いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

ぼくらは国民でも市民でもなく、どんな肩書よりも等しく人間である。

日曜日、父親に会って、昼から夕方まで酒を呑んだおかげで、月曜日の朝から、頭のなかが散らかった感じだった。

昼に30分間、坐禅をすることにした。座っていると、いろんな考えが浮かんでくる。どうでもいいことばかりで嫉妬や焦りがほとんどだった。足が痛くなってきて、30分が待ち遠しくなり、気になって仕方なく、ついには坐禅を途中で止めて時計をみた。残り1分57秒だった。

「今日は負けだ。」潔く受け入れ、何もしないことにした。部屋で横になったり寝てしまったり。夕方になって机を片付けることにした(結局、なにかし始めてしまった)。しかしこのおかげで、「できることからやらないようにする」という新しい生きる技術を発見することができた。

机の上の一枚の紙を手に取ると、それはCDのライナーノーツだった。アフリカンとネイティブ・インディアンの血を引く父と、アイルランド、フランス、ドイツの母の地を引く息子が奏でる音は、ヒップホップやレゲエの混ざったロックで、世界平和から経済至上主義への批判、差別について、時代が抱える問題について歌う。

そのアメリカで生まれ育った人種がミックスされた音楽家が、2006年にパレスチナイラクイスラエルを旅したドキュメンタリー作品「I KNOW, I'M NOT ALONE」のことが書いてあった。インターネットで検索すると、観ることができた。

すぐに彼と旅に出るような体験ができた。そこには、ぼくが2013年から旅してみてきたエジプトのような景色があった。国や権利を巡る争いの結果、いつも悲しみを背負うのは、そこに暮らす人々だ。たまたま、そこに生まれただけで、どうしてそんな運命を引き受けなければならないのか。映画のエンドロールに、「ピースワーカーに捧げる」という言葉をみつけた。

ぼくは東京で生まれ育ち、世界を知らないまま、大人になった。もうすぐ40歳なろうとしたとき、自分の狭い世界を広げるために旅をした。狭いのは、ぼくの世界だけではなく、日本の社会に於ける常識自体が小さく狭いモノだった。旅ができなかった理由がいくつもあった。「不安」その言葉から逃れるためにと、日本では、常識や生き方が用意されている。そうしておけば大丈夫だ、という道。親切から多くの人は、その道を勧めてくれる。

しかし、ぼくひとりの不安が一時的に解消されることが何の役に立つのだろうか。文学や音楽やアート。いわゆる芸術がぼくに差し出しのは、人間が抱える悩みに真っ直ぐに向き合い答えようとする姿勢。何千年経っても変わらない愚かな人間への反省と警句。そうした言葉や作品たちが傑作として語り継がれてきたこと、そのこと自体に人間の良心の姿をみることができる。だから、芸術を敬愛し、自分もそうした作品をつくり伝えていきたいと思う。


夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com