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昨年からスタートした空き家プロジェクトは来年の春には完成するリアルタイムのドキュメンタリーだ

昨年からスタートした空き家プロジェクトは、数々の受難を経て現在に至るも、まだ始まっていない。まるで幻の映画のように夢と可能性の狭間を彷徨っている。ほんとうにいよいよ始まる直前で、来年の春には全く予想もしなかったような未来が用意されている素晴らしいドキュメンタリーだ。

常識の外にこそ、革命の卵がある
詳しくは別にまとめるとして、今は津島市で家の改修を計画している。家主さんと共に木造建築のDIY耐震化を試みて、いよいよ検証するのみとなった。この話をすると多くの人が驚いたり眉唾な態度をみせる。しかし、そんな常識の外にこそ、革命の卵がある。これは発明という類いの作品だ。

小さなシャワールームをつくるべく、シャワーユニットの手配や、ガス・水道の施工をする業者を探している。自分たちでやれることはやって、それ以外は発注するも学びながら、極力出費を抑えて家の改修を計画している。

今日は、津島市の不動産屋さんと話した。ぼくたちの計画に度肝抜かしていた。つまり半分くらい信じてはいなかった。最近はそんな反応にも慣れてきた。なにせ、家はボロボロなのだから。でもその古い家をビンテージとして流通すれば、それは価値あるモノへと商品化する。やるのはぼくであって他の誰でもない。その未来を信じる仲間が少なければ、より一層革命的な仕事になる。最期までやり遂げることができれば。

「死」をデザインすること=生きる芸術
幸いなことに、プロジェクトは1年に渡り継続している。関わる人間は変わっても物語は続いている。ぼくたちの計画に興味を持ってくれ、来年の春から、ここに住みたいという人も現れた。

未来の住人は「多世代のコミュニティーをつくりたい。老人がいたり、若者がいたり。お店があったり、この場所から生まれる経済があって。」と語った。お寺の留守を預かるその友人が「うちには檀家がいないから、樹木葬にしてもいい。もうお墓のことを心配することもない。」と話してくれた。

生きることをテーマにするぼくにとって「死」は表裏一体で同じ看板だ。死んだらどうするのか。お墓を買って埋葬してもらうのか。誰に?
「死」をデザインすることも、また生きる芸術の重要な技だ。その解決策が現れたことに感謝して、そのためにも、この場所を完成させたいと切に願う。


幻の映画は人生=夢のキャスティング
長屋を活用するために、その活動をやり易くするために津島市のゆめ町事業という企画にプレゼンをして助成金を受けることになった。

企画は、古い家を直す技術のワークショップ、全3回。第1回目は、床貼りワークショップで「ナリワイ」で知られる伊藤さんを招聘。盗まれない生き方をつくるをコンセプトにしたナリワイは、学ぶところが多い。繋がりが持てたことが嬉しいし、いろいろ吸収したい。

第2回目は屋根をやる予定だったが、安全性から壁に変更したい。ザンビアで泥の家を建ててから、日本で土をつかった建築が可能か調べていたら、左官の土壁こそが日本の土文化であり、失われつつあると知った。「日本の原点シリーズ7土」という書籍で紹介されていた久住章さんという左官職人が灰屋という土でつくられた小屋を紹介して、この人だと閃いた。幻の映画を実現するなら、夢のキャスティングに拘りたい。

失われつつある生活芸術を求めて
今日は久しぶりに6時過ぎ早起きしてランニングして、8時に温泉に行き、9時に図書館へ行き、オオカミに関する資料と、プルーストの「失われた時を求めて」を借りてきた。午前中は、段ボールと小麦粉でつくるパピエマシェのオオカミを削りカタチを整え、また段ボールを貼って陽に乾かした。

午後は、改修のための建材を求めて車を走らせた。自分の家なら適当で構わないが、別の誰かが住むのであれば、喜んでもらいたいし、快適な空間にしたい。この感覚こそが、芸術に必要な気持ちだ。それが美しさの源でもある。暮らしをつくる芸術のために生活芸術というコンセプトを新たにつくり始めている。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/