いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生きる技術から生きる美術へ。人生は、肩書に関係なくすべての人が道の途中。立ち止まらなければ、美しくなる。

気がつけば、2拠点居住をしている。東京板橋区と愛知県津島市。津島では、300坪の敷地にある4つの建物を再生しようと企んでいる。最近では、よくある話らしい。「空き家再生」「リノベーション」「町づくり」しかし、誰かがやっていようが、よくある手法だろうが、そんなことは問題じゃない。誰かがやっていたら、オリジナリティーが生まれないのか。否。当たり前のことにクリエティビティーが発揮できてこそ。それが表現することだ。

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古い家の活用を企む理由は舟を漕ぐため
理由はひとつ。ボートをつくるためだ。バルセロナで出会った親友、アーティストのマークレディンのボート、アイルランドのカラックに惚れたからだ。

舟をつくるマークとその友達ナルシスの憧れは大工だ。彼らはカンナやノミを使う。ノコギリも日本製。道具は日本製が一番だと言う。ぼくは日本人だが、そんなことを誇る気持ちは微塵もなかった。

舟をつくるなら、日曜大工の技術の延長でもいいから、学びたいと思い、舟をつくるなら川か海の傍で、作業スペースがあったらベストだと考えた。その答えが、日本中に余っている空き家を直して住む計画だった。

ぼくは、そんな動機で、空き家問題と呼ばれる現象に足を踏み入れた。そこに横たわる山積みの問題に翻弄されること1年間。で、今に至る。

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社会問題からどのように経済を生み出すのか
ある社会問題を解決しようとするとき、そこにビジネスはまだない。もしお金になるなら、とっくに解決に向かっている。しかし、空き家は、大家さんがまず標的になってしまう。しかし困っている大家さんで商売しても空き家問題は、拡大するばかり。そこが突破口だと考えている。つまり、大家さんをパートナーにして経済をつくり出すこと。

この問題をある人に質問したところ「先にお金を払って借り上げして、改修して価値を高めて、賃貸物件として提供しています。それでお金を生み出しています。」と教えてくれた。
その人は「いしわたさんの活動はとても素晴らしいですが、こうした事例はたくさんあります。これからですが、アート作品だと言い切った方が個性的だと思います。」とアドバイスをくれた。

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放浪芸術家の石渡ノリオを目指す
ぼくは、この日、初めて芸術家です、と自己紹介した。今までは、躊躇いがあった。批判されたりしたら恥ずかしい、と。それよりも、芸術家と名乗った方が、話しが早いと判断した。

ある人は「ああ、この人は好き勝手に生きているから、話しが通じないな。」ある人は「芸術家なら多少、ふざけた話しをしても大丈夫だと思った。」と印象を話してくれた。

ぼくは、この1週間で2つのプレゼンテーションをした。ひとつは愛知県津島市の「夢まちづくり事業」に「リノベ塾」を提案した。津島に残る古い建物を改修できる人材をつくる企画だ。その塾を通じて、津島に暮らす住人をみつけるのが目的だ。事業は採択され今年の秋からスタートする。

もうひとつは、「社会を変えるチームを創造する」というプロジェクト。今年の2月にスタートして、いくつかのプロジェクトが立ち上がり、3回のミーティングと運用期間を経て、土曜日にプレゼンをしてきた。

ある人が「似たような事例がいくらあっても、空き家は減らないから。似てるとかは問題じゃない。」と言った。

ある人は「言葉は重要だ。例えば、町づくりでは、コミュニティーとみんな当たり前のように使う。でもコミュニティーとは、村八分のようなネガティヴなことも含めた共同体で、それには強制力もある。それを知らないで使っては駄目だ。だから、ぼくは肩書きをアソシエーションディレクターにしている。」と話した。

アドバイスや言葉は、とても参考になる。しかし、どれも誰かのニュースであって、ぼく自身はまだソレを体験していない。
ある人は、「町づくりをする人は、みんな全国展開したいと考える。だけど、それは無理だから、地域を限定した方がいい。」と。
つまり、ぼくはこう考える。「よしだったら、全国展開を目指そう。」

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生きる芸術から生きる美術に
ぼくは、芸術家で、アートとは何か、生きるとは何かを考えて表現してきた。芸術とは生きる技術のことだ、と閃いて生活のなかにアートを求めた。

津島で、分解して組み立てて運べるテーブルをつくった。生きる芸術作品だ。ところが、思ったように固定されない。
自分が使うことはできる。それでも完成した気がしない。ここに芸術と美術の違いをみた。美術とは、誰がどのように見ても感歎するような作品。テーブルであれば、王様に進呈するような逸品。ようやくその地点が見えた気がした。遥か向こうの頂が。

人間は、同じ種だから、みんな少なからず似ている。そのなかで、個性を見いだすなら、自分から湧き上がる想いやイメージを拾いカタチにするしかない。手法は、それぞれだし、仮にある地点で同じように見えたとしても、溢れる想いからスタートしていれば、それは、誰も予測できない明後日の方向に飛んでいくだろう。

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日々の仔細なことを拾いドキュメントすれば、時間と共に過ぎ去る人生の場面が、価値のある自分のニュースが現れてくる。

会社の代表取締役も、スポーツ選手も、アソシエーションディレクターでも、建築士でも公務員でも、道の途中という意味では、みんな等しい。肩書きに構うことなく、対話して刺激し合えばいい。
振り回されて道に迷って、何度もやってくる新章の幕開け。いつも走っては、リセットして我に返る。ランニングもまた、大切な生きる技術のひとつ。もう駄目だと思っても立ち止まらなければ、すべての人生は美しくなる。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/