いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

心の奥にある未満の想いをみつけたとき錬金術になる。

さて旅から帰国して、5ヶ月が過ぎ、今年も終わりに近づいてきた。いまは、来年、改修しながら住む津島の空き家、空村に向けて準備している。打ち合わせや連絡を繰り返して少しずつ実現のために動いている。

作品をつくることを最優先にした生活も1年以上が過ぎた。結局、収支としてはマイナスの状況。作品を売っても日々の出費に呑み込まれてしまう。自由になるとは自立することで、それをやろうとすれば、どうしてもお金と向き合なければならない。

作品をつくって家から出なければ、さほどお金はかからない。しかし、そういう訳にはいかず、やりたいボルダリングのジムは欠かせない。レッスン料と交通費がどうしてもかかる。たまに山に行って岩を登りたい。無職の人間がなんという贅沢を言って居るのか。しかし、やりたいことは、どんどんやらしてあげたい。やりたくないことはやらなくていい。でも、やりたいことをやるために、やらなければならないこともある。むしろ贅沢している分だけでも、定期的な収入を得たい。

朝8時に起きてのんびり朝食を済ませインターネットでニュースなんかをチェックして、朝10時ころから、ようやく作品に手をつける。そうじゃない日もある。日記を書いたり。はっきり何をしたか定かでないままお昼になることもある。ぼくは、はっとした。生きる芸術をテーマに活動しているのに、なんと時間にルーズなことなのか。すべての人間に平等に与えられた唯一の資源、時間をこんな使い方をしてしまっていることにショックを受けた。

デザイナーの友達は仕事柄の怠惰な生活パターンを正すために、早朝の清掃のバイトを始めたそうだ。すると1日にリズムが生まれ、いろんなことが上手くいくようになった、と。そこで早速、早朝の清掃バイトに応募して、朝6:30〜10:00まで働く生活パターンを手に入れてみた。

5:00に起きて働き始め1週間が過ぎた。ボルダリングジムの交通費を補うためにバイト先は近くにした。清掃のバイトはオフィスのゴミを捨て掃除機をかける。働いている人は忙しくて、ゴミなんか捨ててられない。そんなことをしていたら生産性が落ちてしまう。だから、ゴミを捨てるという仕事が発生している。そこにニーズがあるからお金が発生する。ぼくは社会という生き物の一部になったような気分だ。まるで身体の悪性の菌を退治する細胞のように。社会に必要とされたおかげで定期も購入でき、ボルダリングのジムにも好きなだけ行けるようになった。

昨日、日頃から共感するエイジくんと話した。日本を代表するジャムバンドでベースを演奏してバンドをマネジメントしている。エイジくんのライフスタイルは、ぼくよりずっと進んでいた。なかでもフェスの制作の仕事をしたきっかけのエピソードがいまの自分にリンクした。あるフェスに出演した1回目は、イベントはうまくいかなかった。2回目は少し協力した。それでも上手くいかなかった。そこで3回目は制作として関わった。そして成功した。それが仕事になった。明らかにエイジくんはニーズを満たした。主催者だけではできないことに手を貸し成功に導いた。そういうノウハウをエイジくんは持っていた。

自分ができることを最大限活用し社会の様々な局面で手を貸して成功に導けば仕事をつくり出すことができるんじゃないだろうか。掃除の仕事と同じだ。誰かが手をつけていない場所にこそ価値が埋れている。つまり周りを見渡せば、そこには宝が眠っている。未満なところにこそビジネスチャンスがある。0(ゼロ)を1(イチ)に変えることができればそれが成功だ。

いま取り組んでいる空村にはその可能性が溢れいる。現地に行きお店を尋ねて話しを聞くうちに、この場所を活性化させる動きが水面下で始まろうとしていることが明らかになってきた。それはまだみんなの心に燻っている想いだった。

地元の人たちは、出会ったときに「風が吹き始めました。わたしたちが想いを持ったら、そうなるように追い風が吹いて背中を押してくれているようです。」
まったく予想もつかない点と点を結びつけてつくっていく。生活圏を。ぼくは未満なところに注目して、一緒に成長してくれるギャラリーを探してみることにしたい。


夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com