空き家を巡る冒険のスタート地点。日本中に点在する空き家に滞在して旅する計画の話。

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どうやったら理想の暮らし=「生きる芸術」が実現できるのか
それは、いまの社会に対して信用も納得もできないからで、だから根本的なところから思考と試行を繰り返して自分の現実をつくろうとしている。ずっと考えている。

ここ1年間、家主さんと話しながら、どのように家を活用していくか空き家の問題に取り組んでいる。この行動をビジネスマンに説明すると、意味が分からないという。つまり、収支が成り立っていない。儲けがない。それもそのはずで、ぼくは家主さんからお金を貰っていない。その理由は、ぼくは家に関するマーケットについて、そのビジネスの仕組みについてゼロ地点から組み立て直したいと考えている。暮らしについて考えるなら、お金については避けて通ることはできない。

ぼくは、すべてのビジネス、サービス、商品に対して疑問を持っている。どうしてそのビジネスが成立しているのか、どうしてその商品が必要なのか省みることなしに、新しいマーケットは成り立たない。ほんとうにサービスの受け手が必要とするモノ・コトを届けてこそ、そこに盤石な経済が流れる。これは社会彫刻という、ぼくなりのアート表現で、社会を題材に経済と雇用を生み出したいと考えてる。貨幣も経済も雇用も、ぼくにとっては作品のひとつひとつで、それらをつくるために冒険を続けている。

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損をして勝ちを取る、負けて得をする
家について考えることは、日々の暮らし、人生計画、また現代社会のカタチや構造までをも観察するきっかけになる。築100年もの古い家と対話すれば、それだけの歴史を振り返ることになる。ぼくは、数十年後の未来を生きる今の子供たちのために、この問題に取り組んでいる。今は未来のためにあり、今を犠牲にしなければ、よりよい未来にバトンを渡すことはできない。それはビジネスでも同じで、提供者が損をすることろをスタート地点にしなければ、ほんとうに満足されるサービスには到達できない。

統計で空き家は、日本全国に820万戸あると言われ、都内だけでも80万戸あり、いま現在、これらの家たちは社会問題となっている。

取り組んで見えてきた空き家問題の原因のひとつは、建築商品として新築を推しすぎたために、中古市場が弱体化したこと。日本の住宅市場は80%が新築で20%が中古。一方、ヨーロッパでは、例えばイギリスでは、その逆で中古市場が80%もある。もちろん、日本は地震国で、住宅の安全性は、慎重かつ神経を費やす部分であるのは他の国とは違う点である。

しかし、ほんとうに大きな地震が来たとき、その安全性を担保するのは、住宅の構造だけではない。地震によって火災が起こる可能性や、東日本大震災のような2次災害も起こり得る。そんな複数の危険に対して、住宅の耐震性だけに何千万円の家を購入しなければマイホームを持てないという幻想神話に終止符を打ちたい。新築以外にも家を持つ選択肢がある可能性を提示したい。これは選択の自由だ。ぼくらはもっと自由に人生を編集して楽しむことができる。


もうひとつの原因は、新築に暮らすうちに住宅を自分で修理できなくなってしまったことだ。時代を遡れば、100年ほど前は、住宅は木造建築だった。住んでいる人が直しながら暮らし、また、大掛かりな解体や改修は、町や村のみんなでチカラを合わせて作業をしていた。
しかし、この数十年の間に、わたしたち日本人は、何も生産しない民族へと変貌を遂げてしまった。今のライフスタイルをみれば明らかだ。消費が生産を遥かに上回る。ぼくらは壊れたものを直さないし、直すことができない。「もったいない」という外国語に翻訳できない独特の文化を持ちながらも、その思想は失われようとしている。

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信じること、嘘のような話、本当は何処にあるのか
60歳を超えた建築士と話した時、「木は750年までは耐久性があがるんだ。法隆寺がその証しで。木造建築には、長い歴史で培った技が施されているんだ。柱を繋ぎ合わせる仕口なんて、地震が来ると弛んでチカラを逃して、また強く固まるようにできているんだ。いまは、その技術が失われてしまい、古い家を直せる職人も少なくなってきた。耐震とは、崩れないということではなく、完全に崩壊するのを防いで、住人が逃げる余地をつくるためなんだよ。」と教えてくれた。

「空き家や古い家について活動するのは素晴らしいことだけど、木造建築に夢中になって、現行の建築を批判しては駄目だよ。とてもそれは敵わないことだから。」とアドバイスもくれた。

木造建築の構造は免震といって地震のチカラを逃すようにできていて、まるで合気道のような力学がそこに働く。その構造は「総持ち」といって各部が全体を支える仕組みになっている。

何百年もの経験を継承した大工の匠による免震という技術があるにも関わらず、現在は、木造建築の免震性能については、きちんと評価されていない。理由は、計測できないから。それは合気道の強さを実証できないことに似ている。

ウソもホントも分からない情報が飛び交ういまの社会のなかで「何を信じるのか」は、生きていく、その道を歩くのに重要なポイントになる。住宅ひとつにしても、さまざまな憶測や不安材料が山積みになって、どれを信じていいのか分からない。だからこそ、ぼくはこの冒険を通じて、ひとつの信頼できる家の活用方法を編み出したいと企んでいる。

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家が巣であれば、自然と共に生きる道が開ける
ぼくが家に関心を持つようになったのは、2013年にヨーロッパとアフリカ大陸を旅して、それぞれの国の暮らしを観察したのがきっかけだった。どの国も住宅が生活の負担になるような暮らし方はなく、むしろ家が生活をサポートして支えていた。

ザンビアでは、泥で家をつくり暮らしていた。自然にあるものだけで、成り立っていたそれは、家と呼ぶよりもっと野性的な動物の巣に近いものだった。家を巣として考えれば、日本全国に点在する空き家は、問題から資源に変わり宝の山になる。日本の空き家問題を外国人に話すと、その数に驚き言葉を失う。ぼくたち日本人の暮らしは、それほどこの地球上で奇異なものだということを知って損はない。

かつて千利休は「家は雨が漏らぬほど、食事は飢えぬほどにて足ることなり。これ仏の教え、茶の湯の本意なり。」 と言った。数多くの人が尊敬しその姿勢から学んできた日本を代表する芸術家が、このような言葉を残しているにも関わらず、暮らしや生きることについての芸術が、現代の日本に見渡しも存在していない。現代の茶道は、形式だけが残り、その本質が体現されているようには思えない。だからこそ、ぼくは「生きる芸術」として、暮らしや生活に通じる技を芸術として表現し伝えていきたい。

もし、常識に対して疑問を持ったなら、とことん追求するべきだ。なぜなら、抱いた違和感は、確かにあって同じように感じている人が必ずいるから。もし誰もいなかったとすれば、それは大発見だ。それを伝え続ければ、きっと浸透して新しい常識になっていく。そしてまた誰かの違和感によって打破される。創造と破壊を繰り返すのは自然の慣わし。それを恐れては前に進めない。もし、家を巣だと考えることができるなら、ぼくはもっと自然と共に生きていくことができる。その実験は始まったばかりだ。

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日本中に点在する空き家に滞在して旅する計画
空き家や古い家を貰うのでもなく、買うのでもなく、その家に一時的に暮らし、掃除したり修理したりして、家主さんと話しながら活用の道を見出していく活動がスタートした。

まずは、愛知県津島市の長屋と町屋の2件。今週の土曜日から滞在する。トイレがなかったり、冷蔵庫がない、などの不便はある。それでも利休が言う屋根はある。その家で、理想の暮らし方を模索してみようと考えている。キャンプの道具をいくつか持参して、食事をつくりそれらの家に滞在する。10日間ほどしたら、岐阜県中津川の古民家へ滞在する。

こうして1年間計画してきた空き家を巡る日本の旅をようやく始めることができる。行った先で、多少の修理ができれば、家主さんの役に立つことができる。家主さんが、その家を活用したいと望めば、情報を発信したり、企画を立てたりと役に立つことができる。その辺りで、ようやく多少の対価が期待できるところ。また、ぼくが滞在した家をまた別のひとが訪ねて泊まることも可能になる。もしぼくが、何かの情報や技術を持って旅すれば、そこに価値が生まれ対価が発生する。ビジネスとして仕組みをデザインすることよりも、人と人の間に「ありがとう」の気持ちから生まれる対価を発見したい。

ぼくがこの活動を通じて残していきたいのは、

活用できるようになった古い家
かつての日本人の暮らし方
失われつつある大工の技術
家の再生から地域の活性化
提供者と受益者がWIN&WINの経済
回りだした経済から生まれる雇用

これがこの活動から生み出される作品たちだ。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/