木造建築という失われつつある日本の技術に魅了され、保存と学習に努めている。

長屋の模型をつくるために、木曜日の夜から津島市にいった。長屋のオーナーに依頼されて、木造建築の構造を把握するためにやってみることにした。「できないことやれば、どうやればできるのか分かる。」とはピカソの言葉。

木造建築の耐震構造は失われた技術なのか
金曜日に耐震診断から設計までをプロの人がどうやるのか知るためにオーナーが呼んだ専門家が来た。知らないことを体験しながら学ぶという素晴らしい時間を過ごしている。もちろん家が活用できるようになるのがゴールだが、目的はそれだけではない。過程のひとつひとつを体得することに意味がある。

専門家の後藤さんは、古民家鑑定士1級の資格も持っていた。ぼくもオーナーも欲しい資格なので先輩に出会い、あれこれ質問できたし木造建築についての知見をたくさん聞けて、とても勉強になった。

この長屋を巡って何人かの建築関係の人に出会った。建築士や屋根の業者、構造設計士など。いまオーナーが活用を企む2階建ての家は、当初は傾いているし、雨漏りしているから壊そうという話しになっていた。誰がそう言ったか定かではないが、そういう話になっていた。

ところが今は、これまで2人の建築士に診てもらったが、充分使えるし状態がいい、という話だ。木造建築は、知るほどに奥が深く、しかも失われた技術も多くてオーパーツのミステリーのようでもある。

日本の住宅の問題は地震だ。どう倒壊の危険を回避するのか。後藤さんは、「耐震とは、住人が逃げられるようにゆっくりと壊れるようにすることだ。」と教えてくれた。

木造建築の耐震は、現在の住宅が制震であるのに対して免震という。チカラを抑えるのではなく逃がす。剛ではなく柔の構造。ここから、現代の日本人が失いつつある日本的な思想世界を展開することができる。

地震のときに木造建築が発揮する柔の構造は、合気道のようなチカラと正面対決するのではなく、逃がす技だ。合気道の映像をみれば、どれだけ今の時代では信じられない技かを知ることができる。木造建築が持つその地震に対するチカラは、現代の常識から外れた技術になってしまっている。

理由は至極単純で計算できないからだ。その曖昧なチカラは、信じるか、信じないかの2択を迫るオカルトになってしまっている。これは素人のぼくが、建築という領域に突然足を踏み入れて、観察した情報なので何か間違っていたら教えて欲しい。個人的には合気道を学べば、木造建築の耐震構造について何らかのヒントを得られると直感している。

わたしたちの家に関する常識について
日本の住宅事情が、あまりに商品として発達したために、暮らしや伝統と乖離していることを指摘したい。批判ではなく、より選択肢が多い豊かな暮らしの可能性のために書いている。いま現在、空き家として放置されている何百万という家は、そのままでも充分使えるという常識をこれからつくるために研究をしている。

ぼくはザンビアで家を建てたのが建築デビューだった。建築家でもなんでもないが。それ経由で日本の空き家について興味を持ったのだから、地球の日本に不時着地した宇宙人のような視点で、建築状況を見渡している。だからこそ、この違和感を大切にしたい。世界のバランスのなかで現代の暮らしが常識が、どれだけ歪んでいるモノなのか。