なぜ絵を描くのに文章を書くのか。

どうして複雑になっていくのだろう。難しさは、結ばれた糸を解くように単純化できないのだろうか。欲望は留まることを知らない。ひとつ夢が叶えば新しい欲望に飲み込まれて消えてしまい、さも当たり前のように叶ったときに感じた喜びや感謝を忘れてしまう。

成功しているような人でも幸せに見えなかったりする。別に有名でも何かを成し遂げていなくても幸せそうな人もいる。生きることの難しさは、そういうところにあると思う。

何を望んでいるのか。自分が自分を知らなければ、幸せを見失ってしまう。絵を描いていたいと思う。何よりもそれが平和なことだから。暴力的な欲望をアートに封じ込めたいと思う。けれども、それすらコントロールできなければやっぱり欲望に飲み込まれてしまう。

ぼくは絵を描くことと同じくらい、考えること、文章を書くことが好きだ。いくら言葉で表しても何かを捉えることはできない。言葉とモノは、別々に存在している。感情や思考も別々に存在している。人間同士で理解し合うには言葉を使う。言葉という道具を利用するしか意識疎通する手段がない。つまり、自分と意識疎通する手段も言葉しかない。だからぼくは書く。

ぼくは芸術という表現を通じて人間という現象を表してみたい。向き合うべき課題であり、理解しなければ、より複雑になって、人類は欲望に溺れて自らを滅ぼしてく。個人であれ社会であれ。社会という現象も人間が作っている。誰が? そこに参加する人々の行動が作っている。にもかかわらず、人間は悩み苦しんでいる。その悩みや苦しみを取り除くことへの欲求はあまりない。人間が人間を痛めつけている。むしろ、複雑さを加速させているようにも見える。何処へ向かっているのだろうか。

人間が快適に心地よく生きていた時代は、すでに過去のものとなっている。というか過ぎてから気づくというのも人間の愚かさでもある。失ってから大切さに気づくことばかりだ。失っていることすらも忘れて、もっともっとという欲望に急き立てられ、ゴールも勝ち負けのルールもない競争の中で静かな暴力が荒れ狂う。文学が伝えてきた人間の愚かさはどうだろうか。小学校で習った国語の教科書を読めば、どうだろうか。人間としてあるべき姿が浮かんでこないだろうか。ノーベル文学賞は飾りなのだろうか。

集団になるともう手がつけられない。欲望が絡み合って解けなくなる。もう誰の声も聞こえなくなり、怒り、憎しみ、不満、妬み、裏切り、嘘、メディアを通じて伝わってくる言葉の数々。こう感じるぼくが狂っているのだろうか。

メディアの向こう側から伝わってくる言葉に違和感を覚える。テレビなんて恐ろしくて正視できない。理想がない。解決するつもりがない。正義がない。答えは、ずっと遥か彼方に消失している。ぼくは、そっとその答えを求めて暮らしの単純化を試行している。東京から地方へ引っ越して、狭い家から広い家へ、コンクリートから大地へ、消費から生産へと、世の中とは逆行するように生活を作り直している。ルネッサンス。再生。100年持続する暮らしを作っている。

情報革命は、時代も場所も超えて必要なだけの手段や方法を与えてくれる。明治時代にも行ければ、アフリカ大陸にも行ける。食べ物の採取方法も分かれば、家の建て方も学べる。行動さえすれば。だとして、ぼくが狂っていて間違ったことをしているなら、やがて忘れられ消えていくだろう。

大学の先生が2000年頃にこう話してくれた。
「これまでの情報はトップダウン。上に立たなければ、言葉を世の中に伝えることができなかった。けれども、これからはボトムアップの時代。つまりコーヒーでのドリップ式からサイフォン式へと時代が変わる」

90年代以前だったら、ぼくが書いている文章は、ある程度の権威の了承を得なければ、拡散できなかった。つまり雑誌や小説や、商業としてのフィルターを通さなければ。けれども今は、こうして何百人に伝えることができる。

だとして何が変わるのか。ダムが決壊したように言葉が溢れて、嘘も本当もごちゃ混ぜになっている。嘘も本当も分からない時代に生きている。

つまり、この時代のアートも同じこと。何がアートなのか答えがない。90年代以前ならば、雑誌やギャラリーや美術館の作品や批評家の言葉が基準になった。けれども今の時代は、偽物も本物もなくただ溢れている。誰かにとっての宝物はゴミだと批判される。

だとすれば、ぼくは感じるしかない。感じたことを表現する。言葉にする。何も参照も参考もしない。歴史から文脈から自らを断ち切って、狂っていたとしても感じるままに表現する。社会のあらゆる複雑さに接触しないで純粋な生命活動を営む。何十年も何百年も前に到達していた人間が幸せだった理想郷に生きる。

ぼくの言葉は表現や行動に先行している。なぜなら理想を語るから。この言葉たちはぼくの理想であって、誰かの価値を否定や批判するものではない。ぼくは生き方について考えている。だとして、作品に言葉はいらない。作品空間に広がる景色が、鑑賞者の眼差しを捉えて離さない罠が仕掛けられれば、作品の企みはある程度成功している。捕らえられた眼差しは、作品空間の向こう側に何かを感じる。鑑賞する人と作品が真っ直ぐに繋がったとき、そのとき初めてぼくは、作品を表現できたということができる。作品にぼくの言葉はいらない。そこから言葉を消すためにぼくは書く。

 

夢が叶った日だった

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朝目が覚めて、カヌーをクルマに載せて海に行った。波は穏やかで、まだ朝の7時前。以前にみつけたアジの泳ぐスポットに向かってカヌーを漕ぐ。海の上を走る。カヌーのうえで、仕掛けを用意して、、、いるうちにポイントから流されている。また漕いで戻って、糸を垂れる。反応がなければ場所を変えて、また同じことを繰り返す。ヒット!1匹釣れれば、あとは連発。7匹釣って餌が終了。カヌーを漕いで浜に戻る。

浜でこちらの様子を見ている人がいる。なんだろう。カヌーを海から引き上げて担いでクルマへ運んでいると

「おお手作りのカヌーなんですね!」

そうやって会話が始まった。
いわき市に住んでいる鯨岡さんは、去年からカヌーの海釣りをしている。釣りが好き過ぎてついに海に出てしまったそうだ。せっかくなので鯨岡さんに他に釣れそうな魚を教えてもらった。いまの時期だとヒラメ、ブリ、アジだそうだ。アジを餌に釣れるらしい。

ぼくは舟を作って海で遊びたくて、空き家改修をやるようになって、3年間その取り組みをしてきた。もう夢は叶っていた。この3年間のことを一冊の本に書いて、出版社に提出した。ぼくは人生そのものを記録して、出版し続けようと考えている。一冊目の本の出版社を探して回っていたとき、ある出版社の方が

「他にもこういう本はあるなという感じですけど、石渡さんがこの本をシリーズ化して、少年ジャンプみたいに続けたら、他にないユニークな本になると思います」
とアドバイスをくれた。ぼくはそれをやっている。

今年は畑が全然収穫できなかった。もっと簡単だと甘く考えていた。失敗の原因は、肥料を少ししか入れなかったこと。畑を貸してくれたミツコさんが親切に肥料まで用意してくれたのに。

いろいろな本を読んだりネットで調べて、どうやら土が重要だと分かった。さも発見かのようにチフミに話したら「そんなことは分かってるけど」と。失敗したときは、畑を耕していたけれど、何のためにやっているのか分かっていなかったのも敗因だと思う。なので、今朝は心機一転、心を込めて畑を耕しに行った。鍬で深く掘って、周りの雑草を抜いて土に混ぜた。それをやったら、まるでジムに行ったほど汗をかいた。いい運動だ。

9月に入ってから絵の制作が捗っている。涼しくなって海へ行きたい気持ちが落ち着いて、夏に遊んだ長浜海岸の絵を描いている。ぼくたちは夫婦で絵を描いているから経験したことが作品になる。

絵を描いて、魚を捕ったり、野菜を育てたりして、失敗もあるけれど、生活を作ることは幸福への近道だと思う。昨日はミツコさんが、裏の川でカニが獲れると教えてくれた。自然が近くにあると食べる物が身の回りにある。次の本は定住して、食べ物を自給しながら、アート活動する夫婦の話になりそうだ。自分のやっていることを文章にして俯瞰してみると、何をしたらいいのか、自ずと道が見えてくる。

気が付けば、北茨城市の揚枝方という集落にギャラリー&アトリエで滞在制作もできる古民家がある。身の回りの環境や資源を最大限に活用することが、生きていく基盤になる。遠くても不便でも、この場所が素晴らしいのだから、ここにわざわざ人が訪れるような環境をつくることが、自然と人間と暮らしのアート、生活芸術なんだと思う。

生産と創造を日々の暮らしに

🚙

ぼくはこれまでに3回の交通事故に遭っている。1回目は小学生になる前、近所のスーパーマーケットの前の道路を横断しようとしてクルマにはねられた。2回目は20歳の頃、自転車に乗っているとき、後ろから追突されて。3回目は、生きるための芸術の冒頭に書いた次第。

2回目のとき、左足首を骨折し、手術をしてボルトを入れることになった。今までは自然のままだった身体にボルトを入れることで都市化される気持ちになった。つまり、大地を削り、コンクリートで固めて、鉄骨のビルが並ぶ都市を作られる地球の気持ちになった。

🌲

自然と人間の関係は、これからもっと重要な課題になっていくと思う。今年の夏には台風が西日本に2回も上陸して、甚大な被害を与えている。昨日、北海道で震度6地震があったと報道された。

自然をコントロールすることはできない。もしかしたら、科学の進歩でそんなことが可能になるかもしれない。けれども、自然は人間の想像力を遥かに超える。コントロールできたとしても、「できない」ということを基準にして、受け入れることが、それこそ自然なんだと思う。

日本の農林水産の生産性は、アメリカの50分の1しかないらしい。ヨーロッパの平均の10分の1。これに対して、いろんな意見がある。「日本の」という視点で測れば、それを制度や政治、時代のせいにする向きもある。そうだ、今の政権が悪い。確かにそういう話しもできる。テレビやネットの画面の前で。もしくは友人と酒を酌み交わしながら。

だが、ぼくは言いたい。世の中の問題を自分自身の尺度で測り直してみれば、つまり自分がどれだけ農林水産的な生産しているのか省みると、話の向きは変わってこないだろうか。

誰が森に足を運んでいるだろうか。誰が海の状態を気にかけているだろうか、誰が畑を耕したり土に触っているのだろうか。いや、俺の仕事は一次産業ではないから、と友達は言う。つまり、そういう人間が日本人のほとんどだ。

だから、ぼくは自分自身を政治して自分自身の農林水産の生産性を上げてみようと思う。森に入って道を整備する。畑を耕して食料を手に入れる。海で釣りをする。これがぼくの次の理想だ。生産と創造。

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昨日、測量をやっている友達にアルバイトに誘ってもらった。海老沢くんは、北茨城市の山の中を測量していて、道なき道を開拓して歩く。その仕事に興味を持って、参加させてもらうと、家から歩いて20分ぐらいの場所だった。田んぼを抜けて山の中へ入っていくと、釣り堀がある。会員制のシークレット釣り堀。驚きのプレイスポット。山の入り口には、3メートル級の岩があって注連縄がしてある。

ミッションは、山の頂上へのルートを開拓しながら測量する。ぼくは、荷物を運んだり、言われた通りに働く道具になった。山の中を開拓していくと、確かに道があった形跡がある。歩きながら、何百年前の旅人の気分になる。けもの道もある。測量する海老沢くんは方向感覚に優れて、山の中をどんどん歩いて目的地にたどり着く。自然を読む技術を持っている。

ぼくが暮らす北茨城市は、人の手が入っていない、開発されていない地域がたくさんある。この地に暮らして、自然に働きかける芸術をやりたいと思っている。これが難しい。自然は美術館にもギャラリーにもないし、石や木やカボチャをアートだと展示するわけにもいかない。いや、そうできる離れ業もきっとある。便器をアートにした偉人もいるわけだから。そう思って生活をアートにしたいと企む。けれども生活はあまりに当たり前のことだからアートには転換できない。簡単には。ぼくにとって芸術に思えることが、ある人には、当たり前の日常の出来事に過ぎないことがある。例えば「田んぼ」を作ることは、あらゆる生きるための技術が集まったアートだと思う。けれども田んぼはアートではなく田んぼだと言われる。

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 それでも自分が美しいと思うものを信じて、当たり前と日常と芸術、それぞれの領域が交わるところに生きてみようと思う。3年間、空き家に取り組んできて家に困らなくなったように、食料を生産しながらアート作品を創造していきたい。これから100年ぐらい通用するライフスタイル「生活芸術」を表現してみたい。生活の中に「生産と創造」を増やせば景色が変わる。イメージできるなら、やれないことはない。はじめに言葉ありき。次に行動。伝えて動けば未来は変わる。

 

美しい絵はヘタクソでも美しい

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今週は北茨城市の老人ホームで、ガーランド(旗)作りをしている。キャンプとかイベントで見る三角形の旗。これを10キロメートルまで伸ばそうとしている。達成できるかは、さほど問題ではなくて、いろんな場所でいろんな人と創作する時間を過ごせることが楽しい。

90歳の田村さんは、急に席を立ち上がり「役所へ行かなければ」と言う。なぜかと聞けば、弟がいると言う。きっと役所と弟は田村さんにとって大切な何かだったんだと思う。大切なことは記憶に刻まれ生涯残るんだ、きっと。

旗の作業は難しくない。けど、年齢によって「できる/できない」の差がある。決められた作業ができても絵が描けない人もいる。絵が描けるけれど、決められた作業ができない人もいる。お年寄りや子供は絵を描ける。すぐにサラサラを描く。上手いとか下手の判断がない。「できる/できない」の判断ができる人は、絵が描けない。失敗するのが分かるから手が止まる。だからチフミはスタンプを作って、誰でも気軽るに参加できるようにした。

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「できる/できない」の判断は人間を区別する。老人施設にいる方々は「できない」ことが多い。だから施設にいる。90歳とか97歳とか。ぼくもやがてそうなる。ぼくは絵を描くことを選んだからこの先、何の保障もない。だから、90歳とか97歳になっても絵を描く。生涯仕事をする。友達は60歳になったらリタイヤして好きなことをすると言う。どっちがアリでどっちがキリギリスなんだろうか。

なぜ人間はそんなに長生きするようになったのだろうか。そんなとき映画「楢山節考」を思い出す。70歳になると、姥捨山に息子に背負われて捨てられる村の話だ。延命とかなくて70歳で一斉に人生が終わるなら単純な話だ。思うのだけれど、今92歳の人は大正15年生まれ。今日話をしてくれたお婆さんのご主人はシベリアから帰還したと言っていた。この世代の人たちは体力と精神力が強いと思う。自然と共に生きてきたし、戦争も体験しているし。それに比べてぼくらの世代は、今のお年寄りのような老後を送れないように思う。精神的にも体力的にも弱いし、社会のカタチも歪んできているように思う。もしかしたら、老人が増えすぎて、合法的に命を絶つことが容認される未来もあるかもしれない。

「使える/使えない」とか「できる/できない」という枠組でしかモノを判断しないなら、その世界には美しさは存在しない。美しさは、もっと遠くの足元に輝いているのだと思う。見えるようで見えていないのだと思う。どんなにお洒落をしてもカッコつけても、中身は変わらないように、ありのままには敵わない。だから、ヘタクソな絵を描きたいと思う。それでも美しければ、それが真実の姿だと思う。

お年寄りとガーランドを作っていると涙が出てくる。自分の母も父もやがて歳を取り死ぬだろうし、自分も妻のチフミも死ぬだろうし、けれども、その瀬戸際まで生きるわけで、その瀬戸際がどんな状況になっているかは、全く誰にも予想できない。ぼくの目の前にいる御老人は、その瀬戸際に近く、命を燃やしている。その人が何かを創造するその瞬間は美しい。誰もが美しいのではなくて、理由は分からないけれども、何かのタイミングで美しさが輝いて、その光に触れると、生きることに打ちのめされて涙が出る。悲しいのではなくて、喜びに震えているのかもしれない。

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ぼくがやろうとしていること、やりたいことは「美術である」とか商売で成功するとか有名になるとか、そういうところから、やればやるほど遠くなって、流れるがままに向かって生きたい自分がいる。それが何処へ向かうかと言えば、死なんだと思う。死に向かって真っ直ぐ生きるほど美しいことはないと思っている。それは魂が望む方向にひたすら進むことで、たぶん、それをすれば、人間は生きられるのだと思う。死がやってくるまで。それを実証するために、ぼくは絵を描くことを選んでいるのかもしれない。その気持ちを確かめるためにこの文章を書いている。

ライフスタイルが絵を描く

朝起きてサーフィンに行こうか考えた。考えても波の様子は分からないので、朝食のパンを買いに行くついでに波を見てきた。曇り空でもうウェットスーツなしでは入れなさそうだし波も少し弱い。

ぼくは家から海までクルマで10分くらいなので気軽に様子を見に行ける。けど、サーファーは、どうやって波の有る無しを判断してるのだろうと、ネットを検索してみた。

どうやら波は低気圧の位置が関係しているらしい。Surftideというアプリは天気図と風向き、波の高さを教えてくれる。毎日これを見て、波の様子を観察している。今日も答え合わせのつもりで海を見てきた。思ったより波はなかった。
現代では、便利な道具があるけれど、かつての人々は自然を読んでいた。魚を獲るのも、野菜を育てるのも、土や気候や海と対話しながら仕事をしていた。

図書館に行って本を借りた。本棚を眺めていると手が伸びる。急に炭鉱に興味が湧いた。なぜなら、今活動している北茨城の関本町には、常磐炭田があって、採掘されていた。今では面影もないけれど、ここにはたくさんの人が暮らして町になっていた。ぼくはその炭鉱がなくなって、人も少なくなった町に移住してきたわけだ。今も残る神の山住宅はその名残。

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「炭鉱に生きる 地の底の人生記録 山本作兵衛

明治25年に生まれ、7歳から炭鉱に入り、以来50年以上、炭鉱で働いてきた山本さんが抜群な記憶で、鮮明にその景色を絵に残している。人間の労力が動力だった時代、働くことはキツかった。扱いもキツかった。まるで人間ではないような扱いをされることもあった。石炭を必要としているのは人間なのに。人間が社会を作っているのになぜ人間は苦しまなければならないのか。「炭鉱で働くことはまるで奴隷」だと描いている。

キツい労働環境にある仕事は、どれも人間が生きる上で欠かせない。石炭がなければ、戦前・戦後は、何ものも発展しなかった。農業や漁業や林業の一次産業もそうだ。この仕事がなくなったら人間は生きていけなくなる。

ぼくは東京で生まれ育っているから、自然から離れた環境で過ごしていた。だから、自然のある場所に暮らしたいと思った。何ができるのか。分からないけれど何か表現したいと思う。文章を書くことは、そのひとつ。

昨日からようやく絵を描きはじめた。12月の個展に向けて。いつもサーフィンをしている長浜海岸の絵だ。なんてことのない景色。特徴のない絵。そんな絵が理由を探すまでもなく美しくて目が離せない。そんな絵になったらいいな、と思って、今日は波乗りはやめて、絵の続きを描くことにした。アトリエに向かう途中、神の山住宅を見てきた。その奥は行き止まりになっていて、けれども道は続いていた。どこに向かっているのだろうか。ぼくは小さな古い道をみつけるとその先へ進んでみたくなる。今自分がしていることが、そんな道なんだと思う。その道は、日々の過ごし方が、絵に影響を与えるという制作方法。そんなものがあるのか分からないけれど極めて単純な話「ライフスタイルが絵を描く」そんな絵を見てみたい。ぼくはこの先、そういう絵が生まれると信じている。

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田畑に肥料がいるように、人間の健康には草や木がいる

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新しい生活が始まった。2冊目の本を書き上げたら、次の物語が始まった。頭の中をクリアにすることは精神の衛生に良いらしい。ぼくの場合は、文章を書くことが、頭を空っぽにする方法らしい。

空き家を巡る冒険は、一冊の本にまとめられ、ぼくは家に困らなくなった。家賃とか住む場所の心配がない。何にもない。これでようやく絵を描くために生活できる。

美しい絵を描くためには、生活も美しくあるべきだと思う。美しさは人それぞれ。退廃的な、破壊的な美しさもあれば、優しい美しさ、小さな美しさ、見えない美しさもある。ぼくが美しいと思うのは自然。だから、自然に近いところに生活を作り、そこで見たり聞いたり感じたことを絵にする。生活と芸術は土と植物のような関係に例えられる。

「田畑に肥料がいるように、人間の健康には草や木がいる」

今日お昼に、電車で5駅ほど離れた小木津の友達が北茨城市に仕事で来るというのでランチをしてきた。海老沢くんは、測量の仕事をしている。山に入って土地を測っている。だから、旧い道を知っている。旧い道を歩くと、失われた生活の痕跡に遭遇する。今は北茨城市の山に入っていて昨日は、しめ縄がしてある巨大な岩を見つけたらしい。

海老沢くんは仕事で山に入っているから方向感覚が優れていて勘で歩けてしまう。迷ったら地図をみる。方位磁針をみる。海老沢くんは自然が読めるから山の中を歩ける。

ぼくは自然の中に暮らしたいと思うけれど、まったく技術がない。方向音痴ですらある。星のことも、太陽が昇るのを見てもどっちが東か西かについても自信がない。山に入ってもすぐ迷ってしまう。だから、海老沢くんに次はアルバイトさせてもらう事にした。

自分を低くすれば、周りはみんな高くて学ぶことしかない。できることは、できることとして、できないことに取り組めば、新しい何かが見える。

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アトリエがある揚枝方には金山(かなやま)という山があって金を採掘していたらしい。地域のお年寄りに聞いた話しを海老沢くんにしたら常磐炭鉱には、個人規模の金山がかなりあったと教えてくれた。自然の中を仕事場にしている海老沢くんは、いろいろ知っていて、アオザという雑草の名前を教えてくれた。ほうれん草系で若葉は食べられる。雑草だけれどフランス料理店で食べられているらしい。

ぼくにとって大切なのは、こうした些細な情報なんだと今日改めて気が付いた。食べれる雑草をまとめた本を買ってきても情報量が多過ぎて頭に入ってこない。

結局、知識にもならず、本棚に並ぶだけなら、ひとつ、ひとつ、生きるための技術を採取して記録していこう。

「01-アオザ
畑や路傍などに普通に見られる1年草で、好窒素性の雑草のためにあまりやせた土地には生育しない。【見分け方】草丈は、約1.5メートルにもなり、茎は木本状となる。古くからアカザの杖といわれているが、それは、この茎のこと。軽くて丈夫でまっすぐであることから、老人の杖に使われた。
若葉の中心が赤みを帯びるものをアカザ、若葉の白味のつよいものをシロザ、青みのものはアオザという。これらは、同一種類。葉は、長三角状卵形か、ひし形に似た卵形で、葉の縁は波状であり、質は柔らかい。夏に茎の先に葉のわきから穂状の花序を出し、多数の黄緑色の小花をつける。果実は、がくが伸びて包む包果。
【採取】6~7月の花穂がでる前に若苗をとり、日干しにする。 アカザを日干しにしたものを生薬(しょうやく)で藜(れい)という。また、若葉はホウレンソウのように、ひたし物やあえ物によく、汁物の実にもなる。 

 実物をみつけたら写真をアップしようと思う。

                                                                      

自然を読む。火星より地球に暮らしたい

カヌーを取りにチフミの実家、岡谷市に行った。この週末は、チフミが先に実家に帰っていたので、ひとりで次の本の原稿を書く作業に没頭した。全部で5部構成、4部まで原稿は仕上がった。あと少し。新たに北茨城市での活動を書き下ろして完成する。この本は、ぼくら夫婦が生活を作る冒険譚。なぜ生活を冒険するのかと言えば、ぼくたちは管理された「安心安全」と言われる世界に定住していて、しかし、それが本当に幸せなのか、とぼくは疑問に思う。

絶対の安全などありえないのだから、ありえない世界に定住しているとも言える。そして、その世界から外に出れば、リスクに対する責任が発生する。そのリスクとは自然と向き合うこと。安心安全か分からない場所で生きること。自然の中で生きることは不安定極まりない。重労働を要求されるし苦労が絶えない。そうした環境から脱出したかった前の世代。それが戦後の高度経済成長だった。しかし、その成長の先に辿り着いたのが、今現在の日本。ありえない世界=自然から切り離された安心安全快適な社会。海も森も川も生活に関係のない世界。これが理想の世界なのだろうか?

ぼくたち夫婦は理想の暮らしを作るために3年間、日常生活を冒険してきた。複雑に絡み合う社会問題と理想の狭間。空き家から空き家へ。高いところから低いところへ。流れる水のように。当たり前の日常を常識とは異なるレイヤーで地方を漂泊した。ぼくはリスクを取る。なぜならまだ答えを出すの早くないか?たかだか50年100年の常識に縛られるなんて。ぼくの人生で実験してみれば、常識の悪いを良いに変えられるかもしれない。可能性を次の世代に残したい。誰かが線を引いたルールの中で生活していても、何も変わらない。生活が変われば目の前が変わる。目の前が変われば周りが変わる。自分を中心に世界を変える試み。「生きるための芸術2」

これが次に出版する予定の本。冬頃リリース。告知です。第一巻はこちらhttp://ur2.link/LCKc

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カヌーを6時間かけて、岡谷市から北茨城市に運んで、夕方、北茨城の仙人こと山崎さんが、ブルーベリーを摘みにおいで、と誘ってくれたので寄り道。今日は天気がいいから星を見ようという話になって、山崎さんがDIYした天体望遠鏡を動かしてくれた。反射鏡は1メートルあって、2年かけて磨いたそうだ。

日が暮れてくると月が現れた。山崎さんは、月に照準を合わせる。月を見る。鮮明にクレーターが確認できた。次に火星を見た。距離が遠くて、星がぶれる。条件がよければ火星の模様が見えるらしい。ぼくは経験したことからしか興味を持つことができないらしい。今まで天体について本を読んだりしたけれど、実感が湧かなかった。けれど、火星が目の前に輝いているのである。それは一体どんな現象なんだろうか、と思った。

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火星は、最接近したときで、地球から7528万キロメートル離れている。徒歩で1000年、車で30年、音速のジェット機で5年かかる。そして宇宙船ですら5~6ヶ月。

火星は、これまで人類の想像力を刺激してきた。火星は金星の次に地球から近い惑星で、2040年には火星への移住が計画されているなんて話もある。けれど、火星に移住を考えるよりも、この地球に快適に暮らす方法を再検討した方がずっといいと思う。まだ間に合うと思う。大地にへばりついて生きている人間は、ほんの少しだけ大地から軽くなることができる。それが想像力だ。イメージがあれば、ほんの少しだけ楽しい未来に期待を持てる。

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山崎さんは、70歳を過ぎてから天体望遠鏡を作りはじめた。82歳のいま、現在進行形で、超新星を探している。山崎さんは、生きる意味を残そうとしている。1000ページに及ぶ自分史も執筆中だ。

 2018年は、宇宙が題材に小説や漫画がたくさん描かれた1960年代や70年代からすれば、ずっと未来の世界だ。今ぼくたちが暮らす時代のこの環境で、便利と不便と、自然と安全安心の快適さの間にどんな理想の生活空間を作ることができるのか。経済成長は、とっくに破綻した理想だと思う。ぼくは、日本のすべてを知っているわけではないけれど、今ぼくが暮らす北茨城市には山も海もあって、その間に人々の生活があって。この環境で理想とする暮らしを作る、それぐらいのことは、2040年に火星に移住する計画より簡単だと思う。目の前に資源はあるのだから。ぼくたちはどう生きるのか。