いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

「ない」と「ある」その両方にない場所、つまり空白。

10年前に拾った本は時間の使い方について書いてあった。以来、たまに時間を意識して生活するようになった。昨日は久しぶりにタイムスケージュルを組んで一日を過ごしてみた。

5時に起きて朝の清掃のバイトを終え10:30に帰宅して、メールをチェックして11:00過ぎから愛知県津島市の空き家再生プロジェクト空村のプレスリリースの原案をつくり、13:00から昼飯をつくって食べ、14:00から出版のために書いている「生きる芸術」の原稿を直し、19:00から日本橋で空村のミーティングがあるので15:00に家を出て、池袋のボルダリングジムに向かった。生活のパターンのなかに運動を入れるのは重要だ。なぜなら人も動物だから。身体を駆使して本来サバイバルする生き物だからだ。

ジムへの通り道にある大型書店リブロに寄った。本棚を眺めながら欲しい本をチェックしリストアップした。黒澤明の本が欲しかったが買うお金がほんとうにないので諦め、さらに本のチェックだけ続けた。それはそれで楽しくて興味ある本のリストをつくって満足したので、買えない残念な気持ちをその場に捨て外に出た。視線が空に抜けて気持ちが広くなった。

その瞬間、心に空白が生まれた。新しい感覚だ。ジムに向かって歩きながら考えた。この空はどうして生まれたのか。何なのだろうか。

ぼくは書店で本の背表紙を眺め興味が湧くひとつひとつを手に取って中身をチェックした。そのひとつひとつが知覚の扉を開いていた。その向こう側には入らなくても、窓から向こうを眺めることができた。ぼくは観光するように、本から本の景色をいくつも眺めていった。もし、ぼくがどれかを選んで買っていたら、空白は選び取った本に埋められ、空白は生まれなかっただろう。ひとつひとつの本を手に取り見た景色は忘れてしまっていただろう。

この一日を文章に例えれば、びっしりと隙間なく文字が詰まっているようだった。たった数行を除いて。書店にいた数十分、買わないで外に出たその僅かな行間に空白があった。


夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com