人は少ない。つくり手だけではなく、ユーザーの意識も開拓が必要。

津島市で取り組む空き家を「ルミエール」と名付け、可能性の光になることを目指している。

ぼくたちは、飼育されている。商品を購入して経済社会の道具になるように。しかし、ぼくらは道具ではない、人間だ。本来、人間が利用するためにつくられたモノに利用される本末転が人間の性。その性質に気がつき、習慣を変えることから別のシナリオが始まる。つまり、わたしたち自身が商品から自然へと生まれ変わらなければならない。

イメージするのは、経済からある程度自由になれば、冬の間は、暖かい場所にいって活動して、季節と気候に合わせて拠点を変えてみたい。いま津島市と東京の2拠点が、もっと拡大するような。

着想がなければ、そのようにはならないし、イメージがあるなら、少しずつそっちの方へと歩み寄って行けばいい。お金の量で判断しては、勘が鈍るばかりだから、直感に従って、流れていけばいい。愛するモノや好きなコトと戯れながら。

所有しないで、空き家を理想的なので商品につくり変えて生きていける、そんな可能性がある。きっとイメージしていれば出会うだろう。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/