いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

雑草に学ぶ野生型適応戦略

f:id:norioishiwata:20170601221330j:plain月曜日に日の出を見に行ってから早起きになった。午前中は、六時間になって、制作できる時間が増えた。今日は少し遅くて、7時にアトリエに来て、この日記を書いている。

今日は雨。だけど嬉しい。野菜を育てて食べようと、自然農というやり方で、耕しもせず、雑草の根を残したまま植えてみた。種からではなく、苗を買ってきたので育つか心配で、畑をやっている友達には、それは野生に小型犬を放つようだ、と笑われた。植物は、厳しい環境を乗り越えて強くなるらしい。子犬のようなウチの野菜たちも、逞しく育っている。雨が嬉しい。

f:id:norioishiwata:20170601221451j:plain大学の恩師に、記事を頼まれて、気合い入れて書いたら「長い」と返事が来た。前半をばっさりカットして、読み直したら、言いたいことが明確になった。書いて気がついたのは、自然から生き方を学んでいること。特に雑草と呼ばれる植物は凄い。英語ではRuderalという。人間が開拓して荒廃した土地に生える荒地植物の意味。SFみたいだ。雑草は、種子をタイミングが来るまで眠らせたり、地上よりも地中に強く根を這わせて、生き延びたりする。Ruderalな考え方、行動の仕方、企業経営があるように思う。結局、野生型適応戦略 - Ruderal City計画 - という記事になった。

f:id:norioishiwata:20170601221547j:plain北茨城市の廃校、旧富士ヶ丘小学校をアトリエにしている。この場所は、今後、陶芸教室やシェアオフィス、アーティストインレジデンス、ギャラリーとして再利用されていく。昨日は、コーディネーターの都築さんと、場所の名前を決めるミーティングをした。
まだやることもはっきりしていないので、できるだけ可能性を限定しない方がいいという話から「富士ヶ丘Favoratory」になった。favorite と laboratoryの造語で、「好きを探求する」という意味。その言葉に遭遇して、フレッシュなコンセプトを手に入れた。

なるほど。早起きをしたついでに英語の勉強を再開した。まだ1日だけ。それでも眠っていた頭脳がアクティブになった。
RuderalにFavoriteをLaboratoryする。つまり、雑草のように生き延びて、好きを研究する。ぼくの好きではなく、未だ出会っていない誰かの「好き」を創造するために。ああ、それが音楽のポップスだと気がついた。PRINCEの歌に「POP LIFE」だ。

Pop life
Everybody needs a thrill
Pop life
We all got a space 2 fill
Pop life
Everybody can't be on top
But life it aint real funky
Unless it's got that pop

POPな人生
それを誰もが求めてる
POPな人生
みんな満たされない思いを持ってる
POPな人生
誰もがトップになれるわけじゃない

そう
POPに生きないかぎり
本当に楽しくはならない

モノをつくり、愛する人と出会うこと。

f:id:norioishiwata:20170528232927j:plain作品をつくるにしても、材料をどうするのか。イメージがどこからやってくるのか。イメージをカタチにするための道具と技術をどうするのか。それらをクリアできれば傑作が誕生する(はず)。

ぼくは偶然を愛するがゆえに、材料をできるだけ買わない。お店で購入すれば、おカネと引き換えに望んだモノが手に入るけど、偶然による奇跡はひとつも起こらない。

木材を買わないで手に入れる方法のひとつが廃材。北茨城市にも古い家がたくさんあって、チャンスを狙っていると、築100年の蔵を解体するという話が飛び込んできた。木材を欲しいと話すと快諾してくれ、翌日現場へ。解体していた職人さんたちが協力的でトラックで運んでくれた。

f:id:norioishiwata:20170528232617j:plainその日の夕方、蔵を解体していた職人さんが、様子を見に来てくれた。職人さんは社長さんで「俺もモノをつくるのが好きなんだよ。で君たちが木材欲しいって廃材取りに来たから嬉しくてさ、芸術やってんだろ? なかなかできることじゃない、頑張ってくれよ。応援するよ。」と言ってくれた。

応援してくれる人がいて、その人が欲しいと感じてくれるような作品をつくりたい。モチベーションが生まれた。芸術は難しいことではなく、鑑賞した人が直感で何かを受け取ってくれればいい。ぼくがつくりたいからつくるのではなく、喜ばせたい人がいるからつくる方がずっといい作品に仕上がる。

f:id:norioishiwata:20170528232819j:plainいまは六角形の変形パネルに円形の景色をつくりたいと企んでいる。六角形は、岡倉天心の六角堂で、そこからの景色を模様として彩ってみたい。北茨城という土地から生まれた発想。これはチフミのアイディア。ぼくが考えたモノではなく、相方のイメージを拾ってカタチにすれば、みたことのない作品が生まれる。コラボレーションは、どこにも存在しないオリジナリティになる。

「おカネを使わない」ことが、出会いを生み出す。偶然の為せる奇跡。偶然によってつくられた作品は、唯一無二の価値を持つ。それは作為を超える。アートは、作品の価値を感じてくれる人を、たったひとりの理解者をみつければ成立する。ひとつしか存在しない作品は、ひとりだけしか所有できないのだから。モノをつくり、愛する人と出会う。それがぼくにとってのシンプルなアート活動だ。そのためにも、心底から素晴らしいと思える作品をつくりたい。

----
本を出版しました!
「生きるための芸術」

www.amazon.co.jp

人生に勇気を。失敗を恐れない気持を。

f:id:norioishiwata:20170522142317j:plain北茨城市の富士が丘小学校をアトリエにして、もうすぐ1週間。暮らしている辺りの地理も理解できてきた。新しい町にいったら、ぼくは走る。それがもっとも地域の様子がわかる。どこに何があるのか。

北茨城市に来てみれば、ひとつの冒険が終わったように思う。それは空き家を巡る旅。海の傍の空き家に暮らしたいと夢見て3年が過ぎ、それまでに5つの家に暮らした。家を改修できるようになった。どんな場所にいても創作活動できるようになった。

日本で自由に生きたければ、出来るだけ古い空き家に暮らすことだ。家賃も安いし、古い家には日本の伝統文化が息づいている。日本人は、生活のなかに芸術を見出してきた。古い家には自然と共にある美しい暮らし方が刻まれている。

敬愛する日本の表現者を選ぶなら、宮本武蔵柳宗悦宮沢賢治宮本常一岡倉天心。その岡倉天心が、人生の後半を過ごした拠点が、北茨城市の五浦。天心の建てた六角堂からの眺めは素晴らしく、当時、ここに居を構えるなんて驚くばかり。それこそ何もなかっただろうが、そこにはすべてがあった。

f:id:norioishiwata:20170522142358j:plain歴史を振り返ってみれば、日本人にとっての芸術とは、まさに暮らしの芸術だった。茶道をはじめとし、自然素材でつくられた家や生活そのものに芸術を求めた。
岡倉天心の時代からはじまった西洋と東洋の接衝。もはや、そんな境界線すら見えないほど西洋に傾倒している現代。心が震えるほどの美しさは、どこにあるのだろうか。

自然なくして「美しさ」は宿らない。都市生活に「美」があるとは思えない。でも、つくることはできる。
青空や田んぼ、カエルの鳴き声、溢れかえるような草々の緑、空へと伸びる木々。何百年も暮らしを見守る大樹。岩に砕ける波。透き通る青い海。若い竹の模様、どれもが美しい。

f:id:norioishiwata:20170522144147j:plainぼくは、都市から里山へと生活の拠点を移すうちに生活芸術というコンセプトをみつけたが、それは北茨城市で消えようとしている。なぜなら、ここでは、自然と共に暮らすのが当たり前だから。でもこの当たり前もやがて失われていく。だからこそ、これを表現したい。柳宗悦の民藝だって、どこにでもある名もない陶工の手仕事を評価してのことだし、宮本常一は、消えようとする当たり前の日常を記録し続けた。宮本武蔵は、日常が戦場と思えば、戦場は日常だと説いたし、宮沢賢治は、農民芸術論として、自然のなかで営む農民の暮らしを芸術にすることを夢見た。
岡倉天心は、自然と人間と芸術の融合を東洋の芸術や思想から描いた。ぼくはまだ何もしていない。これまでやってきたことを糧に、ここからスタートしたい。自然農で畑をやってみようと思う。廃材を集めて屋台をつくろうと思う。冬に向けて服をつくろうと思う。自分が理想とする衣食住を表現してみたい。

f:id:norioishiwata:20170522142517j:plain

f:id:norioishiwata:20170522142702j:plainどうして、新しいことをやらないのか。できないことをやれば、どうやればできるのか分かる。それが技術だ。
できなくて当たり前だし、失敗して当たり前だし、3年も5年もしつこくやれば、それはそれで技術になる。失敗を恐れたら、成長は止まる。それが大人だというなら、ぼくは永遠に子供のままでいい。

なによりも、社会と環境のバランスと循環のなかにある生活基盤を自らの手でつくり出し、そのうえで創作活動すること。美しい理想の芸術。自然のなかに生きる生活を表現して、実りある1日を過ごすことができれば、その日々が最高傑作になる。

 

本が出版されました!

「生きるための芸術」

www.amazon.co.jp

 

北茨城最奥地ではじまる未来

f:id:norioishiwata:20170519090909j:plain

北茨城市での暮らしが始まった。東京から荷物を運び、アトリエになる富士が丘小学校に道具を運んだ。午後から、市の担当者鈴木さんと課長と、コーディネーターの都築さんと打ち合わせをした。

そのなかで、市長の驚くべき構想が発表された。それは1枚のメモ書きで、芸術の里「桃芸の里(とうげいのさと)」をつくる企画案だった。それは芸術の桃源郷だ。ぼくはチフミと相談して、北茨城市でやりたいことをまとめた資料をつくっていた。その内容と市の構想が一致していた。コラージュによるセレンディピティが起きた。

では早速、その村へ行ってみようと車を走らせること20分ほど。まさに里山、その村の入り口にある古民家が、その舞台になるという。茅葺き屋根にトタンを覆ってあった。農小屋や離れもある。裏には川が流れていた。

f:id:norioishiwata:20170519085612j:plain

チフミは「スゴい!わたしここに住みたい!」と声をあげた。嬉しかった。こんな場所で喜ぶパートナーで。まずは市長に興味があることを伝え、続報を待つことになった。北茨城市では、これまでの経験を磨き上げる創作活動ができそうだ。それには、積み上げてきたすべての知識や経験を下ろして、「身を低くして、他者から学ぶべきだ」今日の夜、訪れた温泉のカレンダーに書いてあった名言。これが15日のこと。

北茨城市最奥地の集落に住む、陶芸家の浅野さんを訪ねた。浅野さんは、北茨城市の「五浦天心焼き」という陶芸の名産を復活させた人だった。僅かな資料と手掛かりをもとに再現された、五浦天心焼き独特の鮫肌と呼ばれる釉薬効果は、浅野さんが偶然の出会いに導かれ開発したモノだった。考古学であり民俗学な芸術。とても陶芸をやってみたいなんて言い出せなかった。

ぼくは、生活を芸術にしたい。自然と人間の関係を伝える「生きる技術」を保存したい。でも、これは現時点では、芸術でも何でもなく、とくに里山では当たり前のこと。けれど、それは静かに消えていこうとしている。生活を芸術にするアートは、自然に接近するほどに薄まっていくが、時間が経つほどにその芸術的意義は強まっていく。愛知県津島市の長屋も、岐阜県中津川市の森も。北茨城市では、古民家の再生だけではなく、畑や地域の景観も含めたランドスケープの芸術を表現してみたい。街路樹が桃の木で、時期になると、花を咲かせ、果実を気軽に手にして食べる。畑や雑草、自然と人間のハーモニーがそこにあるような。

f:id:norioishiwata:20170519085849j:plain

自然に溶けていく生活芸術の活動と並行して、日本人の暮らしを彩るアート作品をみつけたい。それは平面のコラージュ作品だったり、パピエマシェの立体だったり。中津川でつくった風景シリーズは、都会には自然過ぎて、田舎には都会過ぎるように思う。しかし、この中道にこそ、進むべき道がある。未だなかった景色に新しい芸術の道がある。イメージがあれば、人生はつくれる。

本が出版されました!

「生きるための芸術 - 40歳を前に退職。夫婦、アートで生きていけるか」

f:id:norioishiwata:20170519090532j:plain

amazonこちら

植物を愛せば幸せHAPPYになる【恵比寿の小屋-後編-】

f:id:norioishiwata:20170503223843j:plain小屋を建てる夢を見たイベントのプロデューサーでもある高橋ケンジ氏からのオーダーは「都市と自然」だった。ぼくは空き家の木材が森からやってきたことを知って自然に興味を持つようになり、その環境を追求するうちに人が暮らさなくなった里山と呼ばれる場所に辿り着いていた。それが、この冬を越した岐阜県中津川市だった。
暮らしてみて思うのは、都会と田舎のどっちがよいか?という比較をしても意味がないこと。どっちをディスっても誰も幸せにならないし、両方によいところがある。都市には、人間と商品とサービス、貨幣の流通がある。田舎は何もないと言われるけど、逆を返せば自然がたくさんある。田舎はインターネットのおかげで、商品やサービスは充分流通していて意外と便利だったりする。だけど、都市には圧倒的に自然が足りない。庭も森もなければ、火も熾せない。

f:id:norioishiwata:20170503230433j:plainケンジ氏と話すうちに都市生活に自然を取り入れることができれば、それこそハッピーで豊かな生活になるのでは!と閃いた。それが「都市生活に自然をインストールする」というアイディアだ。
ぼくの周りには、既にそれを実践している人物が2人いた。ひとりは、WeekendFarmersというチームで、渋谷のビルの屋上で野菜を育てる小倉崇パイセンこと、オグラン。「渋谷の農家」の著者でもある。野菜はどこでもスペースがあれば育てられる。土と水さえあれば。家を自分で建てられるうえに直せたり、食べ物まで自給できれば、かなり暮らしが楽になる。都市生活の出費の多くは、家賃と食費なのだから。オグランに電話で、恵比寿ガーデンプレイスで畑をやれないか相談すると即答でOKしてくれた。これが3月の頭だから、GWの開催まで2ヶ月を切っていた。WeekendFarmersであり神奈川県の相模原でも畑を営む油井くんとオグランは、短期間で育つ野菜を選んで、土を用意して、恵比寿ガーデンプレイスが所有するプランターに畑をつくることになった。種蒔きは、恵比寿の保育園に通う児童たちがやって、プランターを害獣から守るために流木で、天蓋ベッドのようなネットをつけた。これはWeekendFarmersの仲間でもある、流木アーティストZerosaijiことハルくんが仕上げた。こうやって、恵比寿ガーデンプレイスに畑ができた。

f:id:norioishiwata:20170503224105j:plainもうひとりは、原宿にある作品を飾ってくれている美容室Calmで出会ったビリ氏。そのとき、ビリ氏から、エンジョイボタニカルライフ推進室という取り組みの話し聞いて、はじめて植物を身近に感じた。ビリ氏は、生活のなかに植物を取り入れる暮らしを推進していた。
そのときのことを覚えていて、自分が建てた小屋に植物を展示してもらい、訪れる人たちが、植物に触れるきっかけになったらいいと考えた。それこそ、生活に自然をインストールすることになる。
ビリ氏は「植物を生活に取り入れるのは、植物とのコミュニケーションだから、それは対話でもあって、恋人や夫婦のような関係だ。」と教えてくれた。植物は水を絶やしたら枯れてしまう。植物によって必要な日照の量も違う。ものを言わない植物と対話するのは、人間とコミュニケーションするよりずっと難しい。でも、そんな植物の気持ちを理解できるようになれば、人間ともっと上手くコミュニケーションできるかもしれない。パソコンやモバイルガジェットよりも植物の方が人間に近いのだから。

f:id:norioishiwata:20170503224207j:plain小屋があって、畑があって、植物があって。ぼくが理想とする生活の芸術たちが集まってきた。もうひとつ。ぼくの生活には音楽が欠かせない。音楽を聞くには、ライブハウスやクラブに行ったりお店に買いにいかなければ手に入らない。音楽といってもたくさんのジャンルがあるけれど、ぼくは、人間中心ではなく環境に対応した、海の山の火の風の音楽があったら面白いと考えていた。もちろん、ブライアン・イーノが提唱したアンビエントミュージックもある。けれど、例えば、恵比寿ガーデンプレイスに響かせる音楽、つまり人間のためではなく、場所のために鳴る音。そんな表現ができないのだろうか。
このアイディアをキャンプとアンビエントミュージックを満喫できるフェスティバル「Camp Off-Tone」を主催する松坂大佑氏に話してみた。
氏は「そうなんだよ。多くの音楽は人間の時間軸でつくられている。けれど、自然界には、もっと多様なリズムがある。例えば、鳥のタイミングや風のリズムや。都市では、もっと多くの音が、それぞれのタイミングで発せられてる。偶然に鳴っている音を周波数で分類して音階を与えれば環境が音を奏でてくれる。こんなことをやりたいと考えいた。」と話してくれた。
やりたいと思うことを失敗とか成功とかではなく、それに取り組む機会が必要だ。だから、この飛びきり新鮮なアイディアは恵比寿ガーデンプレイスで演奏されることになった。これは音楽からの自然に対するアプローチ。

f:id:norioishiwata:20170503225354j:plainこうやって集まった仲間たちが、つくってきた恵比寿ガーデンプレイスのイベント空間。このギャラリーや美術館ではできない都市生活空間にこそ展開できる巨大なアート展をぜひ、体験してみてほしい。

このどうなるか分からない企画を全面的に許容してくれる、ガーデンプレイス側の担当者、安田さんと三谷さんのサポートに感謝です。企業のなかには、世のため人のためになることを惜しまない人もいることを知った。
イベントをプロデュースする恵比寿新聞は、恵比寿に暮らす人々のためのローカルメディアで、恵比寿は住みたい街ナンバーワンではあるけれども、住みにくい街でもある、という。暮らす人の目線でその環境を変えているのが、今回のすべてのきっかけ高橋ケンジ氏。ガーデンプレイスも、企業として地域の顔の見える人に参加してもらったり楽しんでもらいたいと考えている。

5月5日、6日、7日の期間中は、ビリ氏によるワークショップ、さまざまなトークやイベントがあります。6日には、松坂大佑のサウンドアートが体験できます。最終日には、育てている苗のお裾分けもありますので、みなさんの生活に自然をインストールしてみてください。食べ物を自分でつくる経験は、生きることそのものだ。植物と対話することは命に触れること。

f:id:norioishiwata:20170504083227j:plain人間は都市に生きているのではなく、大自然=地球という環境のうえに生きていることを忘れてはいけない。人間ひとりひとりができることは小さいから、小さな植物を愛でたり、土を触り、種を蒔き、少しの野菜をつくるようになれば、また違った生活の豊かさが見えてくる。ぼく自身が、そういう眼差しを今回のイベントで手に入れたので、みなさんの生活に少しでも自然との接点をつくれれば、とこれを書きました。

No plant No Life,

No Seed No Life,

No Nature No Life.

最後まで読んでくれ、ありがとうございます。

使われなくなった材料で小屋を建てる冒険 【恵比寿の小屋-前編-】

f:id:norioishiwata:20170503092528j:plain恵比寿ガーデンプレイスの小屋が完成した。始まりは、今年の1月18日、友達が、ぼくと小屋を建てる夢を見て声を掛けてくれた。ぼくは、ブログやSNSで自分のやっていることを報告していたから、それが夢に出たのかもしれない。
友達が見た夢は、ぼくの夢でもあった。廃材を使って小屋を建てる企画を海外のアートギャラリーやレジデンスに提出していた。そんな想いが友人の夢に現れるなんて。イメージを頭の中だけでく、アウトプットしていれば、意外なカタチで実現する。続ければ必ず。

f:id:norioishiwata:20170503093436j:plain日本は豊かな国で、四季の移り変わりのおかげで、たくさんの自然の恵みがある。人間は自然のなかから、必要なモノをみつけ、生活をつくってきた。家もそのひとつ。歴史を振り返ってみれば、家は自然からの材料でつくられてきた。原点は竪穴式住居で、屋根の原型でもある。空間を広くするために立ち上がり、壁ができた。そう考えてみると、屋根は至ってシンプルな構造だ。「水は高いところから低いところへ流れる」この法則に従えば、雨は漏らない。

屋根の材料はいろいろある。瓦は土を焼いてつくる。茅葺きは、身の回りの草を重ねて屋根にする。恵比寿の小屋は茅葺きにした。しかし、茅葺の量が少なく厚くならなかったので、茅葺の間にトタンを挟んで、雨漏り対策をした。高いところから低いところへ水を流すために片流れにした。とにかく、雨をしのぐことが家の原点だと言える。

f:id:norioishiwata:20170503093858j:plain雨をクリアできれば、柱と壁だ。屋根を支える構造が必要になる。構造と言っても、柱を立てる基礎と柱と柱を繋ぐこと。

空き家を転々とするうちに、つまり古い家に暮らすうちに、日本の木造住宅の面白さを知った。木は、乾燥して年を重ね、ある説によれば300年は強度を増していく。家の材料になる木は、森からやってくる。日本の田舎には、たくさんの檜が植えてある。檜はまっすぐに伸びるから建材として重宝される。木は育つのに50年から100年を要するから木樵は、次の世代のために働く。ぼくがこの冬暮らした岐阜県中津川市の加子母地区は、林業の村だから、次の世代のために地域づくりをしている。つまり100年先の未来のために町をつくっている。

でも100年前の人が植えてくれた檜に価値がなくなってしまった。価値を与え過ぎて高騰した国産材は、輸入材の需要に負けてしまった。第二次大戦後、日本は復興を願い、より多くの住宅を供給するために、安い建材でたくさんの家をつくった。それは戦前、大正や明治時代とは比べものにならないつくりだ。そんな訳で森の檜を放置する人が増えてしまった。

f:id:norioishiwata:20170503094139j:plainぼくは家を通じて、日本人が切り捨ててしまった大切な技術があることを知った。

例えば、ぼくにはまだない技術の木材と木材を繋ぎ合わせる仕口は、地震の揺れを緩んで逃し、また強く結合する仕組みになっている。これを数字で計測する手段がないという。だから、いまの建築では、耐震という考え方で構造を固め、免震という合気道のようなテクニックはあまり使われなくなった。

関東大震災のあとにも、第二次大戦の後にも、バラック小屋と呼ばれる簡素な住宅が立ち並んだ。それは家と呼ぶにはあまりに粗末で、復興が進み、高度経済成長と共に、壊され消えていった。いまでも、街を歩くとトタンや木造の古い家を見ることができる。ぼくは、そうした古くて簡素な住宅にこそ、生きるための知恵が詰まっていると思う。なぜなら、それは誰もができるオープンソースな知恵だから。また、そうした住宅は、どこにでもある、誰でも手に入れられる材料でつくられているから。

f:id:norioishiwata:20170503094242j:plainだからぼくは、森で倒れてしまった利用価値のない、檜の丸太と、古い家を解体した木材で、小屋をつくることにした。おカネがなくても、人が必要としなくなったモノに価値を見出すことができれば、目の前の世界はずっと豊かに広がっていく。

f:id:norioishiwata:20170503100345j:plain檜の丸太は、冬に暮らしていた中津川の森にたくさん倒れていた。大家さんに了承を得て、タダで譲ってもらい、皮を剥いて、適当な長さにして、東京へ運んだ。このとき、屋根の構造材にする竹も譲ってもらった。竹も昔は使い途があり、重宝したが、いまは伸び放題だから切ってくれるなら、と喜んでくれた。
廃材は、SNSを利用して呼びかけた。家を解体した木材は、廃棄物処理業者がトラックに積んで処分する。この業者に相談してみると、捨てるモノでも、捨てるのが仕事だから、譲れないと断られた。いくつかトライしてみたが、結局、作業工程の邪魔だからと断られた。
ところが世田谷の祖母の家を解体するからと、友人が廃棄処分業者に話すと対応は違って、畳の下にある荒板を提供してくれた。社会は、どこから入っていくかで、対応が変わるということ。入り口をみつけることだ。床の荒板は小屋の壁になった。

f:id:norioishiwata:20170503094523j:plain声に出せば助けてくる。これは人間社会のとても素晴らしい部分。人間が助け合いながら生きていく社会の方が足を引っ張り合うよりも豊かになる。

友人の友人が、四国へ引越す予定で、たくさんの廃材がある、と教えてくれた。神奈川県の横浜市で、不思議な暮らしをしていたアーティストが、素晴らしい古材を提供してくれた。不思議というのは、町中なのに焚き火をしていたり、トイレも風呂もなく、インターネットもやらないという人は、友人を紹介するといって、落ちてる端材にエンピツで名前を書いて渡してくれた。「葉山のジョニー」彼に会うといいよ、と。それだけの情報で、どうやって探せばいいのか。でも、行けば出会ってしまうところが、人生の面白さがあるかもしれない。

こんなラッキーもあった。小屋を建てる夢を見てくれた友人は、恵比寿新聞というメディアを運営するイベントのプロデューサーでもある高橋ケンジで、彼に「小屋はたくさん窓をつけたい」と話していた。ケンジ氏が、高知を訪れた際に古道具屋で、その窓を発見した。ところが、古道具屋さんは、こんな窓いらないから、持っていけと、タダで譲ってくれた。

f:id:norioishiwata:20170503094737j:plainこうやって、あちこちで役目を果たした、もしくは、利用価値がないモノたちをスカウトして回って、集まってきた材料たちは、漫画のキャラクターのように強烈な個性を放っていた。こうやって、完成した小屋は、唯一無二で、同じモノは二度とつくれない。だけど、似て非なるモノは、誰にでもつくれる。

イベント企画とスケジュールの都合で、構造にはツーバイフォー材を使用した。ビスとかトタンとか、諸々の材料費で5万円ほどでこの小屋は建った。ところが先日、とある場所では、廃材を古材として価値を与えて、窓も板も5000円から8000円ほどで、売っていた。捨てられるモノ、売られるモノ。同じモノでも場所を変えれば価値も変わる。大切なのは、価値を見出す心だ。

ぼくはプロでも専門家でもなく、2年ほど、空き家を改修したり、古い家を大好きになってくうちに、ノウハウが集まってきただけ。せっかく小屋をつくったので、ノウハウを共有するイベントを開催する次第。

5月6日13:00~15:00
恵比寿ガーデンプレイスの小屋にて
無料

ぜひ、お越しください。

f:id:norioishiwata:20170503095314j:plain

さて、このイベントの話しには、さらなる広がりがあって、その続きは次回。

砂つぶの1日

f:id:norioishiwata:20170415190039j:plain土曜日も日曜日も休日ではなく、月曜日から金曜日も平日でもなく、毎日は等しく人生の一部だ。日曜日の夜は、月曜日の前日ではなく、それぞれの一日は、それぞれ独立した今日。ベンジャミン・フランクリンは、「one today is worth two tomorrow. 今日は、明日2日分の価値がある。」という言葉を残している。また、イスラームでは、世界を砂漠に例え、ひとりひとり人間はそれぞれ独立した砂つぶだと説く。ぼくも君も誰もかも、同じ人間でありながら、それぞれ独立した個人だ。

 石渡さんはどんな活動をしていますか?
と聞かれ「生活芸術家です」
と最近、答えるようになり
「へー生活芸術ですか。スゴイですね。流石です。わたしには、生活を芸術になんてできません。」と言われたりする。

 使われない空き家に暮らして、不便を楽しんでいると「芸術家はスゴイですね。」と言われたりする。

だけど、ぼくには何も特別な技術も知識もない。やれば誰でもできることをやっているだけだ。

f:id:norioishiwata:20170415190125j:plain昨日は、朝から神奈川県の藤野の農家をやる油井くんの畑に茅葺き屋根の材料、ススキを頂きにいった。茅という植物はなく、身の回りの草で屋根をつくった総称が茅葺き屋根という。これは雑草と同じで、ほんとうは、それぞれに名前と個性がある。
 油井くんの畑をユンボというあだ名の友人がユンボで開墾して道をつくっていた。油井くんは掘り返される土の匂いを嗅いだりして、その横で、ぼくとチフミは、せっせとススキを集めて束ねていた。たくさんの一日があるなかの何億分の一の景色のなかで。

油井くんがユンボくんに茅葺き屋根の小屋を恵比寿に建てるんだ、と話してくれ「茅葺き屋根といっても立派なものはつくれないけど。」とぼくが言うと「そうだよ。いま残っている茅葺き屋根は、お金持ちの立派な屋根ばかりだから。いまはないけどたくさんの粗末な茅葺き屋根の家がたくさんあったんだから、それでいいよ。」と賛同してくれた。
 「家は雨風がしのげればいいよね。」と油井くんが笑って言った。

話しているのはたのしかったけど、ススキを集める作業の大変なこと。刈って山積みになったススキから使えそうな箇所を集めて束ね、不要な箇所を取り除く。ひとつの束をつくるのにどれくらいの時間を要するのか。考えるのも嫌なので、無心になって作業した。

f:id:norioishiwata:20170415190207j:plain自然にあるモノは、誰にでも提供されるフリー素材だが、それを使えるモノに仕立てる作業は重労働。インターネットでやり方を調べれば、大抵のことは書いてある。でもやってみると簡単なことなんてない。やる度に驚かされる。まるで登山のようで、コツコツと一歩ずつ進むしかない。最初は慣れなくてもやっているうちに、シンドイからこそ、効率化を図って次第に上達してくる。

森に倒れている丸太を柱にしようと、岐阜から東京の恵比寿まで運んで、鑿と玄翁で削ってみると、自然の木を柱にする難しさ。直線なんてないから、基準がみつからない。チフミと議論しながら、柱に仕立てていく。トライ&エラーを繰り返して、技術をアップデートしていく。それは人類の進化を追跡する遊びでもある。専門家に教われば、その通りにできることを勘違いと思い込みで組み立てていく。このエラーにぼくは、アートの語源でもあるアルス(技術)を感じる。そのエラーを自分の技にしたとき、オリジナルが誕生する。失敗は成功に変わる。価値が転倒する瞬間だ。

f:id:norioishiwata:20170415190259j:plain役に立たないものも
役に立つし
役に立つものも
役に立たない
それ次第。

1日は砂つぶひとつに過ぎないが、そのひと粒のなかには、いろんな可能性が宇宙の如く広がっている。砂つぶはやがてダイヤモンドにもなる。