いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

1年前に夢見た世界に生きている、夢から夢へと人生は続く。

空き家を直して暮らしたい、と1年前に言い出して実際やってみると、できないことだらけだ。そのはずでぼくは建築家でも大工でもない。唯一関係あるのは保育園の卒園式で将来は大工になりたいと言った経歴があるだけ。

どこから手をつけていいのか。
垂れ壁をMr.Kevinと一緒に壊したのをきっかけに、壁を土壁を壊して、改修に必要な部分に削ぎ落とされた。Mr.Kevinは長屋の大家さんで、ぼくたちの夢を叶えてくれたパトロンで、彼にとってぼくらもまた彼の望みを叶えるプレイヤーである。そうありたいと考えている。突破できる箇所はただ一点のみ。

やったことないことは、習性のみが行動原理になる。
ぼくは、失敗も成功もなく取り敢えず行動して経験値を重ねるタイプ。チフミは掃除や片付けが得意で、廃材をどう処理するの考え、土壁を壊して出た土を再び使えないか、と言い出した。どうなんだろうね、と未経験者同士で頭を悩ませていると、チフミがMr.Kevinのメモを読んだ。

土壁の再利用のことが書いてあった。藁を混ぜた土壁は、年月を経て程よく腐って粘りが出る。また畑の肥料としても使える。Mr.Kevinはアドバイスをくれたり、トンデモナイ発想で、いつだって勇気を与えてくれる。

廃棄物寸前の壊した土壁を集めて実行してみた。
水と混ぜると具合のよい粘土ができあがった。ああ、これは幻だ。アフリカの印象。2013年にザンビアで泥の家をつくり、日本でもやってみたいと夢を見た、その景色が目の前にある。ザンビアの泥も日本の土壁も同じ技法で、それは人類に共通する自然の知恵だった。古い家は、すべてが自然の材料でつくられている。だから、仕組みが簡単に理解できる。日本人も100年前はそういう家に住んでいた。

天井を剥がして現れた野地板
腐っていて取り替えたいと思った。業者に相談すれば全部取り替えましょう、と言われるのがオチ。「誰も頭を使って考えない」とはMr.Kevinの名言だ。ぼくも自分の頭を使わずにMr.Kevinに相談すると、傷んだ箇所だけ交換する方法を教えてくれた。


家というモノ
40年間、家というモノをどうにもできないでいた。絶対に逆らえない象徴のような存在で、人生を賭けて手に入れる城のように思っていた。素人が触れると危険で高価な複雑なモノだと思っていた。ところが今ぼくは、家という象徴を破壊して原始の状態へと回帰させている。家に関する商品とサービスと技術へ中指を突き立てている。価値も伝統も技術も壊してゼロに戻している。

この作業に名前を与えたい。家だけではなく、現代社会は、すべての存在がこの魔法にかけられている。人生も愛も!

ぼくは10年前に小説を書いて、それは未来を予言する本だった。確かに現代社会は、何が嘘で本当だか分からない時代になっている。

いま中津川の古民家を舞台に100年前にタイムスリップしたような暮らしを再現する計画を立てている。また次の夢へと潜り始めている。


夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/