いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

遠くに行かなくてもできる旅。

f:id:norioishiwata:20171031213354j:plain北茨城市の古民家の改修をしている。茅葺き屋根をトタンで覆っていて、屋根裏は、かつて火を熾して暮らしていた煤で真っ黒になっている。この屋根裏をロフト兼、吹き抜けの天井にしようとしている。

家は、ほんとうに不思議な出来事を起こす。この家を改修する少し前に知り合ったナガノさんは、まるで家が引き寄せたように、いま一緒に作業している。いつだって古い家は、生きようとしている。

屋根裏で作業していると、矢のようなカタチをした梁が結び付けられていた。紐も緩んでいたので、はずして明るい場所で観察してみたけど、何やら祈りの気配がしたので大切に保管することにした。

f:id:norioishiwata:20171031213822j:plain屋根裏を改修する材料を家の裏の竹を使うことにした。かつての家づくりは、周辺環境から材料を採取していた。100年前、50年前の日本人のライフスタイルから、学ぶことがたくさんある。彼らは、自然を駆使してあらゆるモノをつくり出していた。まるで、遠い国の知らない民族のようだ。ぼくは、彼らに会いたい。

家の裏の竹を切っていると、この家の持ち主だったアリガさんが現れて、竹の切り方を教えてくれた。ぼくがヒィヒィ言ってた作業を鉈で瞬殺した。アリガさんは、この家で育ったから、何でも知っている。アリガさんが現れると、古民家にあるモノに意味が生まれ、すべてが蘇る。屋根裏でみつけた矢は、建前の儀式で使ったものだと教えてくれた。100年より、もっと前のモノらしい。

ぼくは、日本に生まれ育ったのだけれど、日本のことを何も知らなかった。海外に出て、それを痛感した。外国人は、日本に暮らしているぼくらよりも、ずっと日本のことを知っている。それは、世界に誇ることができる日本のよい側面。つまり魅力。けれども、内側からは、それが見えにくい。人は、自分よりも他人のことの方がよく分かるらしい。

かつての日本人の暮らしは厳しかった。だから、新しい暮らしに憧れて、都市へと人は流れた。しかし、都市が成熟した今、ぼくは地方に魅力を感じる。自然も時間もたくさんあるし、何より余白がある。もちろん、ぼくが外から見ているから、よく見えるだけかもしれないけれども、北茨城市も古民家のある楊枝方も、楽しい発見ばかりだ。勘違いは、人を前向きにする魔法でもある。もし友達が勘違いをしているなら、背中を押して気づかないままに、もっと先へと送り出してほしい。

f:id:norioishiwata:20171031214439j:plain遠くに行かなくても、ぼくたちは旅をすることができる。20世紀を代表する小説「失われた時を求めて」の作者、マルセル・プルーストは、こう言っている。

真の発見の旅とは、
新しい景色を探すことではない。
新しい目で見ることだ。
The real voyage of discovery consists
not in seeking new landscapes,
but in having new eyes

新しい目は、自分が持っているのではなく、出会った人や、何てことない小さなモノを通して広がる世界。旅をしている気持ちさえあれば見えてくる。おかげで、ぼくは、近くの遠い日常を冒険している。


生きるための芸術
檻之汰鷲(おりのたわし)

http://orinotawashi.com/

好きなことを続けるのは、おカネのためではない。その経験や技術が人生をつくる道になる。

f:id:norioishiwata:20171025075923j:plain今日という日、そしてその時に感じたこと、その気持ちも、その瞬間にしか存在しないから、メモしておく。

2014年から2016年にかけて、空き家を改修して、その経験が仕事になってきた。愛知県で内装を依頼され、東京のマンションの内装を相談され、北茨城市では、古民家をギャラリーにしようとしている。好きで、やっていたことが、仕事になってきた。

アーティストだということで、デザインを頼まれるようになった。友達のバンドのロゴ、アプリのデザイン、バッチのデザイン、もしかしたらバスに絵を描く話しも飛び込んできた。ぼくは、アート作品で、誰かを楽しませたり、喜ばせたりしたいと考えているので、頼まれれば、その人のために作品をつくる。依頼内容が明確であるほど、その仕事はデザインになる。ぼくは、自分の想像力を誰かのために使えるなら、それほど嬉しいことはない。だから、デザインをするのも好きだ。

f:id:norioishiwata:20171025080207j:plainただし、楽しくないことはやらない。なぜなら、時間と気持ちに余裕がなくなると、失敗できなくなる。そうすると、成果が出ることしかやらなくなる。だから、仕事は、ひとつひとつを大切にやれるほどの数でいい。

大人になるにつれて、好きなことをやらなくなる。好きなことを我慢できるようになってしまう。我慢しているうちに忘れてしまう。ああ、あんな夢があったけ。好きなことを手放す大抵の理由はおカネだ。どうして、楽しいことを止めてしまうのか。好きなことをやるのは、競争ではない。好きだからやる。楽しいからやる。それで充分だ。

f:id:norioishiwata:20171025080325j:plainぼくは中学生のとき、音楽を聴くようになった。高校生になると、バンドを始めて、学園祭で教室をライブハウスにした。

ぼくのバンドは、特に売れるような音楽ではなかった。むしろ、ノイズやハードコアパンクの激しい音楽だった。当然、大学を卒業しても、何の可能性もなかった。それでも、音楽が大好きだった。

大学生のとき、山奥でイベントが開催されているとの噂を聞いて、友達と電車とバスを乗り継いで、辿り着いたのが長野県の廃校を会場にした音楽イベントだった。そこで知り合ったのが、日本のフェスティバルをつくることになる先輩たちだった。ぼくは、大学を卒業して、この業界に入った。運動会テントを立てたり、ステージをつくったり、駐車場係をやったり、スピーカーをトラックに積み込んだり。アルバイトだった。それでも、音楽が仕事になってほんとうに嬉しかった。

先週の木曜日には、春風という代々木公園で毎年開催されるフリーフェスティバルの打ち合わせがあった。ぼくは、春風では、トークイベントを企画している。そこに出演するために「生活芸術家」という肩書きをつくった。それを想い出した。春風は、ぼくが大学生のときに出会った先輩たちが、つくったフェスティバルで、つまり20年近く関わっている。ぼくは先輩たちがつくったフェスティバルのステージに立つのが夢だった。言いたいのは、続けることの大切さだ。

ぼくは、結局、バンドも続けている。何のために? 自分が音楽が大好きだから。その想いをカタチにしている。歌がヘタなのに20年くらいボーカルをやっている。バンドはいよいよ無駄なことかな、と思っていたけれど、先週、六本木ヒルズで、スピーチする機会を頂き話してきた。人前で話しをすることは、ステージでパフォーマンスするライブと同じだった。つまり「歌う」という行為の裏にある、マイクで自分の考えや想いを伝える技術を20年の間に磨いていたらしい。

f:id:norioishiwata:20171025080513j:plain人は、おカネにならないことを無駄だから止めろと言う。ぼくも散々、才能がないから音楽はやめた方がいい、音楽は、仕事にならないから、きちんと会社に就職した方がいい、アートで喰っていくことはできないと、アドバイスを頂いた。けれども、好きなことを続けるのは、おカネのためでも、成功するためでも、肩書きのためでもない。他の誰でもない自分自身を生きるためにやっている。他の人から見れば、まったく価値のないこと、そこに道がある。なぜなら、そこにはこれから価値が生まれる未来がある。

もし、ぼくが何かの役に立たつなら、こう助言したい。好きなことをやめても何にもいいことはない。とくに、これからの時代。好きなことは、おカネにならなくても、続ければ、経験や技術になる。何より、好きなことは、続けることができる。だから、くれぐれも、諦めた人や好きなことを手放した人の言葉に耳を貸すことはない。自分のやりたいことの価値は自分にしか分からない。

f:id:norioishiwata:20171025081237j:plainザンビアの友達はこう教えてくれた。「みんなウサギを追いかけるけど、途中で諦めてしまう。諦めなければ、諦めたヤツのウサギも手に入るのに。ネバーギブアップ。これは自分のためではなく、仲間にその姿勢を伝えるためにやるんだ。」

ネバーギブアップ。
諦めるなんて、死ぬまで必要ない。
まだまだやれる。

生活はリズム

今日は、六本木ヒルズ主催のイベント、hillsbreakfastに登壇してスピーチをした。

pechakucha」という20枚のイメージ写真に対して20秒ずつコメントしていくプレゼンテーション方式。

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ぼくは、これまでの活動を20枚の400秒にまとめた。結論、ぼくが言いたいのは「負けてもいい」。社会は競争を強いるけれども、すべて勝つのは不可能。稀にそういう天才もいるけれど、99%の人は、そうではない。だから99%の人が楽しく生きれる社会が理想だと思う。負けても死ぬ訳じゃない。どうしても負けるのが嫌なひとは、こう考えることもできる。「競争をしないという勝ち方」もある。それは雑草の生き方でもある。自然はぼくの生きる大先輩だ。

ぼくは北茨城市に暮らしているけれども、暮らす場所も同じ話で、都市と地方という対立軸があるけれど、実は、日本のほとんどが地方。もし、その地方が暮らしやすい場所だったとすれば、日本人の多くの人がハッピーな気持ちになれる。ところが実は、既に地方は楽園である可能性を秘めている。その答えをこれから、開拓していきたい。

ぼくは、矛盾を両手を広げて、掴みたいと思っている。勝者でも敗者でもいいし、都市と地方でもいい。金持ちと貧乏人でもいいし、石ころとダイヤモンドでもいいし、失敗と成功、悲しみと喜び、どっちも美しいと思う。

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ぼくは、嫁と2人で、檻之汰鷲(おりのたわし)というアーティスト名で、アート活動をしている。ところが、気がついたら、生活芸術家の石渡のりおという別人格も動き出していた。 ぼくは話をしたくて仕方ないらしい。止まらない衝動が、生活芸術家という肩書きを作り出した。

ぼくは、檻之汰鷲でもあるし、生活芸術家でもある。つまりは、何者でもない。ただ生きている。とにかく「生きる」という現象を映し出したい。

ぼくは、ザンビアで泥の家を建てて、家に興味を持つようになったけど、ぼくは建築家でない。けれども、家が大好きだ。隙をみては、古い家の写真を撮っている。たまたま「the japanese house」と検索したら、イギリスのポップミュージックがヒットした。良い曲だ。おまけに、新国立美術館でやっている「THE JAPANESE HOUSE 戦後、1945年以降の日本の家」という展示があることを知った。家が起こしたセレンディピティ

同時開催で、日本の近代絵画もみることができた。絵をみるとき、奇跡的な記録更新の瞬間を鑑賞する視点と、目の前でみて、単純に美しいと感じる2つの眼差しがある。後者は絵画としての美しさで、前者は、アートという常に新しくなっていく競技のアスリートたち。つまり、材料やコンセプトや題材や手法についての挑戦。これもどっちが正しいとかではなく、ぼくは両手をいっぱい広げて両方を掴みたいと思っている。

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ぼくは、古い家が好きだ。なぜなら、自然のままだから。建築家という意匠が手掛ける前の、生きるための道具としての家。それを保存しておけば、30年後には、貴重な地域資源になる。その活動をギャラリーや美術館に収めたい。つまり、生活をアートにしたい。それが北茨城市につくるアートギャラリーArigatee(ありがてえ)。

いまぼくがやろうとしていることが、意味不明でも、小さくてもいい。自分にはハッキリ分かっている。絵にしろ、本にしろ、家にしろ、50年後、100年後に開花してくれればいい。未来への種蒔きだ。

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檻之汰鷲は、嫁とのコラージュアートユニットで、空き家を直したり、旅をしたり本を出版したり。生活芸術家の石渡のりおさんは、トークをしたり広報担当したりしている。この人生で、もっとたくさんのことを掴みたい。それを可能にするのが、生活のリズム。毎日の生活のなかに、どれだけ夢を叶えるための一歩を踏めるか。明日はない。今日という一日が繰り返すだけ。だから、今日何をするのか。まだまだやれる。

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「生きる」の旗をアートのど真ん中に突き立てたい。

f:id:norioishiwata:20171013202130j:plainいくつかの夢が叶ったので、独立独歩会議としてのメモ。ぼくにとって自然は大先生。その営みを学ぶ環境に身を置きたい。今日は、北茨城市と共につくるギャラリー兼アトリエの作業をスタートした。目標は「わざわざこんな場所に来る」。何ができるのか分からないけど、ヤベエのをつくる時間はある。

北茨城市の奥地、楊枝方という集落につくられるこのスペースは、畑や田んぼに囲まれた築100年を超える古民家。ここを掃除して、縁側で休憩していると、雨が楽しかった。屋根から落ちて弾ける水に見惚れた。この感覚こそが「生活芸術」だ。つまらないこと、見落としていること、小さなこと、それが楽しく感じるとき、ぼくは、生きていると実感する。

f:id:norioishiwata:20171013202240j:plainぼく自身の生活は、水のように低いところへと流れていきたい。だから、このアトリエ兼ギャラリーもぼくの場所にはならない。価値がないものに価値を与え、価値が生まれれば誰かの手に渡る。そしてぼくは別の場所をつくる。それがぼくのアートだ。

ややこしいのだけれども、ぼくのアートと一般的なアートは違う。業界には業界のアートがある。これからは、ぼくのアートは「アルス」と呼ぼう。アートは、茶道やスポーツのように、技を競うひとつの表現形態だ。マルセルデュシャンは、便器をアートにして、奇跡ともいえる離れ技を披露して、アートの領域を拡張した。ジョンケージは「4分33秒」で無音を音にして音楽の概念に革命を起こした。ぼくは、そういう挑戦的なことが好きだ。

だから、勝手に自分がアートと名付けたもの(つまりアルス)を業界のアートの枠で競わせてみたいと思うようになった。ぼくは価値を取らないけども、つくったモノには価値を与えたい。ぼくは矛盾している。けれども矛盾こそが、もっとも美しいバランス状態であり「答え」だと思う。ぼく自身は、宮沢賢治の農民芸術概論のように、デクノボウのように生きたい。

けれどもぼくのアルスは、アートという文脈のなかで、離れ技を決めて欲しいと願う。最近、この話を理解してもらえないことがある。それは仕方がない。ぼくのチカラ不足であり、これはスタートしたばかりの挑戦だから。目指す道があれば、どんなに遠くても、辿り着くことができる。大切なのは忘れないことだ。だからぼくは、こうして言葉を書き続けている。夢は大きい方がいい。小さい夢では、そこまでしか辿り着かない。嘘も言ってるうちに真実になる。

f:id:norioishiwata:20171013202409j:plain「生活」という忘れられつつある、自然と人間の営みが芸術として評価されたら、面白いと思っている。なぜなら、日本人は生活を捨てているから。日本人は、経済成長ばかりを最優先して、自然環境や自然資源について、その価値を忘れてしまった。自然資源をフル活用すれば、人間は生きていけるのに。自然の恵みで生活を営み、それでいておカネを儲けることができれば、おカネに振り回されずに、好きなことをやって生きていくことができる。

ぼくは、自分が発見した表現ジャンルを確立させたい。なぜなら、これはひとつの哲学であり思想でもあるから。だから、ぼくは本「生きるための芸術」を書いた。その後の2年間をまとめた2冊目の初稿が、先週に完成して出版社に渡した。「1冊目より可能性がある」と言ってくれた。ぼくは作家になることができた。3年後には3冊目を出版したい。

評価されることよりも、自分の感覚をどうやって伝えるのか。それを研ぎ澄ますことが、アルスでもある。評価さるためにズラすことよりも、感覚のど真ん中で立ち上げる。そこに個性がある。その強度が、そのまま作品の強度になる。

ぼくがアートという文脈のどの辺にいるのか、さっぱり分からないけど、何やら、古くて新しい革新的かつ確信ある何かを育てている。どんなに時代が変わろうと便利になろうと、天災が起きようと、戦争が起ころうと、人間は生きている。それだけは普遍的な事実だ。「生きる」をアートのど真ん中に突き刺してやりたい。

まだまだ、これからだ。

桃源郷をつくる仕事をみつけた

f:id:norioishiwata:20170926202940j:plainやりたいことをやって生きると決意して、4年が過ぎた。1年目は、ヨーロッパとアフリカを旅して、2年目、3年目は、空き家を巡る旅をした。4年目に突入して、いまそれを題材に2冊目の本を書いている。

なんとも不安定ながら、よく生きてきたなと感心する。たぶん、極度な躁状態なんだと思う。もはや性質的な。そもそも、人間は自然という不安定な環境で生きてきたから野生的な人間には、不安定な方が精神的に快適なんだと思う。安全安定な環境にいると飛び出したくなってしまう。

2冊目の本を書きながら、3冊目の本のことを考えた。ぼくは、生きる芸術を目指しているから、日々そのものが作品だと思っている。ぼくがブログを書くのは、そのときの状態を記録するため。なぜなら、何もない日だったとしても、何もないなりな1日があるから。そこにもやはりドキュメントがあるから。

今年の4月からは、北茨城市で「芸術によるまちづくり」に取り組んでいる。思えば今年の一月にイメージした未来に生きている。イメージが大切だ。

norioishiwata.hatenablog.com

北茨城市には、岡倉天心が後半期を過ごした六角堂があり、芸術に所縁がある。北茨城市に来て半年が過ぎて思うのは、素晴らしい自然環境だということ。逆に言えば、何もない。その反対から言えば自然が豊かだ。ここでぼくが目指すのは、芸術家として起業すること。

ぼくと嫁の2人が生きていくだけなら、起業するまでもないけれど、ぼくは自分の活動を未来のために役立てたいと思う。50年後、100年後に遺したいと思う。なぜなら、森はそうやってつくられているから。これは杣(そま)が教えてくれたこと。

f:id:norioishiwata:20170926203114j:plain何をするのかと言えば、この北茨城市に芸術家が生きやすい環境をつくりたい。次は環境づくりだ。植物が耕された大地に根を張り育つように、芸術が根を張り花を咲かせる環境。

芸術家に必要なものは何だろうか。刺激。それはひとそれぞれ求めるモノが違うだろうから、とりあえず、北茨城市には刺激ある自然環境があるとしよう。
芸術家に必要なのは、製作に没頭できる環境。アトリエ。考えてみれば、そんなにたくさんのモノコトは必要ないと思う。けれども未来は必要だと思う。夢やビジョン。

ぼくは北茨城市から海外へのネットワークを構築したい。ここへ来れば、海外に繋がるターミナルがある。あと2年半で、そんな場所にできたらいいと思う。夢ある桃源郷をつくろう。

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作品をつくること。自信過剰の自信喪失。

f:id:norioishiwata:20170910202306j:plain久しぶりに落ち込んだ。ほとんど躁病とも言える性格なのに自信喪失の闇に落ちた。

きっかけはチフミの「ミラーボーラーズやチームラボに比べて作品が良くない。写真でみても自分たちの作品はどれもよくない」という言葉だった。チフミは何気なく思ったことを言っただけだった。

自分のなかには「写真には映らない美しさがある」という想いがあった。けれども、仮にその美しさが自分たちの作品にあったとしても、ほんとうに写真には映らない美しさがあったとしても、否定的な言葉ひとつで、脆く崩れてしまった。ショックだった。自分は、それぐらいのモノしかつくれていない。

f:id:norioishiwata:20170910202445j:plain昨日Facebookに自分の作品を投稿したら「ダサい」とコメントされた。「ダサい」とは、どんな感情なんだろうかと考えた。嫌悪だろうか。カッコよくないとき、何かに違和感を感じたり、時代遅れだと感じたとき、自分のセンスからハズレた何かをダサいと言うと思う。けれどもすべての人が、カッコよく感じることはなかなかない。「ダサい」とわざわざコメントすることも、アクションのひとつで、それも心が動いたことだと思う。だから「ダサい」は「いいね」と同じようなことに受け止められた。「カッコ悪いことはどんなにカッコいいのだろう」というタイトルのアルバムを思い出した。

ぼくは何をやっていたのだろうか。作品をつくることは、それが鑑賞者に伝えられて、はじめてアートになると思う。伝え方はいろいろある。絵画や彫刻、映像や文章、展示やインスタレーション。あらゆる方法、技術、メディアを駆使していい。結果として何が残るのか。伝わるのか。

f:id:norioishiwata:20170910202615j:plainぼくは嫁の言葉で、自分のやっていることが、どこにも伝わっていないし、なにひとつ完成していないと思った。未熟なことは、それを晒すことは、どれだけ恥ずかしいことなのだろうか。

いや、なにひとつ駄目なことなんてない。やって駄目なら何度でもやればいい。失敗したなら、それは失敗だと理解できる。それもひとつの成果だ。美しいモノをつくりたい。そう思う。ぼくは、とてもシンプルな絵を描きたい。記号のような。色とカタチがはっきりと分離した景色。

ぼくは能天気な生き物で、こうやってすぐ回復してしまう。昨日、落ち込んで、今日の夜には、この通り。ヤル気しかない。たぶん、基本的には、駄目なんだと思う。けれども誰だって最初はゼロだ。イチになったと思っても、またゼロからやり直せば、もっと遠くに行ける。仮にジュウまで行ったとしても、またゼロになればいい。はじめから何もない。まだまだやれる。

やっぱり「生きる」「つくる」にしか興味がない。

f:id:norioishiwata:20170908125650j:plainぼくのテーマは、はっきりしていて「生きること」。それは成功することやおカネを稼ぐことじゃない。残念ながら。成功やおカネは、生きることの一部でしかない。だから、ぼくは、自然を先生にすることにした。海や森、木、風や火、水や土。自然は、生きる達人で、絶妙なバランスのなかでお互い影響し合いながら、自ら在ることを教えてくれる。

「生きる」を表現する方法として、芸術を選んだ。夢中になって時間が経つのを忘れるのが好きだ。ぼくが「人生」を知ったのは、音楽に夢中だった中学生の頃。アーティストの人生について書かれた短い文章。CDについているライナーノートと呼ばれる小さな冊子。そこに人生があった。そこに書かれた生き様に感動した。音楽に捧げられた人生。そんな仕事を探して、進路を本気で決めたのは27歳だった。けれども、職業を芸術家ですと名乗れるようになったのは、40歳のとき。

f:id:norioishiwata:20170908125731j:plainやればやるほどに目標は先延ばしになる。「生きる」は死ぬまで続くから。そのときまでゴールはない。それを捉えることなんて死ぬまでできないから本を書くことにした。それが「生きるための芸術」。いまは続編を書いている。それはぼくのライナーノートでもある。

ぼくは、芸術で賞を獲ったり、ギャラリーに所属したり、美術館に作品を飾られたりしていない。けれども、作品をつくり売って生きてきた。値段は5万円前後。もう100個は売ったかもしれない。それだけの価値をつくってきた。ぼくの目的は、芸術の領域を拡げること。ぼくの考える芸術は、いまの芸術には属していない。かなり芸術に接近してきたけれども、歩み寄ってしまえば、その小さな想いは消えてしまう。10年くらいやってみて分かった。

f:id:norioishiwata:20170908125831j:plainSNSのおかげで、共感が求められる時代になって、けれども究極なところ、理解者ゼロが自然なのだと思う。それが個性だから。その個性がやがて誰かの共感を得たところに、道が生まれる。芸術とは、自分の小さな想いを巨大化させる装置だと思う。ぼくの想いを社会に接続する手段が芸術だ。

日本はとても物質的に豊かな国だ。けれども精神的には貧しい。日本人は、自己否定が強い。謙遜、遠慮。それは明治維新に由来すると思う。西欧との比較、焦燥感が日本を駆り立ててきた。けれども、その結果、大切なものが見失われている。日本人が共に生きてきた自然や信仰。それはほとんど宗教と呼ぶものに等しい。けれども、ぼくは宗教を求めているのではない。100年前、それ以上前の人々の生活に日本人のルーツがある。それは心だ。根だ。

木は大地に根を張り、地上に枝を伸ばし葉を広げ、太陽を浴びる。ぼくは、葉っぱではなく、根になりたい。誰かが伸ばす葉っぱのために。

こうやって文章を書くのは、練習になるし、考えをまとめるミーティングにもなる。自分の声を聞くことができる。ぼくの先生、自然から学んだことを実践する作戦会議でもある。

f:id:norioishiwata:20170908130311j:plain「水は高いところから低いところへ流れる。」ぼくは水でありたい。これは現代社会が示す成功の対極にある生き方。けれども大自然先生は、そう教えてくれる。数じゃない。はじまりはいつだってゼロをイチにするだけ。イチになったらニではなく、別のゼロへと流れていく。永遠の純粋。

ほとんどのモノコトは、思い通りには動かないけど、自分が動けば、思いついたことを全部やれば、世界も動く。世界とは自分が見ている目の前。それ以外はすべて幻想だ。止まるな動き続けろ。欲しいモノは、生きるチカラだけだ。