いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生きていくことは起業すること

「改めて」とは大切なこと。常に成長しているから、何度でも改めてこそ、そこに今が現れる。改めて、ぼくがなにをしようとしているのか書いてみたい。

ぼくは、2011年の東日本大震災をきっかけに、自分生き方について考え直した。いままでと同じようなやり方では、未来がみえてこなかった。だったら自分でつくるしかない、と考えた。そこで、世界中のひとがどんな暮らしをしているのか旅してみた。その時のキーワードは「アート」だった。「アート」を表現することで生きていきたいと考えていた。しかし、ぼくが心を惹かれたものはアートではなかった。バルセロナでは、倉庫を改造してクリエイターがシェアする空間を作り出していた。あるアーティストは、ボートをつくっていた。ザンビアではこれまでぼくが考えていたような「アート」を必要としている人なんていなくて、毎日の糧を求めていた。ぼくが興味を持っていたのは「アート」ではなく、「生きていくこと」だった。だから旅を終えて自分の追求するコンセプトを「生きる芸術」とした。

さて「生き方」をつくると言っても、それこそ自由だ。レシピはたくさんある。ぼくはヒネクレた性格をしているので、既にある枠にハマりたくない。と言っても革命的に新しい生き方をつくろうとも思わない。自分の興味の向くままに、生き方を編集している。まずは「お金」。これを手に入れるには、誰かから受け取らなければならない。ぼくの場合は「作品をつくって売る」がもっともシンプルな収入を得る方法だ。まず、それを試みている。10月に個展をやってオークションを開き、その時に収入を得ることができた。facebooktwitterを通じて売れた作品もある。いまを生き延びることができる収入にかろうじてなっている。でもぼくは妻と2人で活動している。とてもこれだけでは生きていけない。あまりに不安だ。そこで、こう考えてみることにした。ぼくは起業した、と。

自分の持っている「モノ・コト・スキル」に価値をつくること。それがぼくにとっての起業だ。「価値をつくること」は、この経済社会のなかで評価を得ることだ。その金額が社会に必要とされた証になる。収入が低い評価されない風習はここから来ている(と推測する)。そうなってくると、僕自身が一体、どんなことをして社会に参加しようとしているのか、そこを明確にしなければ誰も対価を支払うことはできない、というこに気がついた。

ぼくができることは、平面のコラージュ作品をつくること。その作品は空間を飾ることができる。ヨーロッパとアフリカ大陸を旅してきたので地球的な感覚がある。技術的な感覚と直感の入り混じった、素朴でポジティブな作品だと自分では思っている。これはメッセージでもある。この箇所をもっと拡張していくべきだと書きながら気がついた。この創作活動の価値を伝え、評価を得てくこと。これは簡単な仕事ではない。すぐにお金にもならない。でも、ここがもっとも芸術的な表現活動でもある。

先日の展示で、犬のパピエマシェ(張り子の人形)を発表したところ、とても好評だった。なので7種類の動物を制作した。すでに2つ売れて2つ予約が入っている。自分の独創よりも、多くの人が興味を持つものをつくった結果だ。ぼくは喜ばれる作品をつくることが楽しい。このやり方は、売れる可能性のある商品を生み出す。しかし、相変わらず自分で値段を決めることが難しい。制作にかかる日数や手間を考えるとどうしても1体が3万円ぐらいしてしまう。それでも買う人をみつけることがやらなければならないことだ。もっとも、お店に卸したらもっと高くなってしまう。

ぼくがエジプトに滞在したときに、エジプトの人たちが、どんな理想の暮らしを求めているのか、アンケートをしてそれを作品にした。ぼくは、その手法を「社会彫刻」と名付けた。ヨーゼフ・ボイスが用いた手法だ。アートや芸術には、すでにあるカタチを取りだしたり、並べ替えたり、削りだしたりする手法がある。社会に対してそういう技法を用いることで、カタチとして表すのが、ぼくの考える「社会彫刻」だ。その方法を用いて社会の問題の解決に取り組む。

ザンビアで泥の家を建てて、日本でも自分で家を建ててみたいと考えるようになった。そこで日本に820万戸もある空き家に注目した。地方は過疎が進み空き家が増えて社会問題になっている。空き家を再生して人が流れていけば、その問題の打開策になる。もちろん、空き家問題への取り組みなんて、新しい手法でもないし、あちこちでやっている。だからと言って、やらない理由はない。それぞれの動機があるのだから。それだけで充分違う過程と結果を生み出すことになる。前例はたくさんあった方がいい。

ぼくは空き家を改修して木工の技術を身につけたい。その技術でボートをつくりたい。日本はこんな島国で海に囲まれているのに、ボート文化が失われている。あるのは、せいぜい屋形船や公園のボートだ。しかし、かつては、自転車のようにボートは生活のなかにあったはずだ。それにボートは人類でもっとも古い乗り物なんじゃないだろうか。ボートをつくりボートのある暮らしをしてみれば、そこから見える失われた生活きっとあるはずだ(すべて直感)。

2013年、よし!アートで生きていくぞ、となんのコネクションもなくスタートした夫婦のアート活動は現時点ではこんな状況なっている。来年の春には愛知県の津島市に引っ越して空き家の改修とアトリエづくりがスタートする。制作環境は整う予定だから、制作のオーダーやネットワークを集めておかなければならない。こうして人との繋がりをつくる「営業」が必要になってくる。

という訳でご興味ある方は、ぜひ会ってください。そして一緒に仕事しましょう。ビジネスをつくり出すことも「生きる芸術」。きっと、こうやって当たり前の生活を愉しく工夫して生きていくことが、「生きる芸術」だという結論になりそうで笑えてくる。芸術を日々の暮らしのなかに溶かして消してしまうのが、ぼくのやりたいことなのかもしれない。
檻之汰鷲(おりのたわし)2014.11.23

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com