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芸術が自然に接近するための技術であるなら、生きる芸術とは、自然により近い暮らしを探求すること。

古家採取活生計画

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旅をした。生まれ育った東京を離れ、空き家の構造模型をつくるために愛知県津島市の築80年の長屋に滞在しながら、同じ津島市の築100年の町屋の庭の草むしりや部屋の掃除をして、2週間後には岐阜県中津川の古民家に1泊して、旅の途中で買った中古車で、嫁の実家の長野県岡谷市に帰ってきた。

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2013年にヨーロッパとアフリカを旅して、日本でやりたいと感じたこと
どうして日本には、こんなにたくさんの空き家があるのか調査する旅だった。出会いに導かれ、家を訪ね言葉を交わし、日本という小さいながらも、それぞれの文化を育む地域に触れることができた。

少なくとも、日本全土、家もなく食べるものがないような貧困もなく、便利に発達したこの国には、充分なほど必要なモノが行き届いている。だから逆に、少しでも不便な場所には、人が生きられない状況を作り出している。

世界のバランスのなかで、ぼくらの暮らしは、著しくバランスを欠いている。必要なだけのお金を得ようとすれば、時間は圧倒的に足りなく、便利を優先することになり、時間を優先させれば、便利に支配されたこの国の常識の外で生きていくことになり、社会的な居場所を失うことになる。

ぼくは日本に「生きるための芸術」を確立させたいと心から願っている。それを最優先に今を生きている。その結果、この国の常識の外を歩く人生を選択している。しかし、自分がこの道を歩くことで、この考え方も常識のひとつになるように「生きるとはつくること」だと丁寧に伝えながら、未来にバトンを渡していきたい。

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「芸術」と「美」について
中津川で出会った友達は言った。
「美と美術についてどう考えますか?」
ぼくが
「美とは、ありのままの姿で、美しいだけでなく醜さや理解の及ばないようなモノやカタチで、美術とはそれに近づけるための技術だと思う。」と答えると、
友達は
「そう。美とは自然のことで、美術とは人間が自然に近づくための技術なんだ。」と教えてくれた。

例えば、津島市の長屋でつくった構造模型は、床の下から屋根裏まで採寸して、どうやって80年前の建物が建てられたのかを観察して、1/20サイズで再現した。分かったのは、すべてが手作業だということ。ほぼ自然のものでつくられ、釘も僅かしか使用されていない。
この2階建ての空き家と初めて出会ったときは、古くて汚く活用不可能な、解体するしかないように思った。同行した建築士もそう話していた。しかし、全体を丁寧に調べてみれば、構造は堅固で、若干の歪みと屋根の瓦がズレているだけ。もし、この点を修正できるなら、この家は生き延びることができる。汚いと感じた点は、掃除さえすれば綺麗になる。この家は、自然に限りなく近い建築物。つまり、美しさにずっと接近した存在だった。

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例えば、津島市の町屋を見たときから、この家を掃除してみたかった。なぜなら、モノを排除すれば、空間が活きてくると感じたからだ。倉庫のような空間から、日本の伝統的な居間へと変貌した瞬間だった。改修やリノベーションへの違和感が証明できた瞬間でもあった。足し算ではない引き算による活用の可能性に手応えを感じた。

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自然と共に暮らすということ
今回の旅、3件目に訪れた岐阜県中津川市の築100年の古民家は、まさに自然の家だった。

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太い梁と柱が象徴するように、裏山から切り出されてつくられたという傑作だった。この家を活用するならば、家だけでなく、畑や田んぼ、蔵や薪風呂、裏山まで、そのエリア全体の環境を含め生活として考えなければならない。細かいところまで手入れの行き届いた状態は、ぼくにとって生きている家のサンプルそのもだった。

空き家について考えるとき、周辺環境の活用も見逃せないことを学んだ。

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中津川の家は、祖母が亡くなったのをきっかけに孫である友人が相談してくれた。友人のお父さんは、仕事をしながら、先祖からの田んぼと家を守ってきた。「家を活用する」という課題以前に家それぞれにある暮らしを学ばなければ、その環境を活かすことはできないことを知った。

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目指すのは、仲間全員が理想を達成するゲーム
中津川の友達の弟は、いまカナダに暮らして、自給自足の生活を実践しているそうだ。未だ会ったことのない彼、テツくんに共感した。

テツくんは、カナダのソルトスプリングアイランドというアーティストや自給自足、オーガニックフードメーカーなどが多く住んでいる場所に暮らしている。中津川の家族は、彼を特集した日本のテレビ番組を見せてくれた。

テツくんは
「お金に縛られた生き方をしたくないんです。やりたいことをやって生きていきたい。」と言った。
そのライフスタイルは、古い家を自分で直し、食べるだけの野菜を自給自足して、週に3日バイトをして生活している。
ソルトスプリングアイランドには、テツくんだけでなく、島全体に同じような志しの人たちが集まっている。いまでは、世界中から憧れの地として知られているらしい。

ぼくは嫁と2人で生き方をつくりたくて、アーティストとして活動している。経済的な負担が少なく、空き家を活用できる方法をみつけたいと研究をしている。日本ではテツくんのような生き方は受け入れられないかもしれない。でも、これからは必要になる、とテレビ番組は締め括った。

2015年の夏、3件の空き家を巡る旅は、不思議な縁に導かれ、カナダの島へと、その島に足を踏み入れることなく、共感する仲間に出会い、次のステップを示してもらった。

それは不便と便利の間に遊びながら生きること。愉快に楽しく遊戯しながら、人生を送れたらいい。ぼくの考える遊戯とは、即ち人生ゲーム。自分が勝つために誰かを騙したり出し抜くようなやり方ではなく、参加者全員が勝つゲーム。チカラを合わせ仲間がやりたいことに耳を傾け実現していく。

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ぼくがつくりたいものは、より豊かな暮らしを実践できる小さな社会やコミュニティー。やりたいことに必要なだけのお金があれば、やりたいのことのために時間を費やすことができる。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/