いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

名づけようもない徒然なる日々の記

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忙しいとは、心を亡くすと書く
生活のために仕事をする。仕事をするために人に会う。出掛ける時間が増えると我を失う。ぼくの場合、こうして出来事や考えを採集記録する機会を見失うことが、我を失うことに他ならない。

自分に向き合い、その声に耳を傾ければ想いはひとつ。古い家を活用すること。なぜ、それにこだわるのか。

ひとつには、仕事を創出する試み。それは、何かを売ったりするものではなく、ひとの役に立つことで対価を得ることができるのか。これをアート作品だと考えている。つまり生きる芸術のひとつとして。単純なようで掴もうとすれば、複雑になってまた捉えてを繰り返している。

どうして今の社会が、このようなカタチになっているのか、このままで良いとは思えずに行動を始めた。この過程を楽しみながら理想のカタチを追い求めたい。

今の取り組みのゴールはひとつ。古い家をそのままに活用できる物件として社会に流通させること。より多くのひとが「古い家っていいよね」することを目指している。日本全国に広がる空き家を、問題から資源に転換すること。

そのためにぼくは古い家を訪れ、その持ち主と対話を繰り返している。何度でも、目的とルートを確認する必要がある。道に迷わないためにも、ちょっとした時間に、こうして思考する。


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音楽に心を掴まれて未だに探しては聞いてを繰り返す
その魅力は、探していたものを発見する喜びでもある。長い間で、自分の性格のように音楽性が形成されていく。パンク、ヒップホップ、ダンスミュージックのエレクトロニックなサウンド、ブルースやジャズにソウル。ロックするとは、どういう意味なのか。それは自らの意志を持ち、社会に投げかけること。態度を表すこと。

10代からバンド活動を続けて、今はサンプラーとラップを担当している。その2つは、ヒップホップそのものだ。参加するバンドNOINONEとは、ヒップホップのパンクバンドだ。

また活動期を迎えて新曲が生まれている。サンプリングでつくるデモとスタジオにメンバーが持ち込んだアイディアと演奏を録音して、カタチを捕らえる。心を動かされる音を掴まえる。そしてまた自分が音楽に捕らえられる。

つまり自分で音楽の魅力を発見しては自ら囚われていく。何かを伝えるとき、ひとはそれ以上の驚きや感動を胸に秘めている。一日が「つまらないもの」かどうかを決めるのも自分で、明日から先の未来を信じるのもまた自分だ。「自分ができる(I can do it)」仔細なことをカタチにして伝えていく、これ以外に現在をつくる方法はない。とても純粋なままで、何も意匠工夫なく、あるがままを取り出して表せばいい。

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自分が進みたい未来へ向かって生きている
近頃はフジロックでのイベント制作の打ち合わせが続いている。20代の学生の頃に出会った野外コンサートで、大自然のなかにスピーカーというテクノロジーが遺跡のように鎮座して人々が踊り騒ぐ、その魅力を知ってからというもの運に恵まれ仕事になっている。

人間とは、ほんとうに興味が尽きない動物だ。どうして、そんなことをするのかと不思議に思うことばかりだ。
昼から夕方まで、打ち合わせをして、夜には東京都現代美術館で開催されたカンマナイトに足を運んだ。カンマナイトは、まさにぼくがフェス仕事をするようになるきっかけの時代に遊んだ場所だ。

帰りにワインとパンが売って酒屋をみつけて店内を彷徨い、毎日ワインを飲むほど働いてないと、自分を戒めて店を離れた。

だいたい、友達に会うと何処に今住んでいるのか尋ねられる。ぼくは東京の板橋に暮し、たまに愛知県津島市に出会った築80年の家を活用するために通っている。妻と2人暮らしで、アート作品をつくっている。ぼくは、それだけの人間。それだけの人間だからこそ、好きなことに注力できる。魅力を感じたままに、自分が進みたい未来へ向かって生きている。

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反対を唱えるのではなく道を開拓し続けること
何が起きているのか知るのは、テレビやインターネットなどの情報から隔離された起きた瞬間だ。目が覚めて窓の外の様子に耳を澄ますせば、鳥の鳴き声や雨の音、風の気配がする。それだけの情報があれば、その日、自分が何をするべきなのか、昨日より前の自分が知っているはずで、そうやって1日を贅沢に過ごしたい。

ぼくの周りでは、戦争が起こることを懸念している様子が伝わってくる。そんな時代になっていることが驚きだ。ある人は、自分の息子の教科書に「日本の社会が必要としている人材は、規格大量生産で、第一は辛抱強さ、第二は協調性、第三は共通の技能や知識を持つこと、第四には、個性や独創性がないこと」と書いてあると教えてくれた。

ああ、ほんとうにそんな時代になってしまったのか、と身の回りの子供たちの未来を案じる気持ちになってしまう。ぼくができることは、反対を唱えるのではなく、人間が生きていく道を、その選択肢を増やすことだ。何がほんとうなのか分からない時代だからこそ、自分が生きている目の前のことを大切にして、大きな流れに巻き込まれるのではなく、そっと自分の道をつくり続けることだ、と信じたい。子供たちには、大いに個性や独創性を伸ばして、日本の社会のためではなく、地球全体やさらに先の未来のために生きて欲しい。だからこそ、自分が少しでもその道を歩けるようにと今日改めて願い誓う。