読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

硬直する現実を創造世界でトレースして未だない領域を試みること

昨日は、嫁と2人で朝から晩まで作品づくりに没頭。この瞬間こそ至福のときだが、いつもそうしてられないのはなぜかと思う。どこを見渡しても安定した人生を送っている人なんて何処にもいないし、一体全体、生きるとは、なんでこんなややこしいのだろうか。ただ、作品をつくっているときだけは、そんな人生の重さから解放される。

絵を始めたとき、興味あったのがグラフィティーや墨象、世界中の文字で、このカタチを追求するのが自分のテーマのひとつでもある。
石板に刻まれた文字やカタチを眺めるだけで時間旅行ができ紀元前4000年ぐらいにワープできる。
紀元前2000年ころには、エジプトではヒエログリフから発達した複雑な記号体系が確立され、当時の書記たちは「必須でないもの」を排除すれば文字をさらに簡略化できることを発見した。それが現在のアルファベットの原型になっている。
文字は、もっとも古い人類の技術で、意図してつくられたというよりも、必要に応じて進化してきた。必須でないものを取り除くことで、アルファベットがいまほど普及したのであれば、簡略化こそ、生き延びるための奥義だ。

「書く/描く」とは、この世界をトレースすることだ。それは、物質の重さから解放して軽くすることでもある。
ぼくは毎日の出来事を書き記している。ここにはややこしい現実とは違う空間が開かれている。現実にピッタリ寄り添いながら、ときに逸脱したり、ありえない飛躍ができる。この世界では、ぼくらは縦横無尽にマクロからミクロ、過去未来どこへでも飛び回ることができる。これこそが創造空間だ。
ある瞬間を切り取って、地球上を俯瞰して眺めることができたら、世界中の人間がまったくバラバラで、笑ったり泣いたり走ったり働いたり寝たり生まれ死んだり、72億パターンの語り尽くせないほどの物語の断片に遭遇する。

それほど豊かな可能性に溢れた現実世界で、ぼくは雑誌をめくったり、ページの切れ端を組み合わせて未だないカタチを探し求めている。
これが何なのか。と問われれば「カタチ」だ。「何の?」と問われれば、生まれたがっているカタチを偶然に取り出していると答える。
「つくる」とは意味のない領域にギリギリまで迫ることだ。踏み越えれば、なんのことか伝わらないし理解もされない。でも、いまは伝わらなくても100年後には、理解する人も現れるかもしれない。そこに冒険や挑戦する喜びがある。

文字に夢中になると、数千年は飛んでしまうので、その方向で作品をつくっても、いまの社会ではまったくお話しにならない。だから、嫁と毎日、朝から晩まで作品をつくっている生活が成り立たない。いま現在、誰が必要としいるかも分からないモノをつくっているから、お金にならない。それでも、もしかしたらなるかもしれないと信じている。

嫁の姉夫婦の3歳の男の子と遊ぶことがあって、いつも興味深い。彼は、ぼくらが何かをつくることを知っいて、恐竜をつくって、と言った。それならと、乗れる恐竜をつくった。
生まれてから3歳までなんて、あっという間に過ぎてしまう。たったそれだけの期間なのに「三つ子の魂百まで」という諺がある。
彼に何かしらか影響があると思うと責任を感じてしまう。だから、こういう人生もありだよ、という結果をつくりたい。そういう欲がある。

子供の頃、読めない文字と言いながら、たくさん落書きした記憶がある。ずっと小さい頃、従兄弟が子守に来てくれていた。従兄弟は10歳も離れているが、なんとなく近くにいた。高校生になってターンテーブルを買うと、ファンクとブレイクビーツのレコードを送ってくれた。
その従兄弟は現代アートの作家でいまも制作を続けている。たまに会うが、深い話しはしたことがなかった。昨日、ネットで「さかぎしよしおう」のインタビューを発見した。

「アーティストとして有名になるとかお金を稼ぐとか、まあそうなったら、それはそれで、作品をつくるとは、もっと日常的なことで、寄り添うというか、ずっとやり続けられるか、ということだと思う。」
と書いてあった。その言葉がいまの心境を代弁してくれたので「感動したしずっと影響を受けている。」とメールで伝えた。
「だったら俺は君の父に何倍も影響を受けている。」と返事がきた。

とても当たり前のことだが、人間は父と母から生まれた。つくるとは、単純で「つくる→うまれる」これだけの運動で、つくったひとの経験や知識をそのまま受け継いでいる。何かに影響を受けたとしても、つくった人間のDNAの影響にはとても及ばない。

以前、ギャラリーに作品を見せにいったとき、この作品にはなんの意味がありますか、と聞かれた。
意味はないので素直にそう答えるとギャラリーのひとは、それでは面白くない、そこを考えて語ることもアートの一部なんだよ。そこにも価値があるんだよ、と教えてくれた。
人生も同じで、意味のないような日々について考え語ることが価値をつくる。人生もアルファベットのように必須な項目だけを抱きかかえて生きれば、どんどん軽くなって重さから解放される。

自分から現実をこれ以上切り離せない要素だけにして創造空間と重ね合わせれば、自分は現実から離陸して、些細な問題や壁があっても、常識や歴史もなにも超えて、軽くなることができる。そこでは、人生なんて便利な編集機能があるメモ帖でしかない。書き間違えたら書き換えられるし、何度でも書き直せる。

迷うことも不安に感じることもない、直感のままに勘違いと思い込みを書き連ねれていけば、そこには72億分の1のたったひとつの原石に出会う。どう削りカタチづくるのか、そのスケッチをつくるために文字でトレースして書いてみている。

 

 夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/
生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com