いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

日々の仔細な出来事をテキストにしてサンプリングソースをみつけるためのノート

雨が上がって月が見えた。それだけで宇宙を感じた。いったい人類はいつから月に暮らすんだろうか。

池袋から深夜バスに乗って愛知県津島市向かった。これからぼくら夫婦が暮らす町。なんてことない中途半端な地方。それはまるで自分のようで愛らしい。特別な場所だったり才能を持っている人の方が少ない訳で、そうではない人たちこそ、豊かに暮らすべきで、電車の窓から景色を眺めるうちに、そんな想いが湧いてきた。

津島駅から歩いて10分、空村に着く。築80年の長屋に村をつくる企みだ。向かう途中の喫茶店で名古屋のモーニングを食べた。コーヒーにトーストとゆで卵がついてくる。店内でマスターと近所の婆さんが、過疎について話している。
「どんどんお店なくなってくわよねー。」
「この町を盛り上げるよ。すぐに。」と心のなかで呟いた。

実際、引っ越したら、あまり喫茶店でトーストを戴く余裕はない。どうやって生計を立てるのかはっきり決まっていないから。何処に暮らしても自分の好きなことをやれたら、月にだって移住できる。最初は誰もがどうやったらできるのか、それを知らない。えい、と踏み出した誰かがやり遂げて、それが素敵に輝いてみえて、当たり前のことになる。やってしまえ。

空村を掃除して明日からの見学ツアーに備えた。夕方には、名古屋の木材メーカーで打ち合わせがある。金儲けのビジネスではなく、よりよい未来をつくる挑戦に協力して欲しいという想いを伝えるだけだ。

昨日は生きる芸術の本を出版しましょう、と言ってくれる出版者が現れた。自分が社会の何処にいて発言しているのか、いる場所さえわかっていれば、素直な想いを熱心に伝えれば一緒に動いてくれる仲間がみつかる。伝わらないのは、相手のロケーションが異なり共感が生まれていないからだ。
企業を相手に共感を起こす。これが課題だ。どんな企業だって、担当者レベルではいい仕事をしたい、と考えているはずだ。企業のロケーションまで自分をズラして伝えることを試みた。

15時から名古屋の金山でTOKIWAという会社の取締役、吉住さんと打ち合わせした。TOKIWAは木材の会社で、店舗や住宅、什器、家具などの加工を行っている。空村プロジェクトに協力してもらえれば、将棋で言うところの飛車角級のサポート得たことになる。

まずは、自分たちの取り組みについて説明する。すぐに吉住さんは、木材を低価格で野菜の直売のように提供できる、と話した。吉住さん側も新しいプロジェクトに着手していることを知った。「Cre8」というモノづくりワークスペースで、最新のツールを揃え、フィットネスジム感覚で利用できる。ジムのエアロビのように講師も揃える計画。最新の機械が作り出す精緻さに魅了される。もし、自分の作品の一部に取り入れることができればクオリティは一気に増す。夢が膨らんで自分がこの場所を利用するイメージもできた。何より印刷機械も充実している。製本から印刷は一通りできる。

意気込んで臨んだミーティングは、あまりにフィットした。ONE SIZE FITS ALL(ワンサイズフィッツオール)だ。まずは顔会わせとその場を締めつつ、次のステップを模索することにした。

夜は津島にある海善寺という禅寺の宿坊に泊めてもらった。住職さんは、スピリチュアルな尼僧で、彼女の話は、見えるものと見えないものが混在しているファンタジーだ。

20:30頃に着くともう布団の用意がしてあって、来る前にお酒を飲んだことを注意された。そのお叱りがまた魅力のひとつ。朝6時に起床し、お勤めに座禅で参加した。世界平和について祈っていた。
8時になると住職さんに誘われ、神社へどんど焼きへいった。神社は1年に一度のイベントらしく、ひとで賑わい、商売繁盛の御祈祷をやっていて、住職さんに誘われ祈ってもらった。待ち合い室では、お茶が振る舞われ、噂に聞いていた日常的に茶の湯をやる光景を目撃できた。祈祷はその衣装の色に心を奪われた。水色の袴に上衣は紺色でシルバーの紋が入っている。どんど焼きの灰が舞い、朝日に照らされ、映画のシーンのようだった。冷たい空気の朝陽はいつも美しい。

その後、住職さんとモーニングにいき、まるでデートだな、と思楽しくなった。モーニングは住職さんへのインタビューのようだった。ヒマラヤで世界平和について祈ると12人の神様が現れたがすぐに帰ってしまい、21世紀が心配になったという。それが1999年のこと。以来、ネパールに通ううちにいよいよ2009年に家を借りて引っ越す計画をしたが、心臓の病気になり、帰国を余儀なくされた。住職さんには日本が堅苦しく狭いという。
ダライ・ラマのファンで、講演には毎回足を運んでいるそうだ。チベットにも行き、ダライ・ラマが逃亡した経緯のヴィジョンをみたそうだ。彼女にとってヴィジョンも現実のうち。80歳になってひとはようやく人生の意味を知ると教えてくれた。

その後、昼まで空村の掃除をする。雑巾掛けをするほど、木は綺麗になり味が出る。あとで教えてもらったが無垢材は、磨くか削るかすればずっと使えるそうだ。

夜、ボルダリングジムのオーナーに電話して道具一式を譲り受ける話しをまとめた。2tトラックを借りてピックアップすることになった。10万円。高いのか安いのかわからない。オーナーは師匠でもあるので支払うべきだろう。むしろ、どうやって10万円をつくるかを考えることに意義がある。

土曜日の夜の懇親会にはあいちトリエンナーレ実行委員のメンバーも来てくれた。津島であいちトリエンナーレに参加したい旨を伝えたが、すぐにピンとは来てないようだった。なにも参加しなくたって、それぞれの自治体でやればいい、という感触だった。なるほど、まずはなにができるか組み立てて、そのプランをあいちトリエンナーレあるなしに関わらず、実施するような計画がいい。

土曜日の空村の見学会には、岐阜で自給自足をしてきた家族が尋ねてきてくれた。いまの大家の代替わりで家を出ることになり、新しい場所を探しているそうだった。彼は、ぼくがやりたいことを既にやっている、もし空村に来るのであれば、数多くの知見を手に入れることができる。もしかしたら、自分から誘うという仲間の作り方もありかもしれない。

津島の近くに住む家族は、本気で空村に住むつもりだ、と語ってくれた。旦那さんは電気工事士らしい。もしかしたら人が直感に従ってやりたいことをやれば、世界は取り合いにならずに、うまく回るようにできているのかもしれない。

春から県庁に移る津島市の職員の方はずっと空村にいて見学会の様子をみていてくれた。懇親会まで参加してくれ「楽しい夢をみれて楽しい」と言ってくれた。同じ夢をみているんだと思った。空村はゲストハウスも営みたいと計画している。それができれば、場所がお金を生み、自活することができる。ぼく自身も自活し、家も自活すれば大好きなことだけをやりながら生きていくことができる。

今回の滞在で、空き家に関してひとつのアイデアが生まれた。オーナー水谷さんは「この家はまだ生きている。」という話を聞いて想った。空き家は再生という発想が強いが、生きているのであればいつか死ぬ。であれば、空き家を再生することと壊すことは表裏一体の現象で、両方やらなければならない。もし空き家を壊して、そこから材を取れれば、壊すことでお金を得て、その材で空き家を再生することができる。学ぶにしろ、なんにしろやるべきことだ。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com