いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

社会彫刻としてのアート

何度も繰り返し、更新していくことにチャレンジする意義がある。いま空村(そらむら)という空き家を再生するプロジェクトに参加している。発端は、ザンビアで家を建てたので、日本で家を自分で建てたい、という想いだった。調べてみれば、日本には空き家820万戸もある。一体、どれだけの数の家が余っているんだろうか。家を自分で建てる目的には、木工の技術を習得する目標もある。それはボートをつくるためだ。ぼくの目的はシンプルだ。ボートをつくるために木工の技術を習得したい。空き家を修理して住めるようになれば、家に困らないし、ボートもつくれるようになるだろう。

だから、ぼくは「空き家を修理して住みたい。アトリエにしたい」といろんな人に相談した。インターネットで調べる情報は既に商品やサービスになっている。だから、情報になる前の原石をみつけなければならなかった。情報になる前の出来事を育て伝えることが価値をつくることにもなる。ぼくの前に現れた空き家は、愛知県津島市にあった。そこが何処だか見当もつかない。でも、自分が何も知らないことこ、インターネットで検索して魅力的な情報がないことも、とても重要なポイントだ。それと直感。ぼくはこの家を下見にいって、とても素晴らしい物件だと感じた。ただそれだけだ。

このプロジェクトには仲間がいる。空き家の話をするうちに出会った、この機会をつくってくれた柚木さん。彼は小学校の3年間、ブラジルで過ごし、日本に帰国して、日本の社会に狭苦しさを感じた。その想いが、画一的ではない、個性を十分に伸ばせるような場所をつくりたい、という想いなっていた。柚木さんは、その想いをこの空き家で実現しようと考えている。木造建築家の鳥羽さんは、名古屋の出身で、津島の近くにおばあちゃんが住んでいた。津島という辺鄙な場所を活性化すること、築80年の空き家を木造建築の技術を生かして再生することをモチベーションにしている。もうひとりの建築家の米澤さんは、大学の講師をやりながら、建築事務所を運営し、名古屋で知られた存在だ。彼は、建築という専門的な領域を一般的なひとが利用しやすいように、クリストファーアレキサンダーの「パターンランゲージ」引用して、家の構造をカタログ化して提供したいといアイディアを持っている。

もしこれがビジネスであれば、目的はただひとつ利益をあげることに集約される。しかし、これは夢を叶える、やりたいことを実現・実験するプロジェクトに成長しようとしている。それは各々が、自分の想いに素直に動いている結果だと思う。そのおかげで、プロジェクトは、急成長している。

この週末名古屋市津島市をまわってプロジェクトの説明と挨拶をした。挨拶といっても知り合いはいないので、名古屋市はインターネットで調べて、気になる人に会った。長者町アーティストインレジデンスに行き話をしてみると、ここがあいちトリエンナーレの始まりの地だということが分かった。実は、愛知に引っ越すのであれば、ぜひ、この祭典にエントリーしたいと企んでいたところだった。話した相手は、そのプロジェクトのひとりだった。つまり、簡単にそのコネクションができた。

もう1件、築100年の古民家を改修してカフェとギャラリーをやっている大井さんという方にお話を聞いた。大井さんは、アートというジャンルのなかで、表現することの限界を嘆いていた。「作家が絵を描いて、それだけいいのだろうか。もっと何ができるか考えて、社会に関わっていくべきなのではないか。」とても共感できる話ばかりだった。大井さんが嘆くほど、アートに想いを持っていることが伝わってきた。

津島市では駅前の商店街で話をきいた。ここはインターネットではなく、興味あるお店の方と直接話してみた。すると、空きスペースを探しているひとがたくさんいる、というのだ。ぼくは、東京にいて偶然出会った物件を運用することを考えていて、地元には、空きスペースがないと、探している人がいる。こんなアンバランスなことになっているのが現実だった。欲しいものを探しても、どんなに身近にあっても手に入らない。それはまったく思いがけない経路辿ってやってくる。なんという現象だろう。これは発見だ。これを表す言葉をみつけたい。

ぼくの空き家を巡る冒険は、現実のもとしてカタチになりつつある。津島市のひとたちは、こうした行動をしなければと感じていて、外側から介入する人間を待っていたようだった。ある人は、まさにいま、そういう風が吹いています。その風にのってやってきた話です。すべてはタイミングなんですね、と。

ぼくは去年からアートや芸術の役割について考えてきた。自分の感じるがままにカテゴリーを勝手に拡大して、行動し表現してきた。想いをカタチにして社会と関わるような行動をアートとして、発表したいと考えるようになっている。社会の歪みのなかに、落ちていく現実を、それぞれの想いや夢をカタチにすることで、また別の可能性へと変換していく、これこそまさに、ぼくがやりたい社会彫刻だ。もちろん発表するのは、2016年、あいちトリエンナーレだ。ぼくは、失敗なんてなんとも思わない。その過程で得るたくさんの経験や出来事や出会いにこそ価値があるから。


夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com