ぼくがどのように糧を得て生きていくのか、その創造の仕方が「生きる芸術」の骨格になる。

今朝、昨日の夕方に出掛ける前にチフミが急いでつくってくれたスープが美味しかったことを想い出した。今日のお昼にまた食べようと考えた途端に急に悲しくなった。いまはチフミがいるから食べられるが、いなくなったらもう食べれない。いつかは、どっちかが死んで残されてしまう。そんな当たり前のことで涙が出てきた。

空き家を直して住みたい。余っているならぼくが使おう、そういう考えで始まった空き家を巡る冒険は「移住」というキーワードにリンクして、思いもしなかった方向に進展している。土曜日には移住フェスなるイベントでスピーチし、MXTVの取材でテレビにも少し出た。ちなみに「空村」はぼくのプロジェクトではない。「ぼくたち」のプロジェクトだ。

メンバーは、農林水産相で働きながらNPOで「芸術家の村」を主催する柚木さん。彼が空村のアウトラインを描いている。彼の役人であるセンスが、空村をパブリックな存在にしている。商工会を通じた雇用の創出、市役所や県庁への挨拶(津島市長に面会まで果たしいる)、NPOという法人格がプロジェクトの顔になり信用され社会に広く受け入れられるている。

2人の建築家がいる。ひとりは名古屋在住の米澤隆。名工大で学生に建築を教えながら、自らの米澤建築設計事務所を運営する。大学で授業を持つだけあって「建築とは」という命題を問い続けている。自らをそのことしか考えない「建築バカ」と称している。米澤博士が言うには、空き家改修は、あるモノを利用する建築業界の最前線のトレンドだという。その事例をつくるためにプロジェクトに参加している。古民家改修の前例を採取して、よい部分を抽出しパターンランゲージとして改修希望者が使える言語にしようと計画中だ。これは建築の科学だ。

もうひとりは名古屋出身で東京在住の鳥羽真。かれは木造建築の構造の専門家だが、木造建築を手掛ける機会が少なく、いまは新橋のまちづくり開発や東北の復興まちづくりなどに参加している。また人と人を繋げるネットワークが豊かな人物だ。空村の改修の計画スケジュールや実際にかかる費用など現実的な部分を検証して実現に近づける役割を担っている。

企業のコンサルタントを本業とする名古屋在住の鈴木さんは、水面下で人とコンタクトして空村に重要な人材を提供している。フィクサーと呼ぶに相応しい黒幕だ。ちなみに米澤建築博士は、鈴木さんの紹介。

昨年末からは、津島市の駅前商店街活性化を企む小林慶介が参加するようになった。彼の登場で、空村は津島市と繋がることができた。空き家改修だけでなく、地方創生というテーマにも取り組むことが可能になった。彼からのネットワークは、この1年ぼくにとってかけがえのない財産になるだろう。

たったひとつの空き家から始まる冒険は、仲間を呼び寄せ「移住」というキーワードに乗ってここまで進んできた。おかげで、たくさんの人に出会うことができた。重要なのは、これだけ豊かなネットワークをつくる可能性を活用してカタチにできるかどうかだ。

去年の夏、1年間の旅から東京に戻り、この街になにがあるか観察して作品のチーフを探した。みつけたのは、それぞれの人生を生きる人間たちだった。その人間たちがつくる物流と経済があった。それは戦後から復興という合言葉で、つくりあげてきた未来の姿だった。ぼくは、この社会の様子から、人間こそが財産だと理解した。人と人が出会い、協働することで仕事が生れる。その積み重ねが社会をつくる。だからこそ、今年は人と人の繋がりを活かして生活圏をつくりたい。社会とは共同幻想で、あるのは、ひとりひとりの生活圏だ。ぼくらはそのなかで交易して生きている。きみの生活圏とぼくの生活圏が混じれば、そこに交流が生まれる。価値を交換すれば経済がうまれる。仲間であれば、その交換がトレードアップになるように心掛ける。もらったものより良いものを対価として相手に贈る。社会はぼくらの日々の選択のなかにつくられていく。

嫁と1年間、ヨーロッパとアフリカを旅しながら出会ったさまざま暮らし方を組み合わせて、生きる芸術を津島市の空き家で表現し、自分の生活圏をつくってみようと企んでいる。
まず家を自分で改築できるようになれば、820万戸も空き家がある日本では、住む場所に困ることがなくなる。また、自分が所有せずに移動し続ければ、その改修した物件は誰かが利用することができる。
毎日の暮らしのなかで絶対に必要なものは食べものだ。野菜を育てて収穫できれば、食べるものが手に入る。これは1年単位でどれだけ賄えるのか検証が必要だ。
家を直すにも材料や道具でお金がかかる。食べものもすべてはつくれない。プロジェクトを作品として完成させるにはインターネットや電話などの通信環境が必要だ。なにより、新しい土地に移住して税金を支払わない訳にはいかない。電気、水やガスなどの基本的な公共料金の出費もある。そうやって数えていくと、なかなかなの仕事をこなさなければ、生活できる水準に届かない。

要するに社会に根ざす生活者である限り仕事をして対価を得なければ生きていけない。最低限のお金で生きたとしても、それが豊かなのか疑問が残る。

つまり「生きる芸術」を表現するなら、ぼくがどのように糧を得て生きているのか、その創造の仕方が、この表現の骨格になる。ぼくたち夫婦が家を直し、毎日の食事をして、アート作品をつくって暮らしていく。それが豊かな人生になるのは、どんな仕事の仕方でお金を得るのか。そのやり方をつくってみせるのが「生きる芸術」のもっとも表現すべきところだ。


夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com