いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

夫婦でアート活動する檻之汰鷲の夫、生きる芸術を実践する生活者イシワタノリオと申します。

朝5時に起きて6時30から10時までの清掃アルバイトが生活のリズムをつくっている。
「早起きは三文の得」という諺があるが、実際に得る徳は、それ以上のものがある。仕事なので絶対に寝坊できないから毎朝、クソ早い時間帯から頭を働かせることになる。朝の3時間30分を働けば、ひと月で交通費を含め9万円になる。仕事は単純作業なので、いろんな考えが瞑想のように浮かんで消えていく。

「素早く綺麗に」を課題にされた清掃作業は、時間が余って掃除する場所を探すほどに成長した。ある時、ガラス窓が人の目線より、特に下の方が汚れているのをみつけ、拭きながら、たくさん集中するところにこそやるべき仕事があることを発見した

その日の午後、古くからの友達から電話があった。
去年の年末、彼が仕切るトークイベントを観戦して刺激的な体験した。出演者が8人もいて、それぞれ語れば溢れるキャリアを持っていて、トークのテーマは「これからの未来」だった。結果的には、誰も未来像に触れず、自分のキャリアについて語るに留まった。最後に口を開いた出演者が「これだけのメンバーが揃っているのに対話が成り立たないのが残念だ。ここでは誰がなにをしてきたかでなく、この場で、未来のためにどんな対話ができるのか、いまここで話し合うべきなんだ。ぼくらですら話し合いができないのであれば、世界平和なんて程遠い。」と、とどめを刺した。

このイベントは失敗だったと批判したひともいた。でも、ぼくは感動した。予測不能な展開のなか、こんな結末があったことに、そして「対話」という課題が残されたことに。彼が電話をくれたのは、ぼくが3月末のイベントに出演オファーした返事だった。

彼は言った。
「いま俺は大きな企業の組織のなかで仕事をしていて、ほんとうはすぐに辞めるつもりだったんだけど、大きな企業を利用して、動かすことができれば、社会に与える影響は個人がやるより大きい。そう考えたら、仕事が面白くなってきて。きっと同じように考えている奴もたくさんいると最近は感じているんだ。クリエイターはアーティストだけじゃないって。サラリーマンだって表現者だ。そういうテーマで話しをしたいな。」電話の向こうで想いを語ってくれた。

多くのひとが悩み格闘する「働くこと」について。組織に属すほどに理想の実現は難しくなるだろう。それをやり甲斐と捉えるのは、まるで登山家か冒険家のようで痛快じゃないか。

ここじゃない誰かのところでも、遠くで泣いているひとのところでもない。やるべき事は、自分自身のところにある。大きな仕事も小さな仕事も、やるべきことをみつければ、誰かのために社会のために行動するなら、その仕事に貴賎はなくなる。アルバイトでも、ゴミを捨てるのも机を拭くのも、雇用をつくり出すのも、組織に属して社会を動かすのも、起業するのも、心の置き場所でどれもクリエティブな仕事になる。

生きることを芸術にできないかと考えて1年が過ぎた。考えれば考えるほど、所謂アートや芸術に対する興味や関心がなくなって、いよいよアーティストという肩書きの意味がわからなくなってきた今日この頃、生きる芸術を実践する生活者イシワタノリオ(檻之太鷲/おりのたわし)と自らを名乗ろうかと思う。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com