いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

北茨城最奥地ではじまる未来

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北茨城市での暮らしが始まった。東京から荷物を運び、アトリエになる富士が丘小学校に道具を運んだ。午後から、市の担当者鈴木さんと課長と、コーディネーターの都築さんと打ち合わせをした。

そのなかで、市長の驚くべき構想が発表された。それは1枚のメモ書きで、芸術の里「桃芸の里(とうげいのさと)」をつくる企画案だった。それは芸術の桃源郷だ。ぼくはチフミと相談して、北茨城市でやりたいことをまとめた資料をつくっていた。その内容と市の構想が一致していた。コラージュによるセレンディピティが起きた。

では早速、その村へ行ってみようと車を走らせること20分ほど。まさに里山、その村の入り口にある古民家が、その舞台になるという。茅葺き屋根にトタンを覆ってあった。農小屋や離れもある。裏には川が流れていた。

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チフミは「スゴい!わたしここに住みたい!」と声をあげた。嬉しかった。こんな場所で喜ぶパートナーで。まずは市長に興味があることを伝え、続報を待つことになった。北茨城市では、これまでの経験を磨き上げる創作活動ができそうだ。それには、積み上げてきたすべての知識や経験を下ろして、「身を低くして、他者から学ぶべきだ」今日の夜、訪れた温泉のカレンダーに書いてあった名言。これが15日のこと。

北茨城市最奥地の集落に住む、陶芸家の浅野さんを訪ねた。浅野さんは、北茨城市の「五浦天心焼き」という陶芸の名産を復活させた人だった。僅かな資料と手掛かりをもとに再現された、五浦天心焼き独特の鮫肌と呼ばれる釉薬効果は、浅野さんが偶然の出会いに導かれ開発したモノだった。考古学であり民俗学な芸術。とても陶芸をやってみたいなんて言い出せなかった。

ぼくは、生活を芸術にしたい。自然と人間の関係を伝える「生きる技術」を保存したい。でも、これは現時点では、芸術でも何でもなく、とくに里山では当たり前のこと。けれど、それは静かに消えていこうとしている。生活を芸術にするアートは、自然に接近するほどに薄まっていくが、時間が経つほどにその芸術的意義は強まっていく。愛知県津島市の長屋も、岐阜県中津川市の森も。北茨城市では、古民家の再生だけではなく、畑や地域の景観も含めたランドスケープの芸術を表現してみたい。街路樹が桃の木で、時期になると、花を咲かせ、果実を気軽に手にして食べる。畑や雑草、自然と人間のハーモニーがそこにあるような。

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自然に溶けていく生活芸術の活動と並行して、日本人の暮らしを彩るアート作品をみつけたい。それは平面のコラージュ作品だったり、パピエマシェの立体だったり。中津川でつくった風景シリーズは、都会には自然過ぎて、田舎には都会過ぎるように思う。しかし、この中道にこそ、進むべき道がある。未だなかった景色に新しい芸術の道がある。イメージがあれば、人生はつくれる。

本が出版されました!

「生きるための芸術 - 40歳を前に退職。夫婦、アートで生きていけるか」

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植物を愛せば幸せHAPPYになる【恵比寿の小屋-後編-】

f:id:norioishiwata:20170503223843j:plain小屋を建てる夢を見たイベントのプロデューサーでもある高橋ケンジ氏からのオーダーは「都市と自然」だった。ぼくは空き家の木材が森からやってきたことを知って自然に興味を持つようになり、その環境を追求するうちに人が暮らさなくなった里山と呼ばれる場所に辿り着いていた。それが、この冬を越した岐阜県中津川市だった。
暮らしてみて思うのは、都会と田舎のどっちがよいか?という比較をしても意味がないこと。どっちをディスっても誰も幸せにならないし、両方によいところがある。都市には、人間と商品とサービス、貨幣の流通がある。田舎は何もないと言われるけど、逆を返せば自然がたくさんある。田舎はインターネットのおかげで、商品やサービスは充分流通していて意外と便利だったりする。だけど、都市には圧倒的に自然が足りない。庭も森もなければ、火も熾せない。

f:id:norioishiwata:20170503230433j:plainケンジ氏と話すうちに都市生活に自然を取り入れることができれば、それこそハッピーで豊かな生活になるのでは!と閃いた。それが「都市生活に自然をインストールする」というアイディアだ。
ぼくの周りには、既にそれを実践している人物が2人いた。ひとりは、WeekendFarmersというチームで、渋谷のビルの屋上で野菜を育てる小倉崇パイセンこと、オグラン。「渋谷の農家」の著者でもある。野菜はどこでもスペースがあれば育てられる。土と水さえあれば。家を自分で建てられるうえに直せたり、食べ物まで自給できれば、かなり暮らしが楽になる。都市生活の出費の多くは、家賃と食費なのだから。オグランに電話で、恵比寿ガーデンプレイスで畑をやれないか相談すると即答でOKしてくれた。これが3月の頭だから、GWの開催まで2ヶ月を切っていた。WeekendFarmersであり神奈川県の相模原でも畑を営む油井くんとオグランは、短期間で育つ野菜を選んで、土を用意して、恵比寿ガーデンプレイスが所有するプランターに畑をつくることになった。種蒔きは、恵比寿の保育園に通う児童たちがやって、プランターを害獣から守るために流木で、天蓋ベッドのようなネットをつけた。これはWeekendFarmersの仲間でもある、流木アーティストZerosaijiことハルくんが仕上げた。こうやって、恵比寿ガーデンプレイスに畑ができた。

f:id:norioishiwata:20170503224105j:plainもうひとりは、原宿にある作品を飾ってくれている美容室Calmで出会ったビリ氏。そのとき、ビリ氏から、エンジョイボタニカルライフ推進室という取り組みの話し聞いて、はじめて植物を身近に感じた。ビリ氏は、生活のなかに植物を取り入れる暮らしを推進していた。
そのときのことを覚えていて、自分が建てた小屋に植物を展示してもらい、訪れる人たちが、植物に触れるきっかけになったらいいと考えた。それこそ、生活に自然をインストールすることになる。
ビリ氏は「植物を生活に取り入れるのは、植物とのコミュニケーションだから、それは対話でもあって、恋人や夫婦のような関係だ。」と教えてくれた。植物は水を絶やしたら枯れてしまう。植物によって必要な日照の量も違う。ものを言わない植物と対話するのは、人間とコミュニケーションするよりずっと難しい。でも、そんな植物の気持ちを理解できるようになれば、人間ともっと上手くコミュニケーションできるかもしれない。パソコンやモバイルガジェットよりも植物の方が人間に近いのだから。

f:id:norioishiwata:20170503224207j:plain小屋があって、畑があって、植物があって。ぼくが理想とする生活の芸術たちが集まってきた。もうひとつ。ぼくの生活には音楽が欠かせない。音楽を聞くには、ライブハウスやクラブに行ったりお店に買いにいかなければ手に入らない。音楽といってもたくさんのジャンルがあるけれど、ぼくは、人間中心ではなく環境に対応した、海の山の火の風の音楽があったら面白いと考えていた。もちろん、ブライアン・イーノが提唱したアンビエントミュージックもある。けれど、例えば、恵比寿ガーデンプレイスに響かせる音楽、つまり人間のためではなく、場所のために鳴る音。そんな表現ができないのだろうか。
このアイディアをキャンプとアンビエントミュージックを満喫できるフェスティバル「Camp Off-Tone」を主催する松坂大佑氏に話してみた。
氏は「そうなんだよ。多くの音楽は人間の時間軸でつくられている。けれど、自然界には、もっと多様なリズムがある。例えば、鳥のタイミングや風のリズムや。都市では、もっと多くの音が、それぞれのタイミングで発せられてる。偶然に鳴っている音を周波数で分類して音階を与えれば環境が音を奏でてくれる。こんなことをやりたいと考えいた。」と話してくれた。
やりたいと思うことを失敗とか成功とかではなく、それに取り組む機会が必要だ。だから、この飛びきり新鮮なアイディアは恵比寿ガーデンプレイスで演奏されることになった。これは音楽からの自然に対するアプローチ。

f:id:norioishiwata:20170503225354j:plainこうやって集まった仲間たちが、つくってきた恵比寿ガーデンプレイスのイベント空間。このギャラリーや美術館ではできない都市生活空間にこそ展開できる巨大なアート展をぜひ、体験してみてほしい。

このどうなるか分からない企画を全面的に許容してくれる、ガーデンプレイス側の担当者、安田さんと三谷さんのサポートに感謝です。企業のなかには、世のため人のためになることを惜しまない人もいることを知った。
イベントをプロデュースする恵比寿新聞は、恵比寿に暮らす人々のためのローカルメディアで、恵比寿は住みたい街ナンバーワンではあるけれども、住みにくい街でもある、という。暮らす人の目線でその環境を変えているのが、今回のすべてのきっかけ高橋ケンジ氏。ガーデンプレイスも、企業として地域の顔の見える人に参加してもらったり楽しんでもらいたいと考えている。

5月5日、6日、7日の期間中は、ビリ氏によるワークショップ、さまざまなトークやイベントがあります。6日には、松坂大佑のサウンドアートが体験できます。最終日には、育てている苗のお裾分けもありますので、みなさんの生活に自然をインストールしてみてください。食べ物を自分でつくる経験は、生きることそのものだ。植物と対話することは命に触れること。

f:id:norioishiwata:20170504083227j:plain人間は都市に生きているのではなく、大自然=地球という環境のうえに生きていることを忘れてはいけない。人間ひとりひとりができることは小さいから、小さな植物を愛でたり、土を触り、種を蒔き、少しの野菜をつくるようになれば、また違った生活の豊かさが見えてくる。ぼく自身が、そういう眼差しを今回のイベントで手に入れたので、みなさんの生活に少しでも自然との接点をつくれれば、とこれを書きました。

No plant No Life,

No Seed No Life,

No Nature No Life.

最後まで読んでくれ、ありがとうございます。

使われなくなった材料で小屋を建てる冒険 【恵比寿の小屋-前編-】

f:id:norioishiwata:20170503092528j:plain恵比寿ガーデンプレイスの小屋が完成した。始まりは、今年の1月18日、友達が、ぼくと小屋を建てる夢を見て声を掛けてくれた。ぼくは、ブログやSNSで自分のやっていることを報告していたから、それが夢に出たのかもしれない。
友達が見た夢は、ぼくの夢でもあった。廃材を使って小屋を建てる企画を海外のアートギャラリーやレジデンスに提出していた。そんな想いが友人の夢に現れるなんて。イメージを頭の中だけでく、アウトプットしていれば、意外なカタチで実現する。続ければ必ず。

f:id:norioishiwata:20170503093436j:plain日本は豊かな国で、四季の移り変わりのおかげで、たくさんの自然の恵みがある。人間は自然のなかから、必要なモノをみつけ、生活をつくってきた。家もそのひとつ。歴史を振り返ってみれば、家は自然からの材料でつくられてきた。原点は竪穴式住居で、屋根の原型でもある。空間を広くするために立ち上がり、壁ができた。そう考えてみると、屋根は至ってシンプルな構造だ。「水は高いところから低いところへ流れる」この法則に従えば、雨は漏らない。

屋根の材料はいろいろある。瓦は土を焼いてつくる。茅葺きは、身の回りの草を重ねて屋根にする。恵比寿の小屋は茅葺きにした。しかし、茅葺の量が少なく厚くならなかったので、茅葺の間にトタンを挟んで、雨漏り対策をした。高いところから低いところへ水を流すために片流れにした。とにかく、雨をしのぐことが家の原点だと言える。

f:id:norioishiwata:20170503093858j:plain雨をクリアできれば、柱と壁だ。屋根を支える構造が必要になる。構造と言っても、柱を立てる基礎と柱と柱を繋ぐこと。

空き家を転々とするうちに、つまり古い家に暮らすうちに、日本の木造住宅の面白さを知った。木は、乾燥して年を重ね、ある説によれば300年は強度を増していく。家の材料になる木は、森からやってくる。日本の田舎には、たくさんの檜が植えてある。檜はまっすぐに伸びるから建材として重宝される。木は育つのに50年から100年を要するから木樵は、次の世代のために働く。ぼくがこの冬暮らした岐阜県中津川市の加子母地区は、林業の村だから、次の世代のために地域づくりをしている。つまり100年先の未来のために町をつくっている。

でも100年前の人が植えてくれた檜に価値がなくなってしまった。価値を与え過ぎて高騰した国産材は、輸入材の需要に負けてしまった。第二次大戦後、日本は復興を願い、より多くの住宅を供給するために、安い建材でたくさんの家をつくった。それは戦前、大正や明治時代とは比べものにならないつくりだ。そんな訳で森の檜を放置する人が増えてしまった。

f:id:norioishiwata:20170503094139j:plainぼくは家を通じて、日本人が切り捨ててしまった大切な技術があることを知った。

例えば、ぼくにはまだない技術の木材と木材を繋ぎ合わせる仕口は、地震の揺れを緩んで逃し、また強く結合する仕組みになっている。これを数字で計測する手段がないという。だから、いまの建築では、耐震という考え方で構造を固め、免震という合気道のようなテクニックはあまり使われなくなった。

関東大震災のあとにも、第二次大戦の後にも、バラック小屋と呼ばれる簡素な住宅が立ち並んだ。それは家と呼ぶにはあまりに粗末で、復興が進み、高度経済成長と共に、壊され消えていった。いまでも、街を歩くとトタンや木造の古い家を見ることができる。ぼくは、そうした古くて簡素な住宅にこそ、生きるための知恵が詰まっていると思う。なぜなら、それは誰もができるオープンソースな知恵だから。また、そうした住宅は、どこにでもある、誰でも手に入れられる材料でつくられているから。

f:id:norioishiwata:20170503094242j:plainだからぼくは、森で倒れてしまった利用価値のない、檜の丸太と、古い家を解体した木材で、小屋をつくることにした。おカネがなくても、人が必要としなくなったモノに価値を見出すことができれば、目の前の世界はずっと豊かに広がっていく。

f:id:norioishiwata:20170503100345j:plain檜の丸太は、冬に暮らしていた中津川の森にたくさん倒れていた。大家さんに了承を得て、タダで譲ってもらい、皮を剥いて、適当な長さにして、東京へ運んだ。このとき、屋根の構造材にする竹も譲ってもらった。竹も昔は使い途があり、重宝したが、いまは伸び放題だから切ってくれるなら、と喜んでくれた。
廃材は、SNSを利用して呼びかけた。家を解体した木材は、廃棄物処理業者がトラックに積んで処分する。この業者に相談してみると、捨てるモノでも、捨てるのが仕事だから、譲れないと断られた。いくつかトライしてみたが、結局、作業工程の邪魔だからと断られた。
ところが世田谷の祖母の家を解体するからと、友人が廃棄処分業者に話すと対応は違って、畳の下にある荒板を提供してくれた。社会は、どこから入っていくかで、対応が変わるということ。入り口をみつけることだ。床の荒板は小屋の壁になった。

f:id:norioishiwata:20170503094523j:plain声に出せば助けてくる。これは人間社会のとても素晴らしい部分。人間が助け合いながら生きていく社会の方が足を引っ張り合うよりも豊かになる。

友人の友人が、四国へ引越す予定で、たくさんの廃材がある、と教えてくれた。神奈川県の横浜市で、不思議な暮らしをしていたアーティストが、素晴らしい古材を提供してくれた。不思議というのは、町中なのに焚き火をしていたり、トイレも風呂もなく、インターネットもやらないという人は、友人を紹介するといって、落ちてる端材にエンピツで名前を書いて渡してくれた。「葉山のジョニー」彼に会うといいよ、と。それだけの情報で、どうやって探せばいいのか。でも、行けば出会ってしまうところが、人生の面白さがあるかもしれない。

こんなラッキーもあった。小屋を建てる夢を見てくれた友人は、恵比寿新聞というメディアを運営するイベントのプロデューサーでもある高橋ケンジで、彼に「小屋はたくさん窓をつけたい」と話していた。ケンジ氏が、高知を訪れた際に古道具屋で、その窓を発見した。ところが、古道具屋さんは、こんな窓いらないから、持っていけと、タダで譲ってくれた。

f:id:norioishiwata:20170503094737j:plainこうやって、あちこちで役目を果たした、もしくは、利用価値がないモノたちをスカウトして回って、集まってきた材料たちは、漫画のキャラクターのように強烈な個性を放っていた。こうやって、完成した小屋は、唯一無二で、同じモノは二度とつくれない。だけど、似て非なるモノは、誰にでもつくれる。

イベント企画とスケジュールの都合で、構造にはツーバイフォー材を使用した。ビスとかトタンとか、諸々の材料費で5万円ほどでこの小屋は建った。ところが先日、とある場所では、廃材を古材として価値を与えて、窓も板も5000円から8000円ほどで、売っていた。捨てられるモノ、売られるモノ。同じモノでも場所を変えれば価値も変わる。大切なのは、価値を見出す心だ。

ぼくはプロでも専門家でもなく、2年ほど、空き家を改修したり、古い家を大好きになってくうちに、ノウハウが集まってきただけ。せっかく小屋をつくったので、ノウハウを共有するイベントを開催する次第。

5月6日13:00~15:00
恵比寿ガーデンプレイスの小屋にて
無料

ぜひ、お越しください。

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さて、このイベントの話しには、さらなる広がりがあって、その続きは次回。

砂つぶの1日

f:id:norioishiwata:20170415190039j:plain土曜日も日曜日も休日ではなく、月曜日から金曜日も平日でもなく、毎日は等しく人生の一部だ。日曜日の夜は、月曜日の前日ではなく、それぞれの一日は、それぞれ独立した今日。ベンジャミン・フランクリンは、「one today is worth two tomorrow. 今日は、明日2日分の価値がある。」という言葉を残している。また、イスラームでは、世界を砂漠に例え、ひとりひとり人間はそれぞれ独立した砂つぶだと説く。ぼくも君も誰もかも、同じ人間でありながら、それぞれ独立した個人だ。

 石渡さんはどんな活動をしていますか?
と聞かれ「生活芸術家です」
と最近、答えるようになり
「へー生活芸術ですか。スゴイですね。流石です。わたしには、生活を芸術になんてできません。」と言われたりする。

 使われない空き家に暮らして、不便を楽しんでいると「芸術家はスゴイですね。」と言われたりする。

だけど、ぼくには何も特別な技術も知識もない。やれば誰でもできることをやっているだけだ。

f:id:norioishiwata:20170415190125j:plain昨日は、朝から神奈川県の藤野の農家をやる油井くんの畑に茅葺き屋根の材料、ススキを頂きにいった。茅という植物はなく、身の回りの草で屋根をつくった総称が茅葺き屋根という。これは雑草と同じで、ほんとうは、それぞれに名前と個性がある。
 油井くんの畑をユンボというあだ名の友人がユンボで開墾して道をつくっていた。油井くんは掘り返される土の匂いを嗅いだりして、その横で、ぼくとチフミは、せっせとススキを集めて束ねていた。たくさんの一日があるなかの何億分の一の景色のなかで。

油井くんがユンボくんに茅葺き屋根の小屋を恵比寿に建てるんだ、と話してくれ「茅葺き屋根といっても立派なものはつくれないけど。」とぼくが言うと「そうだよ。いま残っている茅葺き屋根は、お金持ちの立派な屋根ばかりだから。いまはないけどたくさんの粗末な茅葺き屋根の家がたくさんあったんだから、それでいいよ。」と賛同してくれた。
 「家は雨風がしのげればいいよね。」と油井くんが笑って言った。

話しているのはたのしかったけど、ススキを集める作業の大変なこと。刈って山積みになったススキから使えそうな箇所を集めて束ね、不要な箇所を取り除く。ひとつの束をつくるのにどれくらいの時間を要するのか。考えるのも嫌なので、無心になって作業した。

f:id:norioishiwata:20170415190207j:plain自然にあるモノは、誰にでも提供されるフリー素材だが、それを使えるモノに仕立てる作業は重労働。インターネットでやり方を調べれば、大抵のことは書いてある。でもやってみると簡単なことなんてない。やる度に驚かされる。まるで登山のようで、コツコツと一歩ずつ進むしかない。最初は慣れなくてもやっているうちに、シンドイからこそ、効率化を図って次第に上達してくる。

森に倒れている丸太を柱にしようと、岐阜から東京の恵比寿まで運んで、鑿と玄翁で削ってみると、自然の木を柱にする難しさ。直線なんてないから、基準がみつからない。チフミと議論しながら、柱に仕立てていく。トライ&エラーを繰り返して、技術をアップデートしていく。それは人類の進化を追跡する遊びでもある。専門家に教われば、その通りにできることを勘違いと思い込みで組み立てていく。このエラーにぼくは、アートの語源でもあるアルス(技術)を感じる。そのエラーを自分の技にしたとき、オリジナルが誕生する。失敗は成功に変わる。価値が転倒する瞬間だ。

f:id:norioishiwata:20170415190259j:plain役に立たないものも
役に立つし
役に立つものも
役に立たない
それ次第。

1日は砂つぶひとつに過ぎないが、そのひと粒のなかには、いろんな可能性が宇宙の如く広がっている。砂つぶはやがてダイヤモンドにもなる。

光。

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動物をつくっている。「つくる」行為の原初は、天地創造として聖書に記さている。はじめに光ありき。形づくるのは、神の仕事とされる。土を捏ねて動物をつくり、やがて男をつくった。であるなら、ヒトもまた動物。

作品をつくることは、カタチを取り、色彩を与えること。自然のつくり出すカタチを捉えようとすれば、まるで神の仕事を真似るようで興味が尽きない。作品は何をつくらなければらないというルールも制約もないから、魅了されるモノコトをひたすらに追求することになる。

バルセロナを旅したとき、ぼくは2つの技術と遭遇した。ひとつは、船をつくる技術。ひとつは、動物をつくる技術。動物はパピエマシェという張り子に似た技法でつくる。アイルランド出身のトム・キャンベルに教えてもらった。紙と枝と小麦粉でつくる、そのどこでも実践できる技法に魅了されて、動物をつくり続けている。動物のカタチを捉えるために、枝で骨から組む。紙を何層にも重ねるから、木の年輪のような質感が現れ、そこに景色が見えるようになる。

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冬に暮らしていた岐阜県の古民家の山奥で、カモシカに遭遇したとき、その生命力に圧倒された。野生。動物をつくりながら、人間ばかりがとても違ってきていると思うようになった。野生の反対は栽培で、そう、人間はまるで栽培されているようだ。動物と人間。ほんとうは同じなのに、まるで違う次元の生き物のように扱われる。人間がつくった訳でもないのに。動物をつくりながら、シンプルな人間になりたいと思う。

生活芸術という活動では、旅をしたり、トークしたり、文章を書いたり、家を建てたり、芸術以外のことを芸術として表現しているけれど、絵や動物をつくることは、作品にすべてを込めているから、語る言葉がない。檻之汰鷲(おりのたわし)という夫婦がつくる作品は、生活芸術とは別の何かを目指しているのかもしれない。これを書きながら、新しいキャラクターに出会った。書くことは、心を土のように耕すことだ。誰かの心に光を差せればいい。光あれ。


 

夢は叶う。やり方はイメージが大切。

f:id:norioishiwata:20170412090647j:plain仕事にしろ、友達にしろ、恋人にしろ、日々の生活のすべてを自分で選んでいる。もしかしたら、まったく自分で選んでない人もいるかもしれない。自分で選んでいないのであれば、ぜひたった今から、自分の声に耳を傾けて、未来を選択してみて欲しい。

なぜ、こんなことを書くのか。なぜなら、ぼくは生活芸術家と名乗り、人生をつくれるかどうか実験してきたからだ。人生と言えば、大袈裟に聞こえるが、その一部でもある生活は、誰にでもつくれる。

どんな場所に、どんな家に、誰と暮らし、どんな仕事をして、何を食べて、どんな服を着て、毎日を過ごすのか。何を見て、何を聞いて、何を口にして誰と過ごすのか。人生とは時間だ。24時間は、人間に唯一平等に与えられた資源。

f:id:norioishiwata:20170412091149j:plainぼくは、嫁のチフミと結婚したけれど、違う会社にそれぞれ通っていたので、1日を一緒に過ごす時間はほんの数時間だった。寝ている時間を除けば。夫婦とは制度ではなく、男と女を、人間と人間を結ぶ自然現象でもある。けれども社会制度としての結婚にとらわれてしまうと、途端に楽しくない。結婚は契約ではない。違う。心の底から湧き上がる気持ちがあるから一緒にいる。それ以外に他に何が必要だろうか。書類? おカネ?

もうひとつ例えば話しをしよう。ぼくは、ずっと家に悩まされてきた。なぜなら、大きな家に住みたかった。できれば、少しでも新しく綺麗な、できるなら便利なところに。ところが、ほとんどの人がそう考えるから、そんな家は、どんどん値段が上がっていく。ニューヨークのマンハッタンに行けば、それこそ、何十万円もするアパートに暮らしている人もいるし、東京代々木の3LDKのマンションに住もうとすれば、そこそこの値段にもなる。

f:id:norioishiwata:20170411225400j:plainところがだ、みんなが住みたくない場所に行くほどに家賃は安くなる。アフリカのザンビアのサバンナでは、0円で家が建った。三重県志摩市阿児町安乗では家賃1万円だったし、岐阜県中津川市の古民家の家賃は0円だった。初めて暮らした空き家の愛知県津島市の長屋も0円だった。結論。家にもあれこれ種類があるが、家は住めればそれでいい。何にもないと言われる場所には、自然がたくさんある。その対極にはコンクリートジャングルの都市。

そもそも、何のために何をしているのか。ほとんど意味が分からないまま生きている。会社に行かなければならないから。働かなければならないから。しかし、何のために?人は、おカネを手にして豊かになるかと思いきや、ほとんど同じモノを手にしている。それぞれの単価が高くなるばかりで。他人との比較でよりよい家や服や飯や車のために。

誰かがつくった価値を求め続ける限りは、満足できない。どこまで追いかけても消費しかない。ところが、ひとつ生産してみると、視点が変わる。つくる喜びを知る。誰かにとっては、何でもないモノコトが美しく見える。それは成長するから、育てることができる。誰かに与えらたモノコトは成長させることができない。成長しないのは、自分で選んだ夢ではないからだ。誰かに便乗していたり、他力本願だったり、自分でイメージをコントロールできる環境にいないからだ。

f:id:norioishiwata:20170411225213j:plainそれは種を手に入れるのか、もしくは誰かが種から育てた果実を与えられるのかの違い。少しの違いが大きな違いになる。人間は皆ほとんど同じだから。だけど、失敗するかもしれないけれど、自分で種を撒いて、育んでみて、消費者から生産者になることは生活の革命だ。パンを買うのか、焼くのか。選択こそが創造だから。自分のイメージを大切に育ててみることが、人生をつくる。

ぼくは、夢が現実になった途端に次の夢へと逃げる。そうやっていつまでも、素人のままでいる。なぜなら、ビギナーズラックがあるから。それはコントロールできない天然の魔法だから。コントロールできない奇跡を操る技術。大人なのにバカみたいな話で、子供のままでいることをピーターパンシンドロームというらしい。子供のころ、母親から教えられた。ところが、大人よりも子供の方が、柔軟かつ発想が豊かで、ハッピーな日々を過ごしていると思わないか?

f:id:norioishiwata:20170411225826j:plain子供のままで何が悪い? 永遠に子供のままで死んだってOK。「星の王子さま」に感動した心は、老人になっても失わない。大人になるってことが、みんなと同じになるってことなら、いつまでも子供のままでいい。人が住みたくない小さな古い家で、何にもないといわれる自然のなかで、ヒーローごっこをしながら、生きていたい。大丈夫。既に、いくつもの種を持っているのだから。あとは撒いて、芽が出ることを信じて見守るだけでいい。

いくつもの人生があっても、生きるのはひとつの道。

人生はいろいろ。ほんとに。いろんな人の数だけある。人と人が重なるのは一瞬のこと。友達とか仕事とか愛や恋や。自分の人生は自分にしか見えない。

f:id:norioishiwata:20170405093226j:plainそんなぼくの昨日の人生は、北茨城市の新しく暮らす家で目覚めてスタート。GWに展示する動物をつくった。嫁のチフミはオランウータンを、ぼくはキツネとネコを。午前中に、少し前に暮らしていたお隣さんが置いていった洗濯機が運ばれてきてゼロ円で入手。ラッキー。洗濯機は洗濯できればいい。それ以上の機能はすべてオマケだ。

お昼は、チフミがつくってくれた満足のランチで、デザート代わりにパンにバターをつけてコーヒーを飲みながら食べていたら、バターをコーヒーの中に落としてしまった。残念な気持ちになったけど、全部飲んでみた。味はイマイチだったけど、お腹の中では同じだから、まあいいと思う。

 気をとりなおして、キツネを磨いて仕上げた。その間、チフミは東京に帰るための荷造りをしてくれ、15時に出発すると、なんと車の調子が悪い。ぼくらは2年前に中古で買った軽自動車を【ホワイティ】と名付けて親しんでいた。何でも名付けると愛着が湧くし個性さえ溢れてくる。ホワイティは、言うならば馬だ。ぼくらを乗せて、約2年間で地球一周ほど走ってくれた生き物。イエローハットに行くも、修理できないと言われ、騙し騙しなら走れるかも、という言葉を信じて東京に向かった。距離にして160km。ホワイティは、信号で止まる度にエンジンが止まってしまう状態。それでも高速をかっ飛ばして(時速80km)、東京に着く頃には、信号でも止まらなくなって、なんとか車検をしてもらったお店にゴールした。

お店のお兄さんは「よくここまで走ってきましたね。キャブレターが吹っ飛んでますね。」お兄さんは、代車を手配してくれ、ホワイティの修理を見積もってくれることになった。

 考えてみれば、愛知県津島市の空き家に暮らすのをきっかけにホワイティを14万円で買って、それから三重県岐阜県、神奈川県と空き家を巡る冒険はすべて彼のおかげだった。修理をしてくれるお兄さんは「軽自動車は人間に例えるなら10万キロで100歳ですから。」と教えてくれた。100歳の老人を足にして走り周っていたぼくらはかなりアホだけど、無知って最強説あるかも。

f:id:norioishiwata:20170405095044j:plain別に高級でも特別でなくても、愛して大切にすれば、モノコトは、応えてくれる。敬愛する宮本武蔵は、五輪書で、一切の無駄をなくすことを説いている。ぼくには、まだ無駄が多いけれど、一日という過ぎ去っていく今日を感謝する気持ちは、無駄を少なくしてくれるかもしれない。他人の人生や社会のエトセトラを覗く窓はたくさんあっても、自分の人生を覗く窓はひとつしかない。今日も感謝して生きれば、不幸中の幸いってシチュエーションが、人生を助けてくれる。