いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活芸術空間では、みんなそれぞれが生きるための芸術家。望む自分になればいい。

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毎日、新しい状況になっていく。自分が日々、取捨選択してきた結果が、日常に組み込まれていく要素たちが、生活にリズムを与えて、新しい生活圏に突入している。例えば、アートで生きていくと決めたことや、妻と一緒に作品をつくることや、北茨城の限界集落にアトリエを構えること、廃墟を再生すること、それらを選択して実行していくうちに、それらが結果的に食と住をもたらしてくれている。つまり、廃墟が家になり、その再生を喜んでくれる人たちが、食べ物をギフトしてくれるおかげで生き延びている。

仕事のカタチも新しくなっている。アトリエにしている古民家をツアーバスが訪れて、案内することで対価を貰った。飛行機の機内誌に北茨城のおススメのスポットを紹介して仕事になった。今自分がしていることを話すことでもおカネを頂いた。

けれども、していることの中心はおカネを生み出さない。その周辺に食べ物やおカネという生きるために必要なモノが付随してくる構造になっている。経済のカタチも新しくなっている。

 

北茨城市を拠点に暮らしているけれど、今、ぼくが体験していることは、一般的な北茨城市の暮らしではない。どこでもない、ここにしか存在しない一時的に作られた、土地に根付いた作品空間を生きている。これは、理想とする生活芸術空間を存在させている。奇跡的なバランスで成立している。

この一時的に自立している生活芸術空間は、公共であり、その背後にアナーキーな自由さが匿われている。反対から見れば、アナーキーでD.I.Yのインディペンデントな活動は、北茨城市が推進する芸術によるまちづくりの一環として、保護支援されている。公共と独立の両極に軸を持っているからこそ、既存の社会システムと距離を保ちながら、自由に実験に取り組むことができている。

この生活芸術空間では、人々も社会のレッテルから離れ、望む自分になることができる。ここでは、望む自分の役割を申告すれば、誰もが受け入れてくれる。

猟師のシゲ坊さんは、その道を極めたひとで、最近は廃墟再生の監督と呼ばれている。すみちゃんは、地域のアイドルで、彼女がいれば笑いが絶えない。昔ながらの料理をさせたら天下一品だ。地域の草刈りをしてくれるカセさんは、頼れる男で、古川さんは、ウナギ獲りの天才で、木を切る職人だ。

この一時的自立ゾーンで誰かと比較する必要はない。この狭い範囲の中で役割を持って活躍すれば、それでいい。広い視点で見比べれば、取るに足らない存在だったとしても、ここでは輝くことができる。みんなそれぞれが生きることの芸術家だ。

 

人間がその質と役割を自由に持てるなら、この地域の環境もまたその質と役割を新たにする。

例えば、先週までフィンランドからアーティストのヨハンナがこの集落に滞在した。彼女は、空港から直行でこの場所に来た。つまり、フィンランドから北茨城市里山にやってきた。彼女は下調べしないで、あれこれ知識を持たなかったおかげで、ありのままの地域を体験することができた。

 

それは純粋無垢に彼女の言葉で言語化されたこの地域の姿だ。彼女は、フィンランドの自然とは異なるそのカタチに驚嘆した。自然はここまで巨大なんだと。自分の想像を遥かに超える植生の豊富さに。彼女は、見えないモノを確かに感じ、見えることより見えないことの方が圧倒的に多いことを直感した。

 

彼女は、いくつかのスケッチを残してくれた。それは、この地域に暮らす人々にとっての日常の景色。けれども、それらがアートとして表現される表情を持っていることを、彼女は地域の人々にその眼差しをギフトする。地域の人々は、スケッチを通して、その魅力を発見する。これこそ、アートが持つチカラだ。

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出来事は、この地域での秘め事のように起きた。この地域では、今まで想像できなかったことが起きている。

 

想像したことを行動にして、それを積み重ねていけば、現実は想像世界に上書きされていく。自分自身も想像世界の自分に近づいていく。ピカソは「想像できることはできる。想像できないことはできない」と言っている。

 

映画や小説や漫画や、あらゆる物語の多くがディストピアばかりを描いて、なぜ、ユートピアがないのか考えてみた。ユートピアは想像できないから描けない。じゃあ、ユートピアは存在しないのか、と問えば、答えは意外なところに転がっている。ユートピアとは、何もない日常のことで、事件やニュースがない、そんな一日が既に幸せだ、と。ユートピアとは、生きていることそのものだ。つまり、今日明日明後日と過ぎていく一日、一日。すでにそれが素晴らしい。

 

もし、何もない一日に幸せを感じないのであれば、それは何かが間違っている。歪んでいる。ズレている。いずれにしても、今日、明日、明後日と連続する毎日にそれぞれの幸せの種はある。

それは「欲」に対する付き合い方で育むことができる。欲を育むのではなく、人間に憑いて離れない呪いのような「欲」との付き合い方を育てること。自分のためにしない、と言い換えることもできる。自分が欲することのために行動するのではなくて、誰かのためになることで、自分が欲することを行動する、それだけで話の展開は全然変わってくる。

 

例えになってないかもしれないけれど、水が毎日あるうちは、水に感謝なんてしない。その有り難さも知らない。けれども、水がない状況になれば、どんなに水が必要か、その大切さを知る。つまり、不足する状況に身を置くことが喜びへの近道だと思う。誰かに感謝できる心の状態が幸せなんだと思う。ぼく自身が生きるための芸術と呼んでいるものも、毎日変わっていく。感謝するべきことも、モノの視点も。ふとした瞬間に見えなくなることがある。だから、こうやって書きながら、その意味を確かめている。

建築と瓦礫の行方

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damn-地獄へ落ちる。danger- 危険。dark- 暗い。dead- 死。decieve- 騙す。妻チフミがDのつく単語を調べている。

再生中の廃墟の名前をD-HOUSEにしたんだ、と話すと

「D-HOUSEってどういう意味なの?」と聞くので「DはdisasterのDで災害のこと。廃墟はボロボロで水もトイレもないし、何かの災害に遭ったみたいだから、そっから復興するみたいに生活を作るってコンセプトなんだ」と説明した。すると「D」の他の英語を探し出した。調べてみるとマイナスな単語ばっかりでDは嫌だと言いうので、delight(喜び)ってのはどうかな、と提案した。

 

ぼくたちは夫婦で一緒にアート活動をしているから、朝から晩までずっと制作している。もう5年も場所を転々としながら家を直し続けている。長く没頭できる状況ほど幸せなことはない。結果は、すぐには見えないからコツコツと毎日積み重ねるしかない。結果が見えなければ、評価も比較もない。今日、明日と一日一日を積み重ねられることに幸せがある。

昼間は身体を使う労働をして、夜は家でやれることをやる。夫婦の会話も次どうするか、あれをどうするか、作品や活動について常にミーティングしている。宮本武蔵は、日常が戦場になれば戦場が日常であり、戦さだからと身構える必要もなくなる、と書き残している。

 

昨日の夜は、廃墟プロジェクトをどうやってアート作品として展開するかを話し合った。ぼくたちが毎日していることはアートではない。ぼくはアートだと思っているけれど、世間的には違うことになる。

していることは、片付けと廃墟の改修だから、職業で言ったら建築屋さんか便利屋さんのようなことだ。誰に頼まれた訳でもなくこれをやっているから職業でも仕事でもない。幸いにも今は地域おこしの一環として、この活動が芸術だと認められて、補助金を得ている。

 

やっているのは環境を作ることだ。北茨城市里山に、自然と共存する芸術が生まれる環境を作ろうとしている。小さな事で言えば庭みたいなことだ。暮らしと自然の間に作られる、人間が手を掛けた不自然を、できる限り自然の手の内に調和させてみたい。日本の地方では耕作放棄地、休耕田、空き家、廃屋、瓦礫は価値を失い、そこにただひっそりと存在を消している。小さな山、川、森、木々、植物、自然が与えてくれる環境と無視される遺産が作品の素材になる。

地域で、とても仲良くなった、母でもないし友達でもない、と同時にそのすべてでもありぼくら夫婦の理解者であり協力者でもある豊田澄子さんは、自分が死んだ後にも、何かを遺したいと考えて、桜の木を50本この地域に植えた。何年後になるか分からないけれど、この集落に桜が溢れる春がやってくる。

自分のためにではなく、他のために動くこと。これが「働く」の原点だ。お互いが損をするようなことを行動にできるか。想いがなければ、そんなことはできない。

ぼくら夫婦も澄子さんへの感謝、地域への感謝から、桜プロジェクトに貢献しようと考え、廃墟を片付けることにした。産廃をかなりの量片付けたけれど、どうしても手に負えない廃棄物がある。捨てらない瓦礫やタイヤが残っていて、これをどうにかしたいと考えていると、親切な人が業者を紹介してくれ見積もりを取ったら30万円だった。価格の「高い/安い」よりも処分できることが分かったから、あとはおカネを捻出すればいい。

この土地を使っていた土建屋さんが残していった産業廃棄物の山。この負債を誰のせいだと押し付け合っても解決しない。なので2020年1月に開催される芸術祭でグッズを販売して30万円を作ろうと計画している。グッズの候補としてパーカーのデザインを考えた。それで前向きな「D」が必要になった。産廃が片付いたところに桜を植える。

 

ぼくら夫婦はアートを表現しているけれども、拠点は北茨城市の山の集落で、お年寄りにしか会わない。毎日会う老人たちは、ぼくら夫婦がしていることに興味を持ってくれ、時には手を貸してくれる。野菜や食べ物やお小遣いをくれる人もいる。そんな人たちを無視して表現する理由は1ミリもない。だから必然的に、毎日出会う人に伝わる表現をしたいと思うようになった。子供からお年寄りまで、できるだけ分け隔てなく伝わることが、ここで表現することの基準になった。

アートをできるだけ分かりやすく、伝わりやすく表現すること。それは結晶化することでもある。これは芸術だから、分からない人はむしろ勉強が足りないとか、芸術だから高尚であると、椅子に座ってそこから歩きもしないような表現になりたくない。芸術のための芸術だとしたら、それはもう腐っている。芸術は常にその意味を更新していく。時代は変わるのだから、人間も変わるのだから、伝えるべきメッセージも位相を変える。その意味で、お年寄りに伝わるアートという基準は、素晴らしく有り難いハードルになっている。

つまり、パーカーのプリントのデザインをしているのだけれど、ファッションとは程遠い、お届けする対象は80代から10代になる。特に高齢者はメインターゲットになる。何なら伝わるのか、チフミと話し合っているとき「debris」という単語に遭遇した。

Debrisは瓦礫という意味だ。今まで注目したことのなかった瓦礫という言葉。建物が破壊された残骸のことで、建物を壊せば瓦礫になる。例えば建築が建物を生むことを意味するならば、瓦礫はその死体。つまり、建物の対極に瓦礫がある。建築と瓦礫。この対比に初めて気がついた。

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大切なことは、誰かが見つけたことではなく、自分の興味が発見したこと。その眼差しは作家にオリジナリティを与えてくれる。ゴミでしかなかった瓦礫の存在が新しい意味を纏い立ち現れてきた。

人は、ほとんどのことに注目しないまま生きている。当然ながら、すべての情報をキャッチしたら頭がパンクしてしまう。だから、ほとんどのことをオフにしている。ぼくにとって瓦礫がオンになった。身の回りの些細なことでも、意味を探求すれば、いくらでもオンして哲学できる。

災害が起きれば瓦礫が出る。震災で壊れた家屋や、台風で流されたり吹き飛ばされた家、もしくは戦争や火災など、かなり激しい状況下で瓦礫は発生する。再利用することもできるけれども、その比ではない瓦礫予備軍が、今もそこら中に聳え建っている。すべての建物は瓦礫になる運命にある。

そう考え改めて瓦礫を観察すると、それは不思議な物体に思えてくる。それもそのはずで、瓦礫が発生することを分かっていながら家やビルを建てる。未来の瓦礫の量は計算されない。建築家は設計するけれども瓦礫になることを加算しない。瓦礫は建築家の仕事ではない。死は医師の仕事じゃない。そういうことだろうか。死ぬことは、生きることの延長にあるのに、瓦礫のように死は日常から遠ざけられ隠されている。

瓦礫は人工物で自然には戻らない。瓦礫は、人間が自然に抵抗して、より強度な構造を求めた結果、敗れた残骸だ。それでも人間は負けを認めず、それを無かったことにしたい。瓦礫は人間が自然界にある法則を駆使して誕生させた物体であり、人間は瓦礫の創造主だ。それなのに我々は瓦礫の行方を知らないフリをする。

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「我々は何処からやってきて何処へ向かうのか」ゴーギャンの作品のタイトルのように、人間が宗教を通じて神に問うような矛盾を人間が作り出している。

続く

労働から逃走する、自立した経済圏のつくり方試論

首が痛いので、今日は本読みながら、ネットを探訪しながら、これを書いている。自分は動かずに思考を旅してみる。

 

生活のユートピアというのものがあるはずだと思う。けれども、映画や文学や漫画にしろ、どれもディストピアを描く。その方が興奮度が高いからだろうか。むしろ、ユートピアは、あまりに平和で何も起こらず、物語として起伏がなく「お話」にならないのかもしれない。だったら、それこそ傑作で、実は何もない日常こそがユートピアだと言い換えることもできる。想像してみよう。どんな生活を送ってみたいか、想像するところに価値が生まれる。

誰かの命令で働きなくない

好きなだけ好きなように働きたい

さっと頭に浮かぶのは「労働」について。特別に恵まれた育ちでない限り、これから逃れることはできない。ほとんどの人はそう諦めている。逃げるこから。ぼくは諦めない。なんとか逃走しようとしている。奴隷的な立場に追い込まれないように。人類は長いこと、奴隷制度を援用してきた。この悪夢はまだ終わっていない。

うえの2つの文章は、その観点からすると大きく異なる。どちらも労働を拒否してる訳ではない。誰かの考案した労働で対価を得るよりも、自分で考えた労働によって生き延びたい。そこに自由と労働の対極が現れる。

 

生き延びるーSurvive という単語は、「vive - 生きる」を「Sur - 超える」という意味を持つ。

つまり、産まれながらにして与えられた環境を受け入れるだけでなく、作り替えていく、それこそが「生き延びる」ことであり人生を創造することでもある。

例えば、友達に仕事はどうか、聞いてみたらいい。何十人にひとりはバカみたいに楽しいというヤツもいるだろうけれど、ほとんどは我慢してやっているだろう。どうして、不幸が創出されるような社会の仕組みが受け入れ続けるのか。それは今の社会を拒否して生きられる手段がないからだ。だからこそ、脱出しなければならない。脱獄のように。ほんの僅かな隙間を縫って、完全犯罪のように、社会からの逃走を成功させて、まるで何も罪を犯していないように、のうのうと生き延びてみせたい。

労働が苦しくて自殺するなんて、21世紀にもなって、そんな状況があるなんて信じられない。だったら逃げればいい。生き延びるために。いまの社会が提示する「生きる」を超えるような次の時代の「生きる」を模索して。

そのためには、逃げる対象が何なのかを知るべきだ。もしかしたら、それほどの相手でないかもしれないし手懐けることができるかもしれない。

 

「働く」の語源は「傍を楽にする」こと。つまり、他者を楽にすること。食べ物をつくること、猟をすること、山を整備すること、道をつくること、どれもが自分のためだけなく、家族や地域、誰かのために動くことだった。

英語にはwork,labour,jobと、働くことに関する異なる単語がある。workには、作品という意味がある。labourは、労働であり、難産という意味もあり、苦しい労働をイメージさせる。jobは、聖書に出てくるヨブと同じ綴りで、苦難を乗り越えて信仰を守ったように耐えて働く先に喜びがあるようなイメージがある。

 

語源から探ってみるだけでも「働く」ことが苦難を伴うことだったと分かる。言葉は時代によって、その性質と意味を変えてきた。つまり意味は増え続ける。ツリー状に根を張るように。歴史の下に埋もれたツリーを探索して、新しい働き方をwork=作品として社会に提示してみたい。それは常識の枠を超えて生き方を「制作」するアートへと成長していく。

失敗を繰り返しても、そのひとつひとつはステップで、だから共有して、高見を目指す。否。「高い/低い」いう尺度を目指すのは間違いだ。もう古い。更新していくべきだ。水のように自在にカタチを変えて流れるままに高いところから低いところへ、言い換えるなら価値が消失する境界線ギリギリの別天地を目指す。そこにはプラスでもマイナスでもないゼロの平地が広がっている。

地図をいくら眺めても、その平面な図像からは、起きている出来事、リアルタイムな喜びや楽しみは享受できない。だから旅をする。観光ガイド、書籍、あらゆる情報をシャットアウトして、偶然に身を委ねて、未知の惑星に不時着するように、別の場所を求めて彷徨う。もしくは生きるための技術を盗むためだけに職業を転々とする。

ぼくの場合は「移住」という選択になった。それは別天地でゼロから始めるということじゃない。地図上にマッピングして、点を増やしながら、独自の経済圏を創出する。出会った場所や人と交易するラインを地図に描き出す。一度持った接点は、ネットを検索するように人と出来事を人生を創出するためのツールとして呼び出すことができる。

 

まず、このゲームは生き延びるために「労働」をリセットすることから始まる。耐えられない暇を有り余る生きるための時間を何らかの活動に費やすこと。資本主義社会的な、いまの時代のやり方を拒絶して、別のことに没頭してみせる。決して怠ける訳ではない。サラリーマン、会社員のむしろ1.5倍、労働を拒絶する代わりに別の何かを徹底的にやる。これが「好きなだけ好きなように働く」。

休日はない。毎日、好きなことに取り組む。疲れたら休めばいい。この「好きなこと」に没頭できるようになったら、対象を微調整していけばいい。没頭している自分の好きなことが、微調整で誰かに役に立つ地点と接続できるなら「働く」の語源によれば、それはwork=作品として成立する。

 

こうして「労働」を担ぎ上げて、言葉を費やすのは、それが「自由」の対極にあるからだ。自由とは、英語のfreedomとlibertyからの訳語で、明治維新のとき福沢諭吉らに与えられた語とされている。つまり自由なんてモノはそれまで存在しなかった。西欧でも、特権的な貴族が持つ「自由」だけがあった。

ぼくは檻之汰鷲(おりのたわし)という名前で「檻のような社会からアートのチカラで大空を羽ばたく鷲のように自由になる」というメッセージを背負っている。

ここでの自由とは、フリーダムでも、リバティでもない。「自らに由る」という漢詩由来の意味を込めている。ここでの自由とは、自分から発せられる行為で、他者からの要求や依頼ではないこと。つまり、自発的にすることで生き延びること。自発し与えられている生きるを超えていく、現在の社会が要求するフレームを外れて自発したことが結果、誰かの役に立って、それが働きになること。これが檻之汰鷲が目指すところである。アートとはまず自発することで、未開拓な枠組を超えたところに表現して、枠の内側から覗く人々にその向こう側を垣間見せる行動だと言うことができる。

そのフレームは、遠くである必要も特別である必要もない。なんなら、身近な目の前のフレームを逸脱させれば、そこにアートを宿らすことができる。それが生活芸術という思考であり、表現方法でもある。

続く

 

ぼくらの生活に椅子は必要なのか。思考しない社会のなかで。

電話が鳴った。取ると

「こんにちは。ちょうど良さそうな椅子が入ったのでメールで写真を送るから確認してください」

と言われた。

電話をくれたS老人は、リサイクル業をやっていて、何かチカラになれればと、一カ月ほど前に改修中の廃墟に足を運んでくれた。その時に、店舗と倉庫に一度来たらいい、必要なモノがあれば提供しますよ、と言ってくれた。

送られてきたメールの写真を見ると、それほど魅力的な椅子ではないものの、わざわざ山奥まで足を運んでくれ、親切から協力を申し出てくれているのだから、今回だけ受け取ることにしようと考えた。

S老人に電話を折り返す前に、妻のチフミに椅子を引き取っていいか相談すると予想通りチフミは「要らない」と答えた。そうだ。妻の言うようにこの椅子は要らない。

けれどS老人の気持ちを思うと、椅子は要らなくても、何かの縁だし、実際見て要らなければ、断ればいいからとりあえず、S老人のお店と倉庫に行ってみようと説得した。

 

今朝、軽トラックをレンタカーして1時間かけてS老人の店舗に向かった。到着して店内を見渡すと、リサイクルショップらしく生活品が雑然と並べてあって、そこに例の椅子が8脚もあった。たぶん、キャバレーやスナックにあった椅子だったと想像できる。実物を見ると、さらに魅力がないことがハッキリする。

S老人は全部で20脚あるから、残りを倉庫に取りに行こうと言った。チフミは「要らない」という顔をしている。クルマでS老人のお店に向かう途中、椅子を受け取りたいというぼくの気持ちを察してくれ「椅子以外は受け取らないからね。約束ね」とチフミは言ってくれた。

だからS老人に「8脚だけで充分です」と大きな声で伝え、倉庫を見学させてくださいと付け加えた。

 

ぼくは椅子が欲しいんじゃない。出来事に遭遇したいだけだ。だから椅子を受け取った。これも制作のひとつで、コラージュをやっている。現実に起きる出来事をコラージュして人生を作っている。「椅子」を受け取るという行為を通して、未知のS老人と交流し、その世界に触れている。

 

S老人の仕事は、都内から大型トラックで週二回運ばれてくるゴミを引き受けることだ。今日も4トンのトラックが二台来る予定になっていた。クライアントは、S老人の倉庫に運ぶことで、ゴミの分別作業と処分する労力を省いている。その対価としてS老人は、その処分費と労力を金銭として受け取る。そのゴミの中で再利用できそうなものを店舗に並べている。

倉庫の周りには、モノが溢れている。ゴミの山だった。倉庫の中にも、分類されないまま、様々なモノが積まれている。工具や箪笥、建具、衣類、オモチャ、誰かの家にあったモノたちが集積している。

S老人は

「もうこんな状況ですから、モノを分別する余裕がないのですよ。中には使えるモノもありますよ、価値があるとか、けれども、その買い手を見つけるのも苦労する訳で、壊れていれば修理してお店に並べたいけれど、それも手が回らないのです。だから、あなたたちの役に立てるならそれも意義があると思って、ですから、必要なもありましたら、いつでも連絡ください。すぐにみつかる訳じゃないですが」

と言ってくれた。

 

ぼくたち夫婦はそれほど必要としているモノはない。そもそも生きるために必要なものは何千年も前から人類には与えられている。もう充分なんだ。夏に新聞が取材してくれたとき、廃墟を再生するために廃材を呼びかけた。以来、協力を申し出てくれる人が現れる。断ればいいのかも知れない。けれどもぼくは人間が好きで、接触したいと思ってしまう。もうひとつの理由には役に立たないモノを役に立たたせてみたい、という気持ちもある。ぼく自身、役に立たない人間だから共感してしまう、捨てられるモノたちに。

 

帰りのクルマのなかでぼくが

「モノがどんどん生産されて消費されてゴミは増える一方で、けれどいつか生産する人も消費する人も、やがてはすべてのモノがゴミなると気がつ草未来があるかもね。だって燃やせないモノは埋め立ててるんだから人間が暮らす土地がなくなっちゃうよ」

と言うとチフミは

「けれど、そうやって綺麗事を追求していったら経済は回らなくなっちゃうよ。仕事もおカネもなくなっちゃっていいのかな。分かっててもどうにもならないし、どうにもできないんじゃない? それがちょうどいいから、こうなっているんだよ」

と答えた。

 

ぼくは、少し黙って返すべき言葉を探した。世の中は嘘ばかりだ。正直に生きたら、社会不適合者になるだろう。必要ないモノをどんどん生産して消費させる。そのために過剰な広告が考える余地を塞埋め立てる。

働くのが嫌だと感じるとき、それはプラスな働きをしていないと薄々気がついているからだ。つまり社会全体には何の考えもなく、その場しのぎで循環している。それに気がついた人たちが、何かを表現してきた。古くは宗教や文学で、映画や漫画やアートなど、人間は物語に託して、進むべき未来を想像してきたんじゃないだろうか。

 

ぼくはこう答えた。

「結局、原発と同じことだよね。ゴミは増える一方だと分かっているけど、それを追求して、現実を突き詰めたら経済が回らなくて、それには触れないってことだよね。そうなんだ、そうなんだよ」

 

椅子を運んだ軽トラックが、北茨城市の山の中の廃墟に着いたとき、日が暮れてきて、景色は山と草だけで、何もなくとても美しかった。こういう何もない山奥に最終処分場がつくられている。生産者も消費者も、それを知らない。それを知ったとして、ぼくたちにできることは何か。答えはなく、問い続ける先に道がある。

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自分を耕して未来をつくるために書く

どんな本にしようか。いま考えている。もちろん、出版先なんて決まっていない。作品がなければ、流通もしないし、誰も読むこともできない。だからまず作る。構想する。

 

「生きるための芸術」をシリーズにしたいと考えている。一巻と二巻を出版した。ぜひ読んでみて欲しい。きっとぼくが死んだら読まれるんだと思う。次は3巻目。何巻まで冒険できるのか。漫画のように人生を物語にして続けたいと思っている。ぼくは作者であり、物語の登場人物でもある。本を構想することは現実の未来をつくることになる。つまりライフスタイルを創造し続けることになる。

 

本には文体があって語りのスタイル。たくさん読んだ中でも特に好きな本があって、岡倉天心の「茶の本」。その短いところに詩情に満ちた言葉たちが並ぶ。そもそも英語で書かれたというのも素晴らしい。ハキム・ベイの「T.A.Z.」も茶の本に似ていて、まるで詩のような言葉が並んで、凝り固まった思考を解してくれる。両方とも、生活に関する革命の書でもある。

父親が持っていたカフカの「断食芸人」という本があった。文字が大きくて、短編を本にしたものだった。高科書店という出版社から出ていて、調べたところ、実際にカフカが生前に出版できた本の再現らしい。カフカの本では「失踪者」が好きだ。カフカの文体は、言葉が生きている。もちろん翻訳者のおかげだけれど。白水ブックスの池内紀さんの訳が良かった。

つまりのところ、詩のように凝縮された活字の大きい短い本にしたい。こうやって書いてみると頭の中でモヤモヤしていることが随分とはっきり見えてくる。書くということは、現実に刻みつけることで、自分の考えていることを彫刻することでもある。本の中身が溢れてくるまで、自分のなかを掘るように、こうやって日記を書き続けることにした。

 

書こうとしている本の内容は「生きるための芸術」シリーズの続編で、主には生活と芸術についての文章にしたい。とても、当たり前のことが当たり前ではなくなっているこの時代に「生活する」大切さを書き残したい。とは言え、何かを達成したり、何かの専門家でもないから、書けることは実体験になる。書いた本の内容が自分の未来だから、書かなければ先に進めない。書かなければ、同じ場所に留まることになる。植物は成長して枯れる。種を飛ばして芽を出す。人間も成長を繰り返す。何かをやって終わることを恐れずに、終わればまた次がある。働くことは生活の一部で、やらなければ死んでしまう。生きることは運動だ。

 

生きることに向き合ってみたくて、世間で言うところの仕事を辞めて、芸術家になると宣言したものの、芸術家もまた職業のひとつでしかなく、自分の人生を生きることとは、また別の話だった。絵を描くことは、大地を耕すほどには、生産的ではないし、誰かの飢えを癒すことはできない。ぼくがしたいことは、大地を耕し、食べ物をつくり、身の回りのモノを活かして環境に負担なく妻と二人で暮らし、そうした生活の中から生まれた絵を世の中に届けることだ。

 

どこで何をしようとも、上手い絵が描ければ芸術なのか、という疑問がある。作ったものが、何の素材で作られて、やがてどうなっていくのか。つまり、作品が生まれて死ぬまでをどう表現するのか。それは、その人の生き方と作品がお互い交感して高め合うような。人間は環境に生かされている。ぼくがしようとしていることは、芸術というよりは、人間としてどう生きることが美しいだろうか、という問いだ。

だから、生活そのものが芸術になれば、殊更に強調することもなく、生きていることが芸術になると考えている。これは、ぼくだけが特別できることでもなく、むしろ、誰もが実践できる毎日の表現だ。

マルセル・デュシャンは便器を芸術にして、その概念を更新した。ヨーゼフ・ボイスは、社会彫刻という概念をつくり、社会を変えてつくる芸術を実践した。

 

妄想をこうして書いてしまえば、構想になって、それを書き続ければ本になる。言葉のうえでは、そう言うことができる。では行動として表現として、どんなことができるのか。このまま来年もこの方向性で行動し思考して、生き延びみようと思う。その代わり1日1日を渇きを癒すひと掬いの水のように大切に生きたい。ぼくたちは、今日という日があるから生きている。

 

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おカネになること/ならないこと

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フィンランドから北茨城市にヨハンナさんが滞在制作に来た。これも夢の続きだ。自分が旅をしたとき、泊まる場所があって、制作できる空間があって、それも誰かが作った場所で。おかげで観光とは違う現地の人々の暮らしに触れることができた。

だから、自分も日本にそういう場所を創りたいと思った。アーティストインレジデンスを。2014年のことだった。ぼくは、自分の行為がおカネになるかどうかは問題にしない。まず、それをやりたいかどうか、から始まる。これも習慣だと思う。小さなことから始めて、積み重ねていくうちに、自分に投資したことを回収するサイクルを見出せるようになる。

北茨城市では芸術家の地域おこし協力隊として、給料と制作費を頂いている。その御礼というか、その対価として、北茨城市の山奥にアートが生まれる場所を作ることを作品とした。ぼくは、その土地にある環境や素材を利用して作品をつくる。だから「家」はこの場合、地域の環境に適するように建てられているから、作品素材として向いている。特に古い家は、地域の素材を最大限に利用して建てられているから、それら自然に回帰する素材は、環境負荷も最小限でもある。そうした技術によって建てられた古い家は美しい。

施設が何もない土地にアートを表現するならば、建物を作るか、屋外に展示するしかない。アートが現在しない場所にアートを発生させることに興味がある。だから今は、廃墟を改修して、居住空間を作っている。今回は、なかなか時間を要する作品で、やってもやっても終わる気配がない。長い期間を費やす制作は、その間は何の結果もないから、何の判断もなく、純粋に創作していられる。つまり没頭している。

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昨日、2020年1月に開催される桃源郷芸術祭のときにツアーを組んだ人が打ち合わせに来てくれた。話のなかで「地域おこし協力隊の任期が終わったら収入はどうするのか?」という質問になった。

「ぼくがしていることがすぐにおカネにならなかったとしても、していることに何らかの価値があれば、死なないと思うんです。していることが役に立っているなら。それだけのことを自分でやれていると納得できて、それが成立しないなら社会の方に問題がある」

と答えた。

ぼくは、そういう覚悟でやっている。水になりたいと思っている。高い所から低い所へ。だから、誰かが同じようなことをしたいと手を挙げるなら、その道を譲りたい。自分はまた違う、誰も歩かない道をみつける。

「おカネになること/ならないこと」は常に崖っぷちのような裂け目を開いている。崖に落ちないように歩くことがおカネになることを選ぶことなら、崖から飛び降りることが、おカネにならないことを選ぶことだ。じゃあ、なぜ、崖から飛び降りるのか。

もちろん、崖の下には、水が流れているからだ。しかも大量に。崖の話は比喩だけれど、すぐにおカネになることは、重要なことじゃない。それは既に社会に役割があって価値が認められている。放っておいても誰かがやる。おカネにはならないけど、やらなければならないこと、やりたいと直感すること、それこそが自分が選ぶべき道だ。

もちろん、運にすべてを任せるばかりではなく、おカネになるような仕事もする。ぼくの場合は、絵を描くこと、文章を書くこと、話すこと。この3つは少しずつ仕事になっている。つまり、崖に飛び降りことは、おカネにならないけれど、ほかの3つの仕事の要素になっている。それを物語と言い換えることもできる。

【ヨハンナさんが来た物語】

循環している。2015年に愛知県津島市の空き家を改修して、その部屋を借りてくれた中野夫妻が「たんぽぽ屋」というお店をやって、2018年にそこで本を出版した記念トークイベントが開催され、そこで一度だけ出会った若山さんというフィンランドで活動する建築家が、北茨城市での今年のアーティストインレジデンスの滞在者募集を知ってくれ、わざわざ、行きたい人をフィンランドで探してくれ、ヨハンナさんは北茨城市から15万円の予算を得て、3週間の滞在制作をして、そのあと愛知県津島市にも2週間滞在することになった。

 

儲かった話でもないけれど、自分の行為が循環して誰かに幸せハッピーが訪れるなら、それは社会的に十二分に存在する意義がある。だから、目の前の安心安全に惑わされず、明日も明後日も崖から飛び降りる。そう生きたいと思う。そう信じれば、道は開ける。

 

実際に昨日は「収入はどうする?」と質問した人が、何か対価を支払わなければと、周りを見渡して、本を9冊も買ってくれた。